ハルカの国 創作の記その12

ハルカの国、発表延期について

申し訳ありません。
ハルカの国、2019年内完成、零和元年での発表は見込めなくなりました。
大正・星霜編の発表。これが年末年始に出来る精一杯だと思われます。
これからも半年に一回、4~6時間程度の一編を発表していくのが限界かと考えています。
夏コミ後、創作方法を見直してみましたが、大幅な改善は見られず、クオリティを維持するためには上記したサイクルが精一杯だと感じています。

・「ハルカの国」創作の遅れ、その原因について

第一に、物語が予定したものより長大になっていること。
クラウドファンディング募集時点では8時間~12時間を予定していましたが、現状では少なくとも20時間、場合によっては30~40時間を要する可能性も出て来ています。
それに伴い必要素材の増加、作業の増加が発生し、それらに時間をとられている状態です。
シナリオサイズを抑え予定に間に合わせることも考えましたが、それでは物語の質が落ちることが明白であり、そのようなものを皆様にお届けすることこそ最大の背信行為と考え、発表時期の延期に踏み切らせて頂きました。
二つ目に、この度の作品から試みている表現方法が、以前の作品よりも格段に手間がかかるということ。
この度は「百年を体験してもらう」というコンセプトの下で物語をつくっております。そのために背景の作り込みには力を入れているのですが、普段からの勉強不足が祟り、今更学びなおしていかなければならないことが山とあります。
一つのシーンを描くにも幾つも資料にあたらなければならず、このためにシナリオ執筆が普段より時間をとられています。
満足できるまで資料にあたるという試みは「雪子の国」までも実践してきたつもりですが、この度は多くの事柄が「百年」という時間軸を通して変移していくため、それを追うだけでもかなりの労力を必要とします。扱っている、あるいはアレンジしている歴史的事象は専門的なことではなく、中高生の歴史知識があれば事足りるはずなのですが、当時の不勉強に足を引っ張られてしまっています。このような形で時間をとられることを歯がゆく思うと同時に、もっと勉強していればと情けなく思う次第です。
立ち絵やスチルといったビジュアル面での演出にも力を入れていますが、「明治期の役所はどういう様子だったのか」「大正初期に走っていた汽車の車内はどうだったのか」という知識の面で苦労し、これらを詰めていく作業でも時間をとられています。

シナリオが長大となったこと。
そのシナリオを描くこと、表現することに今まで以上に時間がかかっていること。
この二つの要因のために、全行程の半分にようやく差し掛かったかというのが進捗状況になります。

・優先順位

クラウドファンディングによる皆様のご支援を頂きまして、この度の「ハルカの国」創作は叶っています。
そこを思えば発表を先に伸ばすことは大変心苦しいのですが、「最終的に皆様のお手元に届く作品を価値あるものにする」ことを最大の誠意と考え、この度の決断に至りました。
最良と思える作品をつくり、それを出来るだけ早く皆様の手元に届ける。
当初から定めていた優先順位をブラさず、それを維持して創作していくことが、最低限の、かつ決して損なわれてならない誠意と考え、今後の指針として取るべき方向を決めさせて頂きました。

・サポーター辞退の受付

上記のように考えで発表延期に踏み切りましたが、ご理解頂けないこともあると思います。
発表延期に伴い、「今回はサポートを辞退したい」とお考えの方がいらっしゃいましたら、お手数ですがキャンプファイヤのメッセージにて「サポーター辞退希望」という旨をお伝えくださいませ。支援金返金手順の方法をお伝えさせて頂きます。

この度は私の力不足によって皆様にご迷惑をおかけしましたこと、深くお詫び申し上げます。
「ハルカの国」必ず良い物にして皆様のお手元にお届けしますので、もう暫くお時間を頂けますよう、お願い致します。

 

上記はキャンプファイヤの活動報告ページに掲載したもの、そのまま載せた。
内容を重複させて申し訳ないが、どちらかしか見ない方もいらっしゃるかと思い、二重にお知らせさせて頂いた。

発表の延期、力足らずで招いた結果、申し訳ない。
「完成してから一気に楽しみたい」と思われている方には、特別申し訳なく思う。
ただどうしても手が抜けない。シナリオも助長な場面は出来る限り削るが、物語そのものを目減りさせることは出来ない。表現も全力を尽くしたい。と言うより、全力が最低限。
手に負えない巨大な物語だ。少なくとも、我が輩のキャパでは収まりきらない。物語を書きながら、常に成長を要求される日々である。
正直に言ってしまえば、それがとてつもなく楽しい。自己能力の拡大を毎日のように実感できるのはとても興奮する。
この充実感が物語のクオリティに繋がっているのか、はたまた唯の感情か、早く皆様のお手元に「ハルカの国」を届け問うてみたい。
早く完成させたい。早く遊んで欲しい。早く感想が聞きたい。
その気持ちは大きい。
発表を延期して申し訳なく思うと同時に、我が輩も落胆している。いつになれば皆様に「ハルカの国」を遊んでもらえるのかとやきもきする。一つ一つの区切りをプレイして頂き、感想を送ってもらえることもある。大変嬉しい。励みになる。けれど思うのは「完成したらもっと凄いんです……! たぶん……!」ということ。
現状でも面白いと思ってくれている方。現状はまだ満足出来ていない方。完成するまで待っている方。何方様にも早く「ハルカの国」を遊んでもらいたい。自分が今作で試みたことが叶ったのか否か、早く知りたい。

一人で盛り上がっているだけ。自作品に対して熱くなっているだけ。そう分析する冷静さを忘れているわけじゃない。
しかしながら、我が輩はときめいているのである。
ハルカの国は、良い、かもしれない。
面白さでいえば、まぁそれなり。退屈で読めないというレベルではないと思っているし、そうならないようテクニックやセオリーも使っている。
しかし我が輩が期待するのは「面白さ」ではなく「良さ」。味わい深さみたいなもの。そういうものを付与することに成功している可能性がある。
自作品を味わい深いなんてどこまで自惚れてんだって話だが、自惚れてんだと思う。冷静じゃないのだと思う。けど冷静さを欠かせるだけの器が、ハルカの国にはあるような気もする。
完成させたい。
それで皆様に遊んでもらいたい。
我が輩が表現を試みる「百年」という器。そのなかで遊ぶ皆様の心がどんなものであるか、我が輩も早く知りたい。

必ず完成させます故、もうしばらくお時間を頂ければ幸いです。
大正「星霜編」は年末年始発表を目標に作成中でございます。

「読者に期待すんなよ」

夏コミから帰り道。大阪に寄った。
十年来の友人が四人いて、その四人と我が輩、五人組が久しぶりに集まり酒を飲んだ。
宅飲みである。
一人の友人宅に離れがあり、そこへ長机を運び込み、買ってきた大量の唐揚げと寿司とポテトチップスをひろげ、缶ビールや氷結ストロングで乾杯。
口の悪いのが好き放題言う。笑える。楽しい。
もう本当にそういう集まりは久しぶりで、買い出しの時から我が輩は感極まっていた。
翌日には皆で銭湯に出かけ、飯を食い、帰ってきては麻雀をして……本当に楽しい一時だった。至福の一時だった。
で、帰ろうとしたら台風で山陽線ストップ。
足止め。
「好きなだけ使ってくれてええで」という言葉に甘え、遠慮することもなく、友人宅で転がった。

優しい奴なのである。何も損得勘定で言うのではない。我が輩は本当にこの友人の心優しさを尊敬している。
ただ、とても素直な奴で、思ったことを率直に言う。「オブラートきらしてんで」と言うが、仕入れたこともないというのが正しいだろう。それで他人から誤解されてきたのを昔から見てきている。
その友人に「退屈やったらやってみる?」とハルカの国決別編をプレイさせてみた。
昔から創作物を見せているし、批評もしてもらってきたから、特別気負いはなかった。
どうせまたボロクソ言うんやろうなと、心の準備も出来ていた。
しかし、この度はそれを上回る衝撃があったので、紹介したい。
以下はLive感を出すために、当時の会話を再現する。

ゲーム開始
友「この演出とばせへんの?」
我「飛ばせんようにしてある、一応」
友「ど頭から作者のオナニーに付き合わされるのしんどいで」
我「オナニーかこれ」
友「プレイヤーに選択権ないのオナニーやろ」
我「そうかなぁ」
友「なげー!」クリック連打。
我「お前見る気あんのかよ」
本編スタート
友「メッセージ速度どこで変えんの?」
我「その隅のやつ。遅い?」
友「一瞬でパッと表れてくれんと遅いわ」
もの凄い早さで読み進めていく友人。
友「この会話ってなんの意味あんの?」
我「会話自体に意味があるっていうか、会話におけるお互いの間合いとか踏み込みとか、距離感が重要なんだけど、一応」
友「そんなもんわかるんかなぁ、読者に」
我「文字だけじゃわかんないかもだけど、表情とか見たらさ、こいつ何思って今の台詞言ったのかなとか、考えん?」
友「表情とか見てないで」
我「え、立ち絵見てないの?」
友「文字読んだらクリック押すやん? そしたらノータイムで次の文章でるから。顔とかいちいち見てないで」
我「いや、だってこれ、ノベルゲームだぞ? 立ち絵だって表現の一つじゃん」
友「文章と顔が離れてるから目に入らんわ。文字読むのに忙しくて」
我「ノーウエイトで文章表示すると、顔見る時間ないのか……。そう考えると、表現の前提が崩れるな。表情見てもらえてると思って、描写も削ってるし」
友「文字でも書けば?」
我「いや、書くと俺の表現じゃなくなる……」
友「いちいち書きたくないってヤツ? お前、ずっとそれ言ってるけど、書かないってことは与えてないってことじゃん? 与えてないもの期待して、それ前提の物語ってどうなん?」
我「与えられたら想像力もそこで働かなくなるだろ? 読者の想像を促すのが物語じゃん。物語の本質ってこのゲーム画面とか、書いてある文字とかじゃないんだよ。読者の感情とか、想像力なんだよ。それを物語で矮小にしたくないの、俺は」
友「自分で考えろってこと? そんな真面目に物語読むんかなぁ。そんな疲れることするかなぁ。もっと楽に読みたいけどね、俺は」

そこで言われたのである。

「お前ってさぁ、読者に求め過ぎちゃう?」
「お前が思ってるほど読者は真面目に見んで」
「読者に期待すんなって」
「そりゃお前のファンとかなら一生懸命見てくれるかもしらんけど、お前が求める新規はまともに見んって。俺以下と思うよ、集中力。ばーって見て、おもんなって思ったら、即止めやろ」
「実際、この会話見て、俺は別に引き込まれんかったからな。もうちょっと考えた方がええんちゃう? なんかギミックみたいなの」

そのギミックが立ち絵なんだよ! 飽きさせないように一つ一つ表情や仕草ふってんだろ……! とむかっ腹が立ったが、それが機能していないという話。
テキストノーウエイトだと表情が見辛い、見ていないという可能性を知り、驚愕した。
よくよく周りに聞いてみると、ほとんどノーウエイト派。「立ち絵見てる?」と尋ねれば、「よっぽどの時は見るけど、あんま見んな」という返答。
膝から崩れ落ちる思いがした。

もしかして皆そうなの?
立ち絵、滅茶苦茶時間かかってんのに……。

しかしそれは作者の都合。かけた時間に合わせて読者が気を配ってくれるわけではない。
どうにかノーウエイトで読んでも表情が目に入る仕組みを作れないか。労力に見合う結果を引き出す方法はないものか。
台詞と顔を近づける――吹き出しを使うというのはどうだろう? ハルカの国での採用は難しいが、今後はそういうことも考えていかなければなるまい。

テキストノーウエイトによる、立ち絵への意識配分低下。
新たな画角からの問題点に、目から鱗の瞬間であった。
ムカついたが、得る物は大きかったと思う。良薬口に苦しと思い飲み込んだ。
苦くとも良薬を施してくれるのだから貴重な友人である。そもそも我が輩のゲームをプレイしてくれるのだから有り難い。少なくとも国シリーズは全部遊んでくれている。我が輩だったら興味ないものを何時間も絶対やらない。

こだわっても、こだわっても

「誰も俺のこだわりなんて見てくれてないのか」
気落ちすることは多々ある。
我が輩は「ザコの思考回路」と見下すのだが、それでも「あんなに頑張ったのに」「あれだけ時間かけたのに」と思ってしまう弱い心もある。
だからこそ、時折頂ける感想に、「あそこのあれが良かったです」などと書かれていると、「おお見つけてくれた……!」と飛び跳ねるほど嬉しい。
感想に一喜一憂するのは良くないと思っているが、あの嬉しさは抑えがたい。

ハルカの国・越冬編での小ネタ。
最後、梅が柱にしがみついている。そこで握っているお手玉は、かつてカサネが着ていた着物をほどいて作ったもの。祖母がいなくなって寂しがる梅に、母がせめてと思い作ってやったのだ。だから、お手玉の柄とカサネの着物柄は一致している。お手玉からは懐かしい祖母の匂いがして、梅は寂しくなるとお手玉で遊ぶ。
これに気づいた方がいて「そうなんですか?」と尋ねてもらえた時は嬉しかった。「意味なくない! 意味なくないぞ!」と自分の試みていることに自信をもてた。
気づいて欲しい、というわけじゃない。
そういうものを散りばめて、「さぁ何個見つけられるでしょうか」なんてことをやっているわけでもない。
ただ「きっとこうなんだろうな」という必然性が我が輩の中にはある。それをサボらず表現していくことが世界観の構築に繋がると信じている。
しかし面倒は面倒で「どうせ誰も見てないならサボろうかな」という思いもたまには湧く。立ち絵だって「見てないならちょっと手抜こうかな」と思ってしまわないでもない。
それでも「いや、ちゃんとやろう」「狡いことはしまい」と思い直せるのは、誰かに気づいてもらえる、この瞬間があるからだろう。
もう少し心を強くもちたいが、なかなか叶わず、皆様に助けられながら運良く今もやっていけております。
感謝。

次回の進捗報告では、ファンティアのコース追加などについてお知らせ出来ればと思います。

“ハルカの国 創作の記その12” への2件の返信

  1. 明治決別編をプレイさせて頂きました
    越冬編以上に辛い描写が多い…
    そして越冬編以上に負けてしまった者達への描写が重い
    しかしながらそこに重力的な魅力があるなぁと

    今回ユキカゼとハルカのほかに印象に残ったサブキャラが3人いました

    まず一人は化けに襲われた水夫
    彼はせっかく命拾いしたのに奪われた荷を取り戻すために
    また山に戻ってしまいます
    現代人の価値観からすれば「愚か」の一言でしょうが
    人の命が現代より軽い時代ならではの「あの荷はおらの命そのもの」という台詞は何よりも説得力がありました
    立ち絵こそなかったけど、嘆き叫ぶ彼が描かれた一枚のスチルと山に戻る後ろ姿の絵は見ててかなり胸を締め付けられました…
    そして結局はその命を散らす羽目に…
    事情はかなり違うのですが現代のワープア問題ともちょっと被った印象を抱いたりもしました

    二人目は猪の化け
    どういう経緯で生まれ故郷を追われアカハギに呪いを植え付けられたかはわかりませんが
    暴れまわってる時はただただ不気味かつ恐ろしくて
    死に際はただただ哀れでした
    「何故こさえた」という最後の嘆きが本当に哀しくて
    そこでユキカゼがちゃんと悲しんでくれたのが読者的にも少し救われた気持ちになりました

    三人目はもちろん五木
    今作は彼の物語ですね
    圭介やハルタに通ずるような人格の持ち主
    能力はそれなりに高く、一見すると飄々としてるのに
    根っこの部分はとんでもなく不器用な男
    五木自身は妻と娘が亡くなった時に、自分の存在理由を無くしてしまったのかなと思いました
    存在してたかも怪しい幻のような妻と娘と言ってしまうほどに
    ただ妻が生前に娘に言った「お父様を国を良くするためのお仕事をしてるのよ」という言葉が
    五木に対するある意味での呪いの言葉になったのかなと
    仲間に咎められても、上層部にいる敵対派閥から睨まれるハメになっても五木は意見を曲げませんでした
    ただ見方によっては自暴自棄になっていたのかなと
    しかし自暴自棄でもあるけど頑なに意見を曲げなかったのは
    「国を良くする事」が幻のようだった妻と娘がちゃんと生きていた証になると思って行動していたのかなと推測しました
    妻が娘に言い聞かせてくれた言葉にすがれば、彼女達が幻でなかった証明になる
    五木が飄々とした態度の割に頑固で自暴自棄に見えるのもこういうことだったのかなと自分は解釈しました
    そしてユキカゼとハルカに出会う事によって
    自暴自棄になってた心は少しずつ変わっていって…
    最後は涙でまくりでした
    やっぱ五木は裏切って無かったという嬉しさと
    ああもうどうあがいても五木は死ぬんだなという悲しさ
    ユキカゼの如く涙がボロボロでましたよ
    国シリーズにあの世というものがあれば五木には奥さんと娘さんと是非再開してほしいものです…

    ユキカゼについては感情が豊かでいいですね
    あとKAZUKIさんは可愛くないといいますが普通に見た目可愛い
    ただ泣き顔が不細工、でもそこも好き

    ハルカも今回で感情を爆発させたのが驚きました
    ただハルカが思ってる以上にユキカゼの存在がハルカの中で重要な存在になってるんだなぁと
    悲しげに呟いた「私は冷たい女などではない」って台詞が今後のキーワードになりそうな

    以上で駄文長文失礼いたしました

    1. 感想、ありがとうございます。

      深く読み解いて頂いて、とても嬉しいです。
      特に五木への理解は、彼と向き合ってきた自分にとっては特別嬉しいものがあります。
      五木が何を考えているのか。
      考えていることをどう態度に出すのか、あるいは出さないのか。
      考え続けた回でした。
      「こういうもんだ」「こう考えているんだ」という自分の解釈や人生経験で、彼を矮小なものにしてしまわない様、心がけたつもりではあります。
      そういった人物が読者の方に受け入れられ、また想像力によって満たしてもらえたのですから、嬉しさは一入です。
      最後は僕自身、「これで五木とお別れか」という思いがあり、数ヶ月心を通わせた相手だけに感慨深いものがありました。

      今までの作品とは違い、この度の「ハルカの国」は中心となる人物が大人であるために、感情の現れ方や、表現の方法が率直ではないものがあり、難しさを感じています。
      ですがそれこそ今回挑戦と思い選んだものなので、これからも試み続けようと思っています。

      最後までお付き合い頂ければ、幸いです。

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