ハルカの国 創作の記 その52

弱いのに好き

ロケハン中、酒を飲みすぎた。
一日目から瓶ビール、自家製どぶろく、酒屋で買ってきた地酒。寒かったからポットで湯をわかし、湯煎をして飲んだ。
二日目もグラスビール、缶ハイボール、地酒。
三日目、朝起きると頭が痛かった。

我が輩、酒は好きだがどうやら弱い。
好きなものだからと、好きなだけ飲むと翌日に響く。以前から、どうも俺は酒に弱いようだぞ、と疑っていたがこの度痛感した。
我が輩は酒に弱い。
残念なことだ。

以前はタバコも愛煙していたが、こっちはやめた。決戦編を書き上げたのを機にすっぱりやめて、以来、三年間一本も吸っていない。
酒も弱いし、弱いのに飲みすぎる、上手な飲み方を知らないからやめたらどうかと、二日酔いの朝などは思う。
ただ酒までやめたらあんまり人生つまらないとも思う。第一に健康はよろしいが、二も三も四も五も――AtoZで健康が並んでいる人生じゃ華がない。
趣味もないつまらん男です。酒まで抜いちゃ、いくらなんでも味気ない。減塩、味薄な健康食品みたいな人生になってしまう。それは嫌だ。
そう言い訳をして、酒は飲み続けることにしている。
弱いから飲む度に後悔する。後悔する度に「人生の華」として説き伏せる。やっぱり酒を飲むぞと決めた日や、旅の宿なぞは心浮かれるものだから。
これからは祝祭の才覚が問われる時代でもある。己を己で祝わなければならない。
そういう時勢にあっても、やはり酒を遠ざけることは出来ない。
完璧な友などいない。付き合いに後悔する日があっても、まぁそれでも、と思える相手とは付き合っていきたいと思うのだ。

ああ、それにつけても酒に弱いとは悲しいことだ。
我が輩は一体、なにに強いのだろう。

ハルカの国 昭和編について

旅行中、一人ハルカの国について考えていた。
ユキカゼについて、ハルカについて、新しい子について。登場する様々な人物について。
多くのアイディアや示唆を得られた実り多い旅だった。
同時に、未解決の課題も明確化した。

第一の課題として、昭和編をどう分けるか、という問題。
次回から始まる昭和編、以前までの物語と比べて連続性が高い。春秋編、永訣編にわけているが、一続きの物語にもなっている。
登場人物はほぼ連続しているし、話の筋としても続いている。
主に1960年から1980年の二十年間を舞台としており、戦後復興を遂げ高度経済成長に突入し、二度のオイルショックを経て夢破れるまでの日本と並走する形で、天狗の国と、その背後に潜む名状されざる者たちを描きたい。
もちろん、1960年以前、昭和初期から戦中、戦後において天狗の国はどう人間の国と関わったのか、ハルカやユキカゼがどのような役目を担い、どう振舞い、愛宕に受け入れられていったか、そこらも作中で匂わせていければと思う。ただ本文でやると長ったらしいので、あくまで昭和編の舞台は1960~1980年に絞りたい。
我が輩にとってこの時代は、日本がある夢を見て、夢のなかで狂い崩壊していく、最もエキサイティングな時代だ。そういう時代との接触感を、天狗の国という外から、また明治・大正を生き抜いてきたユキカゼやハルカという視点から描いてみたい。
ハルカの国は「天狗の国」という閉じた場所での物語では、成り立たない。人間、天狗とそれぞれの輪郭を持ちながらも、隣り合う者として互いを意識し、恐怖や蔑み、あるいは憧れを持ちながら触れ合っていく姿こそ、ハルカの国の舞台なのだ。
関係性の話なのである、どこまでも。
天狗、狗賓、化け――これらは人間ではないために、彼らの存在感が、人間、人間の国を浮き彫りにしていく。同時に、人間こそが、人間ではない者たちを浮き彫りにする鋳型でもあるのだ。
お互いの関係性、接触感が、それぞれを象っていく。そうして最後に残るもの、名前のないものたち、認められなかった者たちこそ、鬼、としてこの物語には現れる。
この鬼を浮かび上がらせ登場させるためにも、関係性を重視した物語を描く必要がある。
この一連の作業、1960~1980年における二十年間の物語をいかに切るか。いかに前後に分かるか。
前部にあたる春秋編をどう筋立てるか。どういう印象の物語にするか。どう終わるか。
ここにまず一つ、悩んでいる。

二つ目の課題として、視点をどうするか、という問題もある。
主だった視点人物は変わらずユキカゼが担うのだが、昭和編にはもう一つの視点が必要となる。
春秋編。秋の視点はユキカゼである。これと対をなす春の視点がいる。この視点が誰かは決まっているのだけれど、この視点からの描写をどのようにするか。そこを悩んでいる。
同じ時を生き、同じ風景を見ながらも、春と秋、それぞれで見えていたものは違う。盛り朱夏へと向かう春と、やがて玄冬へと至る秋の交差感。すれ違っていく二つの世代というものを描きたい。
視点が二つ登場するのは避けたかった。一人称の視点が二つあると読んでいて煩雑だし、描写の重複も生まれやすい。
ユキカゼの視点一本に絞れないものか、良いアイディアはないか、と今でも考えている。
春と秋、この二つの時代の接触感を描く、最適な視点。これを見つけなくてはならない。

三つ目の課題は、ロケハンが完了していないこと。
この度のロケハンで舞台となる愛宕のお里、ハルカたちの居住する東谷をそれぞれ探したが、東谷のモチーフと出会えなかった。中山道を探し、奈良井宿に目星をつけていたが、そこで出会ったのはむしろお里の方で、お里にはばっちりのロケハンが出来たのだけど、東谷を見つけることは叶わなかった。
急遽旅程を変更し、飛騨高山もめぐってみたが駄目。まだ我が輩の中で東谷を見つけ切れていない。
決戦編でも出てきた東谷だが、昭和編ではそこでの暮らしを二十年描かなければならない。その中にはもちろん四季の移ろいがある、暮らしがあり、営みの所作がある。それを見つけきれないまま春秋編に入るのは不安で、出来ない。
そこで夏頃に中山道へ再び通い、馬籠、妻籠の宿場跡に東谷を探してみたい。この度は足を運べなかったこのニ宿に希望を託す。
頼むから見つかってくれ……! と願っている。

春秋編は美しくて、豊かで鮮やかな、暖かい物語にしたい。思い出した時、万華鏡のようにあらゆるものがキラキラと輝き、いつまでも見飽きないような記憶にしたい。
春秋編の美しさと豊かさ、暖かさが、永訣編には必要なのだ。そうして永訣編が完成した時、最後、皆さまには「100年の物語」として圧倒的な距離を体験して頂きたいと思う。
圧倒的な時空間、距離の印象を皆様の中に生成する。
100年のビジュアルノベルと銘打ったハルカの国も、昭和編で最後になる。目的を叶えるために、気を引き締めて、万感の思いをもって挑んでいきたい。

旅行記は来月一日の限定ブログにて綴ろうと思います。

今年もよろしゅう!