ハルカの国 創作の記その13

「俺のジョン・シルバ」

枕で関係ない話をしたい
久しぶりにアニメをぶっ通しで見た。
見たのは「宝島」。1978年の10月、今より40年以上前にスタートしたテレビシリーズで、全26話。名監督・出崎統が手がけた伝説の作品である。

伝説の作品である、と言って我が輩、最近まで知らなかった。
ちょっとした切っ掛けで知り、「あしたのジョー2の監督じゃん」ということで鑑賞してみたのである。我が輩はアニメ「あしたのジョー2」が大好きなのだ。ちなみに無印の方は大して好きじゃない。

宝島。
内容は正直言ってつまらなかった。展開、人物描写、良い意味でも悪い意味でも「昔のアニメ」であり、アニメーションとしても質が高いものではない。宮崎駿が残した「ハイジ」や「カリオストロの城」のようにオーパーツと称されるほどのクオリティは無かったと思う。脚本も「子共向けやな」と思える内容で、ご都合主義も多かった。

ただ一点。
とてつもない魅力があった。我が輩はこの魅力より生じる引力のために鑑賞をやめることが出来ず、次へ次へと進んでしまい、最後には「これからどうなるんだ」と夢中になっていた。
繰り返す。
面白くはなかった。つまらなかった。アニメの大部分は見ていて苦痛と思えるような時間だった。最大の原因は主人公・少年にまったく感情移入出来ず、彼が現れる度にイライラしていたことだと思うが、それを除いたとしても砂を噛むような時間が続いていただけだろう。
それでも鑑賞をやめられなかったのは圧倒的な魅力を持つ、ある人物のため。
圧倒的な男、ジョン・シルバのためだった。

ジョン・シルバは主人公の敵である。
「宝島」はタイトル通り隠された財宝をめぐるストーリー。
善良な冒険者である主人公サイドと、悪辣な海賊集団であるジョン・シルバのサイドに分かれ争奪戦を繰り広げる。
ジョン・シルバは敵であるどころか、敵の親玉であり、彼が主人公たちを苦しめる作戦を考え、それを実行し、時には主人公の仲間の命を奪う。つまり殺人さえ犯すのだ。

それでもジョン・シルバは圧倒的な魅力を放ち続ける。
最初は主人公と友情を育み、途中で裏切って敵となり、遂には人の命まで奪うのに、どこまでもどこまでも魅力的なのである。
自分の目的のためには手段を選ばない。裏切り、暴力、人殺し――あらゆるモラルに反することを犯しながら、彼の男としての魅力は一切損なわれることがない。
むしろ話数を重ねる毎に、シルバの魅力は増していく。
シルバの顔が見たい、シルバの声が聞きたい、シルバの考えていることが知りたい――シルバが画面に現れない時間の、なんと味気ないことか。

恐らく出崎統は全てをジョン・シルバに懸けていた。
他のことはどうでもいい。脚本も他人がやればいい。ただ、ジョン・シルバという男の演出だけは俺がやる。俺は俺の理想――ジョン・シルバを描きたいんだ……!
そんな血を吐くほどに切実な叫びが、ジョン・シルバからは伝わってきた。
それは主人公の少年、ジム・ホーキンズの口からも語られている。
我が輩には一切感情移入できなかったジム。
けれどある感情にだけはシンクロ率120%で、ジムの言葉が我が輩の心そのものだった。
それがジョン・シルバへの思い。
ジムとシルバ、敵味方に分かれた後、ひょんなことで共闘する。
その時までに、ジムはシルバに仲間を殺されている(間接的にではあるが)。
それでもジムはシルバとの共闘のなかで、深い深い充足感と安心感を覚えてしまう。そこで思う。

過去の全てを忘れ、あの背中に飛びつきたかった。

ジムは裏切られ、敵としてあらゆる危険に晒されながらも、シルバに惹かれ続けた。
高い道徳心からシルバを拒絶し続けたが、本能の部分で強い男、理想の男に対する電撃のような憧れが止むことは無かったのだ。
裏切られたと知った時、ジムが流した涙がまた感慨深い。

「俺の、ジョン・シルバが……!」

俺のて……。
しかし、この一言こそがジムにとってシルバの全てを表し、同時に、出崎統にとってのシルバを表している。
いや、〝男〟という幻想の中で、一度は生きようと試みた誰もが理解できる構造がそこにはある。

ジョン・シルバとはジョン・シルバそのものではないのだ。一人の個人でさえない。
男が男に持つ理想、求めるあらゆる物を夢想できる、果てしない空間。
海であり、空。
ジョン・シルバとは、兄であり、父であり、親友であり、敵であり、揺るぎない信頼や安堵でありながら、強大な恐怖でもあり、美しくも猛々しく、慈愛に満ちながらも同時に暴力の権化でもあって、風のように爽やかに笑いながら悪でもある、複雑にしてどこまでも芯の通った、〝男〟という幻想そのものなのだ。

ホモサピエンス雄の多くが夢見た〝男〟という理想。それを奇跡的に神降ろししている人物が、ジョン・シルバなのである。
だから目の前にした時、電撃に打たれたような昂揚感がある。裏切られたならば膝が砕け、思わず「俺のジョン・シルバが……!」と涙を流す。裏切られても、傷つけられても、彼を否定することが出来ない。彼の魅力を拒めない。

我が輩もただただシルバが見たいためだけに、アニメを見続けた。
ストーリーなんてどうでもいいし、もっと言えば宝の行方も興味がなかった。
これは出崎統がそういう風に作っている。とにかく「俺のジョン・シルバ」がどうなるか。それだけが気になる作品構造だったのだ。

我が輩は夢中でシルバを追った。
善悪を超越した彼だからこそ、最後はどうなるのか。子共向けアニメで、殺人まで犯した彼がどう遇されるのか。とても興味があった。
同時に、恐れていた。
「すげーつまんねぇ終わりだったらどうしよう……」
結局、良い人みたいな。まぁ人殺しは人殺しだけど、でもそれは非常時でのことだし、後々人を助けることもあったし、チャラにしましょう。ね? みたいな。
勢いでハッピーエンドに持って行かれたら、どうしよう。
「俺のジョン・シルバ」が末永く幸せに暮らしたらどうしよう……!
頼む、ハッピーエンドだけはやめてくれ。男は、真の男は、幸せになんかなっちゃいけないんだ。満たされることなんてないんだ。頼む、俺の理想を裏切らないでくれ……!
夢を壊さないでくれ……!
勝手な願いと知りながら、祈るような気持ちでラスト数話を迎えた。
しかし、それも杞憂だったとわかる。
最終話手前。
山のような金銀財宝を見つけたジムとシルバ。
しかしシルバは宝物を目の前にして、とても寂しそうな目をしている。

「宝探しに血道を上げたこの十年間は楽しかった」
「宝を見つければ、俺にとって大切な何かがわかる気がしてた」
「けど、何んにもなかった」
「宝は宝でしかなく、俺にとっての何かではなかった」

シルバは遠い目をして、ジムに語る。

「あるよな、ジム。いつか、あるよな」
「いつか俺にとっての何かと出会う日があるよな」
「そうでなけりゃ、あんまり寂し過ぎらぁ」

このシーンを見た時、我が輩はジョン・シルバが永遠であること――つまり幸福に満たされた日々など彼に訪れないことを悟った。
後はただ、ジョン・シルバとの別れ――最終話を待つだけとなった。

たった一つの憧れだけは

最終話。
何と言えばいいのだろう。初め見た時、我が輩にとっては「???」だった。
自分が何を見たのか、何を見せられたのか、理解出来なかった。
ハッピーエンドではないけれど、まぁ、それなりの、爽やかな終わり。子供向けのアニメ、情操教育には適していたのじゃないかな、という解釈に一度は落ち着く。
物足りないと言えば物足りないけど、こんなもんかな。それなりには満足できたし、最終的な評価として良かった方には入るアニメになったかな……という程度。
ただ、釈然としない。
理解出来ない、という思いが尾を引く。
「何か、変なもの映ってなかった?」とい恐怖感。
胸に残るザワつき。
本当に、そういうことなのか。子供向けアニメの最後として、ラストショットは爽やかな印象を与える演出をしていたけれど、本当に演出通り爽やかなことが描かれていただろうか。
おかしい。
なんか変だ。
最後。主人公のジムの〝解釈〟によって爽やかな終わりになっていたけれど、あれはジムに見えたものであり、もっと言えばジムが「そう思いたかった」心象でしかない。
画面、絵面として我が輩が見たものは、もっと恐ろしくて、悲しくて、どうしようもない物だった可能性がある気がする。
そう思い、アニメを最初から見直して見て、見つける。

アニメの序盤。シルバの手下が、宝の地図のために愚かにも命を落とすシーンがある。
そこでその男が叫んでいるのである。

「宝を手に入れなきゃ、一生ラム酒をせびる乞食みたいな暮らしなんだ」
「俺は嫌だ! そんな一生は嫌だ!」

出崎統は絶対、確実に、ここで仕込んでおいたと思う。
子供向けアニメだから「見た目」は整えなければならない。けれど、俺が描きたいのは「綺麗事」じゃない。男として生きた者の末路、その姿を描きたい。最後の最後まで、俺は誤魔化さず、「俺のジョン・シルバ」と付き合うのだ。

ラストショット。
あらゆる解釈が出来ると思う。とんでもなく恐ろしくて悲しいシーンだと思うことも出来るし、不滅の魂を垣間見る美しいシーンと思うことも出来る。
我が輩はただただ悲しいシーンとは思わないが、かと言って美しいとか、爽やかなと片付けてしまうことは到底出来ない。
何度見ても、恐ろしくて震えてしまうようなシーンである。
三度目に見た時、涙が溢れて嗚咽をともなったが、別段、感動したわけでもない。悲しかったり、単純な恐怖から流した涙でもなかったと思う。
「一体これは何なんだ」という自分でも解釈できないものが溢れて、涙となった。
最初はぽかん。
次第に見ている物の正体がわかりだし、自分でも理解しようと勤めていく中で、もう一度見失う。計り知れない何かに圧倒されて、涙を流す。
初めての経験であった。

ネタバレを散りばめた感想であったが、皆様も興味を持たれたら一度見て欲しい。かなりつまらないと思うけれど、我慢して見ているといずれジョン・シルバと出会う。物語の終わり、出会った「俺のジョン・シルバ」といかに別れるか。千差万別、人それぞれの別れが、そこにあると思う。

「たった一つの憧れだけは、どこの誰にも消せはしないさ」

最後はオープニングテーマの一節を引用し、締めたい。

ハルカの国・進捗

締め切ってはいけない。「宝島」はあくまで枕である。
ここからはスタジオ・おま~じゅの活動について報告したい。

ハルカの国・大正編。シナリオを書き直したり、付け加えたり、差し引いたり。
まぁ骨が折れること。
明治から大正に移り、東京の片隅で暮らす三匹の化けに焦点をあてた物語となっている。
三人がそれぞれに思いを持ちながら、それらの心模様が織りなす風景は一つの絵として成り立つ。そういう構造にしないと、物語が間延びする。助長となる。
Aを語り、Bを語って、その後Cを語るという様ではいけない。
Aを語りながらも、それはBやCにとっても重要なことであり、Bの行動がAやCに影響を与え、Cの決意がAやBに変革をもたらす――そんな風に、A、B、Cの意図、感情、目的が構造的に組み合ってないといけない。
それでいてA、B、Cの人物像、心理には、大正という掴みがたい時代を反映させなければならない。
マルチタスクが不得意の我が輩は大苦戦。メモリ不足でひーひー言っておりまさ。
関係性が二人だと簡単なんだけど、三人って一気に気を配るポイントが増えて難しくなるのね。
明治決別編も三人だったけど、五木が割と独立した構造だったので今ほど難しさは感じなかった。

お待たせしている皆様には何か良いものを届けたい。と言うか、良い物を作らなければ相手にされなくなる。そこからの恐怖でしんどい現状でも踏ん張っていられます。

俺は、何か良いものを、作りたい……!

ファンティアコース追加

夏コミ終了後すぐに取りかかりたかったが、延び延びになっている。
発表と同時にコース追加、コンテンツ追加としたかったが諸事情により、発表だけ。

ファンティアに有料支援コースを追加させて頂きたい。
「狐のお宿 一泊二日夕食つきコース」として月額1000円。もう一つ上も作りたいけれど、コンテンツが思いつけていないので今のところ保留。

「一泊二日コース」のコンテンツとしては、国シリーズの外伝を発表していく予定。
外伝なので読んでなくても本編理解には支障がないものを小説、漫画、ノベゲー、様々な様式で発表したい。
どれも短編で、ある程度簡易な作りを予定している。ノベゲーにしても立ち絵などは使わず、スチル、背景、音楽で演出するつもり。
予定しているものとしては

ヒマワリと美鈴の日常。若葉として初めての試練、「山岳訓練」に向かうまでのあれこれ。漫画「早春賦」のその後あたり。

ハルタの「雪子の国」以前。ハルタが東京ではどういう少年だったのか。友人関係、女性関係等、雪子の国では触れられなかった雪子や猪飼に出会う前のハルタを描く

「キリンの国」のその後をマリ子(キリンの従姉)視点で。キリンを置いて一人帰ってきた圭介。怒りをぶつけるマリ子だが、やがて圭介も町を去る。マリ子が少年達に重ねていた憧憬、彼女が憧れたものの正体を綴る。

他にもホオズキの出自や、ヒデウミやウルマとの出会いを絵本チックに表現してみたいな、とか。
猪飼の東京成り上がり編を書いてみたいな、とか。
色々、色々ある。
こういうものをいちいち本編でやっていると冗長なので、救済処置として本編ノベゲーよりも簡易な方法で表現してみたい。

あと一つ。
国シリーズではなく「むこうがわの礼節」の第三話もここで発表したい。ハルカの国が終わった後、休憩がてらに「むこうがわの礼節」第三話を作りたい。
「むこうがわの礼節」は国シリーズが一段落つく度に一つ作ろうと考えていて、予定では次回で第一部「高校生編」が終わる。第二部「大学生編」がもう三つほどあって、「むこうがわの礼節」は終わる。
文化や民俗学を取り扱う作品であるために、内容が段々とセンシティブになっていく。前回も「一般公開していいものか」と悩んだので、次回からは限定公開にしたい。
文化というものを現代の価値観や道徳で消毒してしまっては意味がないと思う反面、作品として扱うには憚られるモチーフが多いのも事実。
限定公開だから好き放題しても良いとは思っていないが、もし何かあった時に対応が効きやすそうなので。

やってる場合?

ハルカの国。
当初の予定より遅れてるのに、ファンティアなんかやってる場合? という突っ込みが恐くて、ファンティアはやめておこうと考えていた。
ファンティアでの活動、もっと言えば「ハルカの国」以外の創作活動、ブログ、Twitter、漫画、イラスト、その他諸々、自制してハルカの国に全リソースを割けば作業は捗るはずだと考えていた。
が、苦しい。
特にファンティア。
やろうと思って色々考えていたアイディアを「出来ない」「無理」「時間がない」「無駄なことしてたら金がなくなる」と押さえつけようとしたら、やる気がなくなった。ハルカの国にまで悪い影響が出始めた。
ハルカの国以前で苦しんだ、モチベーションの低下、あの灰色の時間がじわりと背中に這い寄った。
そこで一度、「今日だけは漫画描いてもOK!」としてみすずとヒマワリのやり取りを描いてみた。ぱっと気持ちが晴れた。ハルカの国への気持ちも再び若々しいものとなって、筆が乗った。

「やりたい!」「表現したい!」「こんな演出をしてみたい!」と創作への欲求が噴き上げる。そこに「駄目!」「無理!」「意味ない」「時間がない」「金がない」と思いっきりブレーキを踏む。バケツで水をぶっかけ、鎮火する。
これを繰り返すと、心が折れる。もう何を思いついても無駄だと思い始め、「どうせ」と心が萎れる。「どちらが簡単だろうか」「どちらが楽だろうか」「どちらが時間と金をかけずに出来るだろうか」という打算的にしか考えられなくなる。
こうなると、駄目。
力が入らない。
朝、起きられない。もう一時間、と思っても踏ん張れない。眠い、だるい、身体が痛いと調子がすこぶる悪くなる。
何か刺激的なことないかな、楽しいことないかな、と外部刺激を求め始める。
創作がつまらなくて、毎日の嫌なことになってしまう。
これが極まったのが雪子の国以後で、早春賦を描いていなければ創作活動から離れてしまった可能性さえある。

ハルカの国。
遅れて本当に申し訳なく思う。何とかしたいと焦る。同時に、つまらない物を作れば終わるという恐怖もある。
絶対にハルカの国を結実させたい。今までの物語より遙かに面白いものにしたい、味わい深いものにしたい。ハルカの国だけに。
そのためのファンティアと思って頂けないだろうか。
ハルカの国に、挑戦や新たな表現という新鮮な風を送り続けるために、外伝を描かして欲しい。
もちろん、メインはハルカの国創作を続ける。と言うより、日々のほとんどはハルカの国創作に費やす。
ただ、ある時思いついたアイディアや、温めていた物語を、形にすることを許して欲しいのである。
いや、実際に形にまでしなくてもいい。思いつくことに「駄目」「無理」「意味ない」とブレーキを踏みたくない。ぱっと思いついたアイディアを、アイディアである内はどこまでも伸びやかにさせておきたいのである。
そんなことお前のさじ加減だから勝手にやればいいだろ、とお思いだろうか。
しかし「本当は作れないけど、作れるつもりで考えてもいいよ」としても心が伸びやかにならない。「どうせ意味ないしな」といじける。
「本当に良いものなら、作れる可能性がある」としないと、情熱の火が灯らないのだ。
心をいじけさせると、創造の力がガクンと落ちる。というか生きること自体、だるくなる。
何にも楽しくなくなる。
これがハルカの国にまで影響する。創作が遅れる。
遅れを取り戻すため、より制限を加える。
すると心が――。
この負のサイクルを断ち切りたいのだ。

リフレッシュメント

番外編。
上記では色々やりたいことを語ったが、何時やるかは決めていない。
みすずとヒマワリの話はネームだけ一気に切った。それですっかり満足し、現状、ハルカの国に集中出来ているから手をつけていない。
良いリフレッシュになった。これこそ、我が輩が望む効果だ。

ではファンティアのコース追加は嘘で、番外編もただの妄想なのか。
それは違って、ぜひやりたい。
ただ月額有料コースなので、十分なコンテンツと、定期的な更新が必要とされる。
会員になってくれる方がいたとして、「損したな」と思うようなものにはしたくない。
なので、ある程度コンテンツを作ってから開始したい。
それが何時になるかは、まだわからない。もしかしたら来月頭かもしれないし、今年一杯は無理かもしれない。

とにかく、心苦しさを取り払い、今日明日の創作を生き生きとしたものにしたいから、ここにて発表させてもらう。

ファンティアにて有用会員コースをつくり、そこでは国シリーズの番外編や、「むこうがわの礼節」を発表する。ノベルゲームに限らず、漫画、小説、イラスト等、様々な様式で発表したい。

ああ、すっきりした。
これで自分の心中に、「無理」「駄目」「意味ない」と投げつけないで済む。
伸び伸びとしていられる。
どうもめんどくさくて、あいすみません。
こういう格好というか、形にばかり拘る癖、自分でも疲れます。
嫌んなります。
毎回、毎回、形に拘って、身動きとれずに、嫌になっちゃうヨォ!

なんてね。