酒に願いを

どうでもいいかもしれない報告。
七月、Twitterで呟きまくっていた。
月、三百回のツイートを目指して呟いていたが、今は止している。

理由はスマフォから送られてきた報告書で、なんとSNSの起動時間が前月比較で500%を超えた。時間にして、一日平均二時間、Twitterを眺めていたことになる。

二時間、目を皿にして眺めていたわけでもないだろうが、暇があればTLを弄っていたような気がする。先ほどの呟きに反応があっただろうか、どうだろうか。そんなことが始終気になっていた。

SNSと上手く付き合いたい。
出来ることなら一方的に利用したい。大した時間も労力も割かず、最大限の旨味だけ享受したい。
そんな腹づもりだから毎度失敗するのか。
今後、どう付き合っていくべきなのか。今も思案中である。
とりあえず、現状は知人の勧めで携帯からはアプリを消している。
見ちゃうから。

ちなみに。
呟きまくった結果としては、先月比較でフォロワーが十人増えていたが、それが呟きまくった効果なのかは謎。
呟く結果を測定しようと、Twitterアナリティクスも活用してみたが、いまいちわかりませんでした。

Twitterとの付き合い方。向き合い方。もう一度、勉強し直し、作戦を立て直して、再度挑ませて頂きます。それまで、しばらく。

酒、飲まずにはいられない

本日より消費税が上がった。
酒類は10%ということで、酒飲みの我が輩には面白くない。
と言って、買いだめはしない。
まとめて買えば、まとめて飲む。煙草の時もそうだった。
Twitterにしろ何にしろ、目の前にあると辛抱がきかない性質である。

我が輩が好きな酒。
近頃、若い人は呑まない人も多いと聞く。
中には飲めない人もいるだろう。
しかしこの度は酒にまつわるよもやま話をしてみたい。
酒の席での失敗、酒が暴く人間性、酒への哲学、最後には酒にこめた我が輩の願いを語ろうと思う。
かなりしょうもない話なので、聞き流す程度でよろしく。

犯罪的な酒

酒で過ちを犯した話ではない。
失敗は多く重ねてきたが、まだ手が後ろにまわるようなことはしていない。今後もしないつもりではいる。
話したいのは酒との出会い。
皆様はいつ頃酒と出会っただろうか? 「あ、飲んでみたい」と喉がなるような体験。これを酒との顔合わせとするのなら、それはいつ頃だったか。
覚えていらっしゃるだろうか。

我が輩は克明に覚えていて、十八歳。
友人宅にて「カイジ地下チンチロ編」、あの名シーンを見つけた時である。

「うまい」
「うますぎる」
「犯罪的だ……」

国民的知名度を誇るシーンであるから、詳しい描写は割愛する。
当時はビールの味なんてわからない我が輩でも、喉がかーっと乾いて、ごく、と思わず鳴った。
良いシーンである。素晴らしい。
そんなシーンに促され親父のを一本くすね、ごくっと――したかどうかは濁しておく。記憶が定かじゃないことにしておきたい。

我が輩、何でも追体験、要するに「ごっこ遊び」が大好きで、これが三十路を越えた今でもなおらない。
自分の体験と思うより、漫画のあのシーンの真似事、映画のあのシーンの真似事、あのキャラが食べていたもの、あのキャラがぐーっと一気に飲み干したもの、それを自分も――という思いでやるのが一番旨い。
近頃じゃ自前の物語にあてこんで、ユキカゼが、ハルカが、とありもしないシーンを作り出しては、その幻を追体験して楽しむ。
思えば酒や飯ばかりでなく、どんな体験も「誰かの追体験」と思うことにリアルというか、充実感を感じてきた。旅行をするにしたって、自分を他人に見立て、たとえば美鈴、たとえばハルタとして、その道中を味わうのが何より楽しかった。
それがこと食、なかでも酒となると、自分が飲んでいるのでなく、誰かが飲み干しているところを想像し、それを我が輩も体験出来ているのだと思うと、とてもとても旨く感じるのだ。
だから落語など見ては台詞を覚え、所作を覚えて、一人酒を飲む時に繰り返す。

「暑気払いに一杯どうです、まっ、ぐっと空けて。駄目駄目、中身があるの戻しちゃ面白くないよ、さぁお空けなさい、お空けなさい」
「じゃあもうこれっきり。これが最後。ね? あたしも次があるんだから、酒の匂いさせて入っていたんじゃ塩梅が悪いよ――」

独り身が祟るとこういうことをやる。皆様も気をつけられよ。

真似事ばかりが楽しくて、酒の味はしばらくわからなかった。
口が甘党だったから、ファンタの方が有り難かったくらい。
けれど23、4を過ぎた頃から、「暑い時の一杯目だけはビールがうめぇな」と思えるようになり、26に北海道で働いてから「焼酎飲まないと寒くて寝つけない」となって、30過ぎると「白い飯より酒がいいなぁ」としっかり舌と喉が酒飲みになった。

ビール、焼酎、日本酒。ここらを主にやる。
ワインも嫌いじゃないが、チャンポンすると他所の酒を嫌って飲み合わせが悪い。必ずもどす。ウイスキー、ブランデーは駄目。飲み方がわからない。泡盛は沖縄時代、骨の骨髄液を泡盛に変えられるくらい飲んだのでもういい。

皆様が好きな飲み方はなんでしょうか?
我が輩は刺身と日本酒が一番。日本酒のなかでは岩手の南部美人が最高。
山口の獺祭は甘すぎてお飯には合わない。

酒からの尊敬と、反面教師

我が輩、かなりお調子者なので、酒の席では幾度も失敗してきた。
職場の先輩にからみブチ切れられたことも一度や二度じゃない。
その度、他の先輩が間に入り、我が輩と一緒に謝りにいってくれたり、謝罪の場を見繕ってくれたりと、世話を焼いてくれたもの。
渡る世間に鬼はなし。
心優しい方々のおかげでやってこれたとつくづく思う。

「酒の席でのこと、素面にまで持ち込むなよなぁ。鬱陶しい」とふてくされていた、若い頃の我が輩。そういうクソガキを引き連れ、一緒に頭を下げて回ってくれた兄(あに)さん。当時三十二で、我が輩も同じ歳を数えたが、未だにあの背中に追いつけてないと思う。

「俺は面白いと思うけどね、お前のこと」
「ああいうノリ好きよ」

こっちの顔も潰さなかったあの笑顔、いつか物語で使わせてもらいます。

逆に「こいつは駄目だな」と思ったのが中年女上司で、とにかく若い男に恥をかかすのが愉快でたまらないという厄介なのが一人いた。
奴の手口はこうだ。
まず女子によって自陣のファームをつくり、そこで「○○ちゃんはほんと気がきいて良い子」「お母さんの教育がちゃんと出来てるんだねぇ」と褒めちぎる。そうやって子分を可愛がる姐さんを演じるだけなら害も無かったが、この後がいけない。
「それに比べてさー、男どもはほんと」「息子って母親が可愛がるでしょ? だから男って社会に出ると全然役にたたないのよね」とファームの柵向こうに生息する雄どもをくさし始める。
遂には一匹を「○○ちょっとこっち来て。あたしあんたに言いたいことあるから」とファームの真ん中に引きずり出して裁判にかける
ここから手下の女子と比べてお前はどうだとか、年上なのに、男のくせにと、好き放題やる。
これに捕まると飲み会中絡まれるので、「牧場主が柵かこい始めた」となれば男連中、協力して背中を向け、とにかく内輪で盛り上がって「聞こえてませーん」「もう酔っ払ってまーす」という態度を突き通した。
どうしてこうも意地が悪いのだと、我が輩は不思議に思っていたのだが、ある日謎は解けた。
彼女はそういう風にしか若い男と絡めなかったのだ。
もっと言えば、若い男女が自分をおいてワイワイやらないように、男と女というジェンダーを使って二元的な対立構造を早め早めに作っていたのだ。
時折、この二元対立の構成に失敗した彼女を発見すると、飲みの場が盛り上がってしまえば何処の輪にも入れず、別に入りたくもないですという態度で、スマフォと手帳を開いて忙しそうに見せていたもの。
そういう姿を見ていると、切ない気持ちもした。

酒は人の本性を明かす。
酒によって人を知り、酒によって人を学んだことも多い。
酒を飲んでなおほがらかでありたい。普段はほがらかなのかと問われれば、大してそうでもない。ただほがらかな人にはいつも憧れる。
酒をのんでなおきりっと引き締まり、緊張感を失わない人も格好いい。
酒を飲めばほやっと花開くような人は可愛い。
酒を飲んで煩い奴は多少遠慮したい。
酒を飲んで攻撃的になるのとは距離をおきたい。
我が輩は笑い上戸で、饒舌にもなり、やや煩い。

酒に言い訳

言い訳をして飲む酒がまた旨い。
罪悪感を覚える酒。
これが味わい深い。

大阪。
平日の昼間から新世界あたりでハシゴするなんてのは、落伍者の気分が味わえてすこぶる楽しい。
ジョーに隠れて酒を飲む段下段平の真似事などすれば、実にきまる。

へへ、すいやせん。
と誰にともなく謝りながら酒を飲む。酒を飲む度、「ふへへ」とこそこそ笑う。こういう酒は旨い。

暑いから暑気払いに飲む、寒いから酒で温めて寝る、桜が咲いたから飲み、月が丸いから飲む。
嬉しくて飲み、悲しくて飲み、寂しくて飲む。
笑いによし、涙によし。
およそ人間が口にする言い訳に、酒が似合わないものがない。
貴賤問わず、ハレにもケにも酒は合うものだ。

飲まなけりゃ飲まないで生きていけるものをそれでも飲むのだから、やはり言い訳は必要なのである。
その言い訳が情けないほど酒の味が増す。これが不思議なところ。
頑張った酒は確かに旨い。しかし頑張ってないのに飲む酒は一層旨い。
褒美ではなく、前借りで飲む酒。これを旨いと思うところに、我が輩の落伍者としての才能を垣間見る。
しかしそうなのだから仕方ない。

皆様はどんな言い訳をして酒を飲むだろうか?
この言い訳に、貴方の本性が隠れているかもしれない。

我が輩はよく「薬飲もう、薬」とビールをあける。
酒は百薬の長という。そういう言い訳を引っ張ってきて、「薬飲まなきゃ」と酒を飲む。
アル中ではないと信じている。

酒に願いを

「国シリーズ」が完結した暁には、そこまで付き合ってくださった皆様と酒を飲んでみたい。
飲んで色々、語りたい。
方々、訪ねて行ってあっちでこっちで酒を飲んでみたい。

実際、そういうことをするかどうかは置いておいて、そういう夢をもっている。

「友達と飲みたい」「皆と飲みたい」「旅行に行って飲みたい」「運動した後、銭湯に行って飲みたい」「作品書き上げたら飲みたい」「口の合う女性と美味しいお酒を飲みたい」「いつかまた会って飲みたい」

三十路を過ぎると、描く夢がいちいち酒気を帯びる。ノンアルコールじゃ味気ない。
別れの挨拶も「また会いましょう」でなく「また飲みましょう」。これが大人になったということなのか。

酒以外に楽しいことはないのか。酒がなければ人と繋がれないのかと問われれば、そうではない。
しかし酒は楽しみをより芳醇にし、人との関係に艶をもたらすと我が輩は考えている。
まぁ単に我が輩が人と酒を飲むのが好きだ、という話なのだけれど。

酒は世界観で飲む、と言う。
我が輩が今、考えた。けど、そうだ。
酒は酒だけで完成しない。
酒を飲むまでの文脈、季節、酒を飲み交わす人、聞こえてくる喧噪や音楽、店の雰囲気であったり、目の前の食事であったり。
あるいは飲みながら胸に抱える夢や希望、未来像であったり。
様々なものが〝酒〟を醸す。酒という世界観をつくる。
これに酔うのが楽しい。

酒に願いを。
皆様の思い描く最上の酒とは、どうなものでございましょうか。
我が輩はとりあえず、「国シリーズ完成」の暁に飲む酒を至上と思い、日々励んでいる。

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