国境を引き直す季節にて

西洋という日本の亡霊

以前、NZへ語学留学をしていた頃。慶応だったか、筑波だったか、女子大生がクラスメイトにいた。いいとこのお嬢様であらせられるようで、NZの後はドイツに留学するんだと言っていた気がする。
このお嬢さん、何かにつけて「日本は駄目だ」「日本は古い」「母国語が日本語なのはハンディキャップ」と日本ディスが零れる。何か嫌な経験したのかと聞いてみれば、世界と比べての後進性であったり、未だ蔓延る封建主義の因習姑息であったり、聞いてきた概念の話をはっつけるばかり。
ああ、これは例の病気だと思い至り、我が輩も意地が悪い、ちょいと試してみた。

「全然話かわるけど、○○ちゃんって鼻筋通ってるよね。賢そう」
「そう? あんまり気にしたことないけど」
「ハーフっぽいって言われない? 北欧系の」
「あ~、たまに言われるかも。別に全然、違うけどね」
「あ、ごめん、気分悪かった? 顔の印象の話しちゃって」
「全然、全然。ていうか、西洋系のハーフって言われても、悪い気する人いなくない?」

西洋、あるいは欧米、という概念。
=いいもの。
アジア、あるいはアフリカという概念。
=劣るもの。
これは19世紀の帝国主義から輸出が始まったイデオロギーで、日本にもその頃輸入された。
明治以前、異人は一様に外部であり、親しみのないものであり、類似性を指摘されて喜ぶようなものではなかった。蘭学等の浸透から、やや差異はあったかもしれないが、市井の人間にとって西洋人は鼻が高く顔が赤い(色が白いため日に焼けると赤くなる)、天狗でしかなかった。
それが一変したのが明治維新であり、これは人為的に一変させたのであって、普遍的に西洋人の容姿が優れている故に日本人がこれを愛したわけではない。
列強とのキャッチアップのため技術導入が急務とされ、同時に工商を低く下賎なものと決めてかかる士族連中にどうにかこれらを浸透させなければならなかった。
そこで技術(工商)にしても、舶来のものは日本在来のものと違い立派で尊く、男子が志す価値が十分にあるのだと意図的な箔をつけた。
実際、輸入される西洋技術は先進的なものであったから、意図と実体が上手くかみ合い、「西洋、舶来のものは価値があるのだ」という認識は強まった。
その意識は技術だけでなく人間そのものにも注がれ、舶来の人間が着るような服、舶来の人間と同じ様な髭、舶来の人間と同じ様な食事をとることが、後進的な日本文化を踏襲するよりも価値があるのだという認識が広がった。
それで浅ましいまでの猿まねをやらかすのだが、そこからの思考回路が長々と影を伸ばし、太平洋戦争の敗北で強調され、平成の最後までを日陰にした。

日本人にとっての西洋、欧米とは、憧れ、求め、一度は乗り越えようとしたが手痛い失敗にあい、再びそれらの力をかりて復国したために、一層強く良質と思い込んでしまったコンプレックス。
あるいは明治維新に生まれ、太平洋戦争での敗北を経た、日本という亡霊そのものと言える。
NZであったJD。
我が輩は彼女の肩に、彼女の父母、あるいは祖母、あるいは祖先という、綿々たる日本の亡霊を確かに見たのだ。

西洋という幻想の終わり

落合陽一のラジオで聞いてなるほどと思ったことがある。
「日本人が思い描いている西洋、欧米ってのは幻想」
「旧大陸と新大陸のいいとこ取り。そんなものは存在しない」
「自由、平等、その他諸々の価値観を西洋、欧米で一括りには出来ない」
「西洋と比べて日本は、とか、欧米と比べて日本は、なんて言ってる連中は海外を知らない。そもそも旧大陸と新大陸という感覚さえ持っていない。夢のなかのファンタジーに恋している」

「西洋一般」、「欧米人」というのがザ・日本人の幻想。
各々の大陸内でさえ個性があり、文化の差異があるのに、これを一纏めにして「白人の国」とし、それを理想の国として崇める。
こういう雑なものを疑うことなく明治、大正、昭和、平成と背負い通し、「日本は駄目だ」「日本は駄目だ」と幻の桃源郷と自国を比べては嘆息していのだから、可愛い国民である。

日本ディスをディスるってことは、日本マンセー? と突かれれば違うと首を振りたい。
我が輩は我が輩なりに自国の因習、自国政府への不満はある。
ただ「西洋、欧米」を持ち出す連中には、「お前が考えた最強の西洋に勝てるわけねぇだろ」とアンフェアを感じ、おちょくりたくなる。

西洋(欧米)なんてのは日本人の幻想、夢であり、フィクションでしかない。
ただそういうものも意味はあって、明治維新後のキャッチアップにしろ、太平洋戦争後の復興にしろ、西洋(欧米)というXLの衣類を用意してもらい、そこに向かって身体を大きくすることで成長、立ち直りを為し遂げてきた。
目標であり、夢や未来を育む器であったころ、国産の西洋(欧米)というフィクションは日本人には機能していたのだ。そこまで辿り着けば幸福になれるという指針として、幼かった頃、挫折した頃を導いてくれた。

しかしながら今。
時代は令和にかわり、西洋(欧米)という幻想は機能不全を起こしている。
どちらかが機能していれば、西洋という幻想を支えることが可能だった旧大陸と新大陸。
もはや両大陸ともに斜陽となり、斜陽がすすみ、求心力を失い分断の危機にある。
イギリスはEU脱退でもめまくり、トイレットペーパーが国内に入ってこなくなるのじゃないかなどと心配して、日本の石油ショックをなぞるような有様。
フランスもマクロン大統領下で黄色いベスト運動が賑わい、ドイツも移民によって支えられながら移民問題を抱える。北欧の福祉は上手くいっているように見えるが、福祉充実故に税率が高く、教育福祉の恩恵を終える大卒後はEU各国へと若者が流出することを防げていない国などもある。(北欧の詳しいことは調べられていない。なにせ北欧と一括りにするぐらいなので)
アメリカはトランプ旋風が巻き起こり、グローバル道徳へのコストカットで世界への影響力をリストラ中。
西洋、欧米、どこを見回しても理想の国はないのである。そこに辿り着けば幸せと思える、夢や未来と仰げる国が、新旧どちらの大陸にも見当たらないのである。いいとこ取りの寄せ集め西洋を作りたくとも、パズルのピースが足りやしないのだ。
西洋は幻想としても、フィクションとしても、もはや我が輩たちに夢も未来も答えも示してくれない。
歩むべき先として、キラキラしてはくれないのだ。

どうでもいいけれど、トラウマとなっている話を思い出したので、雑談。
クレヨンしんちゃんの映画、「おとな帝国の逆襲」の冒頭。
大阪万博を懐かしむシーンがあり、そこで日本人が外国人にサインをねだる姿が描かれる。
「当時は海外の人にサインを求めるのがブームになったそうよ」とミサエが解説するのだが、もうあれが溜まらなく恥ずかしくて、胸を掻きむしられて、とても見ちゃいられない。
あれだけでも相当えぐいシーンだと思うのだが、我が輩にはあれを強調する自前のエピソードがある。
確か、小学校三年の頃。
当時では珍しい英語の授業ってなもんが催され、臨時講師としてオースラリアからの留学生が招待された。近くの大学に通っていた女子大生で、ややソバカスが目立つものの、ブロンドに灰色の目をした綺麗なお姉さんだったと記憶している。絵に描いたような「ガイジンさん」を、我が輩たちは緊張と羨望の眼差しで受け入れた。
授業内容は覚えていない。
授業終了後。
隣で見守っていた担任教師(日本人中年女性)が、何を思ったか、「子共たちにサインしてやってくださいませんか?」的なことを片言の英語と日本語を交えながら伝えた。
彼女なかでは両親に手をひかれ尋ねた万博の華やかな思いが蘇り、その楽しかった体験の一欠片でも生徒達に味合わせてやりたいと考えたのかもしれない。
留学生の方は「ワッ?(ねんやて?)」と聞き返し、繰り返される片言英語を間違いじゃないかと再度確認し、確認してからもかなり怪訝な顔をしていた。

「○○先生が皆さんにサインをしてくれるそうです。欲しい人は、ノートを持って並んでください。先生の前まできたら、大きな声でギブミーサイン、プリーズと言いましょう」

というわけで、休み時間を通して教壇の前にはちびっ子達の列ができ、よくわかっていない留学生がそれぞれ差し出すノートに名前を書き、それを担任教師が満足気に見つめるという謎の光景が出来上がった。
我が輩たちちびっ子も、最初こそ「サイン……?」という困惑はあったけれど、貰えるものなら何でも欲しい年頃であるし、もらってみれば読み方もわからないような異国の記号に「ワオ……」とかぶれた感嘆を漏らしていたような気もする。
我が輩は女子大生の「なんやのこいつら」という顔が恐くて、欲しいような気もするけど、「ギブミーってはだしのゲンのヤツやからやらん」とわけのわからん理論を打ち立て友達数人とバトル鉛筆で遊んでいた。
今は謎理論とバトル鉛筆に感謝している。

ギブミーサイン、プリーズってお前……。

担任教師も何やらしてんねんって話だが、こうして綿々と西洋と拝めるファンタジーは受け継がれたのだと思えば感慨深い思い出である。思い出す度に顔から火が出そうになるけれど。

新しき国、GAFA

西洋の機能不全をあげつらった。
では西洋を代替する新しい幻想とは何だろう? 我々が目指すべきフィクション、焦がれるべき虚構とは何処の国なのだろうか?
既存の意見として、もはや国というフィクションに未来や夢を育む力はない、というものがある。
民主主義以後、ポスト資本主義、現代の向こう側という未来像を、どの国も示すことが叶っていない。欧州経済統合を目指したEUもあの有様である。
現実空間、㎤空間に引かれた国境という概念。その内側という国。
これらの枠組みに望むべくは、インフラという生存土台の保証であり、ぎりぎり我慢出来る税制であり、ある程度の公平感を覚えられる法整備。それ以上のことは別のフィクション、新しく国が現代では必要とされるという。

やや話は逸れるが、それでもここで言及しておきたいのは「贅沢問題」。

「戦後は食えるか食えないかという時代だったんだから、今の人は幸せよ」
「昔はクーラーがきた、テレビがきたって、それだけで家族中が喜んだものよ。今みたいに一人一台スマフォなんて考えられなかったんだから」
「今の人は贅沢になった。感謝が足りなくなった」

という「昔は貧しかった」「今は贅沢」問題。
つまり「以上を望むな」「我慢しろ」問題。
我が輩はこの類いを聞く度に、「スタート地点がてめぇなんだよなぁ」と人間の画角の限界を感じずにはいられない。
自分の生まれがスタート地点で、そこからの一歩二歩までは困難解決の進歩とし、三歩、四歩向こうからは「贅沢」と非難する。
ではお前様よ。
昔は粘土板だったんだからパピルスで我慢しろと言われて、紙を贅沢と考えるか?
横浜-神戸間を岡汽船が走った時の感動を話されて、そう考えるとマイカーなんて贅沢だとビックモーターに車の買い取りを申し込むか?
結局、人が言う「贅沢」とは、その者の価値観が出来上がる幼少期を起点として、次世代の進歩までを善良とし、それより向こうを消費社会の悪癖とみなす、距離感の問題でしかない。
人間一個人の感覚は、社会の進歩にはついていけない。
社会とは人間を新陳代謝するものであり、人間を超えるもの。人間を捨てるものなのだ。
人類という速度に、人間はついていけないのである。
捨てられそうになっている連中、あるいは捨てられた連中があげる怨嗟の声。
「お前が生まれる前から人間は十分贅沢だったし、傲慢だったよ」と告げて、振り切りたい。社会は人間の懐古主義、ロマンシズムを鑑みてはくれない。何も現状に感謝しないと言うでなし。ただあんた等と同じように物事を感じろと言われても、その正当性もないのだから相手にはしない。
そう恨むなかれ。
そのうち誰もが社会、時代という汗馬の背より剥がれゆく。
いつか振り落とされる馬の尻に鞭を入れるとわかっていても、人間は先を求めずにはいられないのだ。距離の問題でもなく、現状の充足度でもない。幸福とは未来に描くものであり、描けるだけのスペースがあるか否かが問題になる。
農耕の民として定住を選んだ人類は、地理的な空間を手放したかわりに、時間軸を心遊ばせる空間として選んだ。豊穣の秋を思うことで、炎天下の夏を乗り越える。冬を堪え忍べるのは、偏に春という未来があるからなのだ。地理のなかで立ち止まった後、未来というスペースは必要だった。未来がなければ息がつまった。
その子孫が我々であれば、現状という㎤空間で我慢出来ないことも納得してもらえよう。
我々はここではない何処かへ向かい続ける他ないのだ。

話を戻して、新しき国。
新たな器となり、夢や希望、未来という妄想を遊ばせてくれる次世代の空間とは何なのか。
その一つが企業という概念、カンパニーではないだろうか。
株式会社なんてのは百年以上前から存在していたが、既存の国や地方という現実空間の地域が求心力を失うことで、相対的にその意味合いを増してきた様子がある。
GAFAなどのグローバル企業はネット空間にその国土を築き、国民を迎え、その国ならではの未来像を臣民たちに与える。今でもあるところはあるだろうが、そのうちGAFA的な文化、GAFAの福祉、GAFAの教育なるものも発達していき、どこの国家(既存の)に属しているかよりも、どこのカンパニに属しているかが人間を形作っていくのかもしれない。なにせ人間は未来を見せてくれるものに向けて、その形にあわせて、己を成長させていく。
今ある国別の幸福度なども、実はカンパニ別の幸福度に分けた方が、正確な世界地図を描けるのではないだろうか。
GAFAに属している幸福度の高い人々と、派遣社員としてまともな福祉を得られず未来像を描けない人々と。それをとある既存の国境で囲い込み、平均かしてみる。すると「まぁまぁ」という答えが出力されて、「ああ我が国の国民はまぁまぁ満足してるんだ。捨てたものじゃないんだ」と思い込む。これではあまりに実体と乖離していないだろうか?

何処に属しているか。
その帰属意識を国民意識とし、その意識の集約を国とするならば、既存の国よりむしろカンパニに人の心はあるのではないだろうか?
実際、GAFAの台頭に怯えるからこそ、既存の国家という枠組みは税制度の改正や商法の改正によって力を削ごうと試みているのではないか。
我が輩もGAFAが好きなわけじゃないし、腕力に任せて好きかってやってんなぁこの野郎という思いもないではないが、昨今の各国による牽制など見ると、国が新たに生まれつつある国をどうにか弱体化させようと躍起になっているように見えないでもない。
ネクスト民主主義。ポストモダン。未来の国の形。
ネット空間にひかれるカンパニという国境を眺めてみると、新しい世界地図が見えるのかもしれない。あるいは見えている人には既に見えているのかもしれない。

情熱の国

ただ我が輩が「新たな国」として着目するのは、GAFAのようなグローバル企業ではない。
カンパニでもない。
彼等が国境を引く空間にたゆたいながらも、彼等と国土を争わない国。
GAFAのように良き臣民に対する給与はないけれど、それでも未来という希望を与え、帰属感による幸福が孤独を和らげてくれる国。
これを我が輩は「情熱の国」と呼ぶ。良いネーミングが思いつかなかったので、妥協した。
ネーミングが難しかったのは、この国が多様性からなっており、むしろ多様性ということを本質としているためにまとめようがなく、「まぁ基本は情熱だよなぁ」と思いそのままにした。
それぞれが夢中になっているものを国境とし、その国境のなかで文化をつくり、価値観をつくり、自分たちの情熱を傾けているものに帰属意識をもって生きていく。要するにコミュニティからアイデンティティと未来というスペースを受け取る国というシステム――国と言えば大袈裟なら、おらが村というシステムが、次世代のフィクションとして面白いのではないだろうかと我が輩は考える。

例えば「将棋の国」「格ゲーの国」「ライトノベルの国」「FGOの国」。
それぞれが夢中になっているもののコミュニティ、コンテンツ、技術、人口、多様性。
これらの発展を未来とし、そこに様々な夢を描くことを人々は今でもしている。コミュニティ内での知名度を上げたいとか、ヒエラルキーの階段を上っていきたいだとか、自己の拡大欲求も既存の国より明確で描きやすい。
「嫁さんもらって、マイホームかって、マイカーかって、子共は一姫、二太郎、犬は小型のトイプー」なんて画一的な未来、国が提供してくれる幸福像では、我々の心は遊べなくなった。わくわくしなくなった。
それよりも「旅行好きな彼女と旅行するために生活したい。持ち家なんかもたず、キャンピングカー買って、全国、世界をまわって、そこでのブログ記事や動画を資金にどこまでもどこまでも行ってみたい」だとか。
「ライトノベルの作家になって、毎日毎日設定とか考えて、自分が考えた世界に尊敬している絵師のイラストつけてもらいてぇ!」だとか。
「格ゲーがとにかく好きだし、実力もある。これをいかしてみたい」だとか。
好きなことで生きたいという未来に、不安や恐怖をまだまだ抱きつつも、胸の内には興奮を覚えているのではないだろうか。その未来に対する興奮こそ、我が輩は国たるものの原子と思う。わくわくしなければ、国ではない。想像力の働かない空間に価値はない。

「好きなことをして生きたいなんて、昔から誰もが思っていた。それが叶ってこなかったのだから、そんなものは夢物語なのだ」
と思われるだろうか。
我が輩は幾つかの点で〝環境〟が変わってきていると見る。
第一に、世間におもねること、普通をなぞることの価値が低下してきているということ。
つまり「やりたいことをやりたいけどリスクが高すぎる。だから安定の世間一般(普通)で」という選択肢が、「やりたくない上に安定してない」「このまま進んでも未来がない」という状況下になり、リスクマネジメントの観点から言っても価値が薄くなってきている。
このために「やりたいこと」を「やってみる」価値が、相対的にその地位を高めているように思う。
二つ目にツールや環境の発達によって個人で出来ることが大幅に広がったということ。
顕著に感じるのは絵。Twitterを見ても、pixivを見ても、上手い連中がゴロゴロをいる。
確実に絵のレベルは過去に比べてあがっている。では昔より絵心のある人が増えたのかと言えば、先天的なもので言えば変わっていないはず。恐らくSaiやクリスタといった低価格帯のお絵かきソフトが発表され、それらのテクニックもアーカイブとしてアクセス可能となってことで、最終的に出来上がる絵としてのレベルが底上げされたのだ。なにせ我が輩が中学生の頃はPhotoshopくらいしかお絵かきソフトがなく、値段も十万級だったし、取り扱いも難しかったし、今みたいに解説動画なんかも溢れていなかった。現状と比べ、デジタルイラストへの壁が遙かに高かったのだ。
ノベゲーを作るにしてもそうで、十年前と比べたら環境は格段に改善されているし、今も日々改善されていっていると感じる。個人やアマチュアがつくる同人ノベルゲームのレベルがどんどん高くなっていっているのは、ツールやアーカイブの発達という集合知によるものも大きいだろう。少なくとも我が輩はクリスタの自動彩色ツールをフル活用してハルカの国を着色している。色々コツがあって難しいけれど、制御できるようになると滅茶苦茶頼りになります、あれ。

技術の発達による可能なことの増加、ツールやアーカイブへのアクセスの低価格化、無料化。これは「やりたいことをやる」難易度を、格段に下げているし、今後も下げ続けていくはず。考えなければならないのは、そのために参入壁が低くなりレッドオーシャン化した後、どう生き抜くか。どうオリジナリティを出すかという問題になるのだが、これは話が逸れるので割愛。
三つ目にはネット環境の充足によってコミュニティへの参加が容易になってきたこと。価値観を同じくするものが出会いやすくなり、ニッチなコミュニティが生まれやすく、かつ持続し易くなったこと。
我が輩が中学生だった頃。もの凄くToHeartが好きで、何故好きかを語りたくて堪らなかった。しかしToHeartのブームは既に終わっていた頃で、同級生にプレイヤーは存在せず、必死にPSソフトを貸し出して布教活動をし、種から育てなければならなかった。中には気に入ってくれる者もいたが、そもそも我が輩が属していたのがちょい悪グループだったので、「そういう美少女が描かれたゲームわたしてくんなよ。女子にキモがられんじゃん」という扱いを受けた。友達も優しかったから我が輩をのけ者にするようなことはしなかったが、「お前のためだ。こういうものから手を引け。せめて世を忍べ。オタク的なことをやりたいならヨシノブとして生きろ」とは諭してきた。
寂しかった。
自転車で2時間かけて向かった本屋で見つけたビジュアルファンブック。その中にのっていた芹香先輩のヌードイラスト。あの衝撃と感動を誰かと分かち合いたかった。けれどヨシノブであるこを強いられた我が輩は、一人それを見つめ、たまさかアニメージュにのる記事を穴が空くほど見ては、この空の下にToHeartを語れる誰かがいるのだと夢想する他なかった。
「東京さ出れば、オラの仲間がいるだろうか。東京さ出ればオラの話を、「わかる!」と手を打ってくれる仲間がいるだろうか」
「仲間が欲しい。好きなものを語れる仲間が」
誰もいない月から青い星を眺め涙していたような、あの頃。渇望の日々を思い出すと、今でもおセンチな気持ちになる。
だが今はどうだろうか。
どんなニッチな趣味趣向を持っていてもネットに繋げば仲間はいるし、語りたいと思えばスカイプでの会話は無料だし、ハードの肉体が現実空間のどこに設置されているかは関係なく、空間を超えて繋がることが出来る。近い将来、言葉という障壁も消え、世界島の住人と好きという気持ちで繋がり、お互いが望む価値観のなかで振る舞うことが出来るだろう。
最悪、ニッチ過ぎて世界島にさえ仲間がいなくても、「私はどうしようもなくこれが好きなんだ! これがやりたいんだ!」と叫ぶ場所は用意されている。(法律内でね)その声に呼応する人が百万人に一人でも、ネットへの参加人数が膨大であるために100人、200人という賛同者が集まるかも知れない。
「ピヨン、ピヨン、ガガガー」と電話回線でネットに繋いでいた頃の我が輩を思って欲しい。ポケベルという謎の機械を、「すげー。これで離れた人とも繋がれるじゃん」と個人が持ち得るコミュニケーションツールの革命と感激した我が輩を思って欲しい。
ネットというディメンションは、確実に豊かになり、厚みをまし、参加も用意となって、国を築くに十分な沃野となった。空間を超えて繋がれる――明治維新における蒸気機関車の発達が「日本から距離を消した」と言わしめたことを考えて欲しい。
世界から距離を消したのだ。繋がろうと思えば繋がれるのだ。
コミュニティの生成がかつてと比べどれだけ容易になったか。そこから延長して市場の生成がどれだけ容易になったか。
これは環境の変化の中でも、大きなものだろう。

・好きなことを我慢する価値の減少(普通を選ぶリターンの減少)
・好きなことをやる難度の減少
・好きなことをして他人と繋がる難度の減少、市場成立難度の減少

この環境変化を踏まえずに、「好きなことをして生きていくのは無理。昔からそうだったから今もそう」と言うのはあまりに思考停止ではないだろうか。
「昔から、以前から、ずっと」という呪いは、人間の本能、ホメオスタシスに由来するものであれば、人をコントロールするにはもってこいの手口である。だが「昔から」=「正しい」「成功率が高い」という因果関係は成り立たない。そもそも気づくべきは、「昔から」という起源を際限なく過去に遡る方法論などこの世になく、あるのは「昔は」というある地点、ある環境下でのアジャストだけということ。
適応は適応能力を締め出すという。
流動的な環境を無視し、過去の結果にフォーカスして、そこから逆算して方法を選ぶ。
日露戦争の勝利が生み出した巨砲戦艦大和。高度経済成長が生み出した一括新卒採用、終始雇用制度、そこへの固執。その結果が何を生んだのかを考えれば、「昔から」が「昔は」だったことに思い至るだろうし、「昔は結果がでた」ことを環境が変わった現状に採用することが大変危険であることもわかるだろう。

「好きなことで生きていくなんて出来ない。昔からそう」
という言葉。
「好きなことをして生きていくのが何より大事」
という言葉。
我が輩はどちらも無批判、無思考で信じるべきではないと考えている。言いたいのは環境が大きく変わり始め、今まで不動に見えたセオリーに対し思考を挟む余地がかなり生まれてきたのではないか、ということ。かつては模倣力が何より必要だった世渡りに、観察力と思考力が必要とされてきたのではないか、ということ。
「好きなことをして生きていく」ことへの興奮。その未来を描くことの幸福。それを求心力とする「情熱の国」を、思考停止のロートルでは否定できないと我が輩は思っている。
同じくらい、思考停止の「やりたいことやったもん勝ち」に賛同するつもりもない。
ネガティブにしろ、ポジティブにしろ、自分の頭で考え、バランス感覚をもって世渡りしていく。それが重要であろう。

であれば。
好きなことをするリスクとリターンを自分の頭で考え、自己の環境を鑑みながら選ぶ選択肢は、過去よりも格段に増えている。
その一つに。
「情熱の国」という国の選び方、ライフスタイル、ライフワークは存在していいはずであるし、実際、存在している。
国境は今、ネットいう沃野に引き直されている。その国境内で文化は育ち、人々は自己と他者の価値を相対化し、アイデンティティ、生きる意味や、人と繋がる幸せ、未来を描ける幸福を享受している。
「ネットのコミュニティなんて、そんな実体のないもの、脆いもの、国なんて言えるか」
「そこに人生をかけられるか」
とやはり思われるかもしれない。このブログを読むような変わり者の貴方(だと思います)は思わないかもしれないが、貴方のまわりの人間は思うかもしれない。
そこに説きたいのは国が受け持つ役割の変化、と言うよりは負担の減少。
生存のためのインフラを整えてくれる既存の国家がある。
生きがいや幸福感を与えてくれる新しい国がある。
このように今までは一律に同国が負担していた人間の身体と心というものを、それぞれが得意とする分野で受け持つ。
肉体というハードをもつために、各種インフラは現実空間での位置を無視出来ない。そこは既存の国がささえる。しかし未来や同じ価値観を持つ他者とのコミュニケーションを求める心の充足は、ネットコミュニティとい現実空間を無視できる国に任せた方が楽そうである。
人間の幸福をハードとソフトに分けるだけでも、それぞれの〝国〟がもつ得意分野によって解決の難易度が異なる。ならばそれぞれ得意な分野で臣民を満たし、満たされた臣民によって支えてもらえばいいのではないか。不得意なことをして、割高なコストを支払い、その負担を民に求めるから嫌われる。
現実空間に横たえる国にしろ、ネット空間に確立されていく国にしろ、貨幣経済という巨大な器のなかに収まっている。つまりディメンションが違っても、価値観がどれだけ異なっても、お互いの価値を交換可能なのだ。国は違っても仰ぐ日輪は同じ。我々の上にはどこまで行っても貨幣経済という大空が広がっている。そこに思いを馳せれば、違う国の人々とも繋がれるのだ。(あんまり気持ちのよい空ではないけれど)

国境を引き直す季節にて

国は不変的なものではない。何度も形をかえ、生まれたり消えたりしている。時代の変わり目にはいつだって変化があった。
ただこの度の兆しが過去と異なるように見えるのは、国の形ではなく、国の意味、国の価値が変わるかもしれないからだ。十年後、二十年後の帰属意識は、果たして既存の国にあるだろうか。虚構空間に国境を引くカンパニや、情熱の国が、人々の愛国心を集めていることも十分に考えられる。その環境が整いつつあることは、上記の「現実空間、位置の価値低下」で散々綴った。
ただ西洋という亡霊が150年間生き延びたように、伝統という世間を伝搬する価値観もまたそう簡単には消えない。技術の革新が、その日のうちに我々の慣習を拭い去ることはないだろう。

飛躍して考えれば、いつの日か人類の分断も考えられる。
小説「タイムマシン」が予想したように、現実の国に居残り続けナショナリズムを強化していく人々と、ネット空間という階層にうつりそこでアイデンティティを得る人々と。

考えてみても考えてみても、考えることの尽きない時代だと思う。
興味深い時節だ。
これからは明治時代以来の大変革の時なのかもしれない。価値観のパラダイムシフトが起こるのかもしれない。そんな風に思うのは、現代と幕末期、明治期に多くの類似点を見るからだ。
秩禄処分による封建社会の崩壊と、終身雇用制度の限界。
開国と、グローバル化。
日本を一つにした鉄道と、世界を一つにしたネット。
幕政時代の価値観を引きずった武士たちは瞬く間に懐を浚われた。新しい価値、新しい環境に適応した者たちが財を掴み、生き残った。
三菱の父、岩崎与太郎の庭には日本をかたどった庭石が置かれていたという。与太郎はそれを眺め、未来に夢を描いた。
150年たった今。我が輩たちはどんな国を眺め、夢を描くべきなのか。
それを一人一人が考える頃合い、季節の変わり目に立ち会っているのかもしれない。

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