「他人に決められることの危険性」

月初めのブログは時事ネタをやりたかった。
過去形なのは今回、叶わないからだ。八月ということもあり、こうの史代作品を読み直したということもあり、原発ネタをやろうと資料を集めていたのだが、まとめきれない。

ブログを書こうとする度、いかに自分の中で考えがまとまっていないか、自分に持論とも言うべき考えがないかを痛感する。と言うより、以前まで持っていた考えを、この頃、棚卸しすることが多い。時勢が代わり、我が輩もまた年を重ね、以前の衣服では姿見に映る己の容姿に耐えられなくなってきたようだ。
好きだったものとも、近頃は距離を置く。何事も相対化して、大きく捉えすぎていたものをリサイズする。見捨てていたものを拾い直す。そんなことを繰り返している。

そんなわけでこの度は資料のいらない手癖で書ける内容に甘んじた。
甘んじたが、我が輩にとっては割に大切なことを綴ったつもり。
題目は「他人に決められることの危険性」。
我が輩が大切と思うこと、そう思うに至った経緯、大切にすべき理由、大切にしなかった際の危険性を語る。
皆様も持論と照らし合わせ、比較し、楽しんで頂きたい。

「この程度でいなさい」

幼稚園に通園していた時分、バスに乗っていた。
その際、座席は決まっていなかった。
自分がどの席に座っていたかまでは覚えていないが、どの席に座りたかったかは覚えている。
一番前の席。タイヤの形にそって、一段、周りより高い。
隣には引率の保育士も座るし、我が輩には特別な席に見えた。周囲もそういう目で見ていたと思う。
その席に座るのはリーダー格の男の子で、迎えの順番からいって、我が輩がバスに乗ると必ずそこには彼が居た。

ある日のこと。
バスに乗ると、その彼がいない。タイヤの席が空いている。
風邪か何かで休みだったのだろう、バスの中にも姿はなかった。
我が輩はすぐにタイヤの席に駆け上がり、一段高いその席へ飛び乗った。座り心地が良いなんてことはなかったと思うが、念願叶ったのだからご満悦である。
ご満悦であったと思う。
正直、そこらの感情は記憶していないが、その直後の感情はよく覚えている。

我が輩がタイヤの席に座っていると、引率の保育士がやってきて我が輩を席から降ろした。

「ここは○○くんの席でしょ? ■■くん(我が輩)はいつもの席に座りなさい」

我が輩は「○○は休みだから今日は僕が座りたい」と願った。しかし聞き入れてはもらえなかった。我が輩はいつもの席に座り、タイヤの席は保育士の隣で空のままバスは園に向かった。
途中、乗り込んでくる子供たちは空になっているタイヤの席をチラリと見るのだけど、我が輩のように飛び乗ることはしなかった。
繰り返すが、バスの中で座席が決まっていたなんてことはない。友達が乗り込んでくる度に、席を移動しても咎められることはなかった。

後々考えると、あの保育士には保育士なりの考えがあったのだろう。
例えば、我が輩がその特別な席に座ったことが後に伝われば、安定状態にあるヒエラルキーを乱すことになり、クラスに火種を抱えることになるだとか。
だが当時の我が輩はそんなことまではわからず、何故自分があの席に座らせてもらえないのか、悔しいような、情けないような気持ちを抱いて、空のままになっているタイヤの席を眺めていた。
あの時の感情は三十二になった今でも思い出せる。
「クソつまらん」
周りから一段高い、特別なあの席は他の誰かのためもので、自分はそこに座らせてもらえない。自分は特別じゃない。そんな事実を、顔に貼り付けられた様にも思えた。

小学校。
Jリーグの発足で、俄にサッカー少年が増えた頃のこと。
体育でサッカーがあった。当時、我が輩も鹿島アントラーズのファンで、ジーコとアルシンドの外国人コンビに夢中。と言って、サッカークラブなんかに所属していたわけではない。
スイミングスクールには通わされていたが、どちらかと言えば運動は苦手だった。
けれど、その日は何故か張り切っていた。前日にアルシンドあたりが豪快なゴールを決めていたのかもしれない。

団子になっていた集団からボールが零れ、我が輩の足下に転がった。
いつもだったらスポーツ得意集団に蹴り返して終わる。けれどその時はドリブルをしてゴール手前まで運び、シュートをした。
ボールは外れたが、悪くないシュートだったと思う。
けれど集団の中から一人が歩いてきて、我が輩に言った。

「サッカー部じゃないのにシュート打つなよ」

どうやらシュートを打つ権利というものがあり、それはスポーツ得意集団にだけ属しているもので、我が輩にはなかったらしい。つまり越権行為を我が輩は咎められたのだ。
お前は中心メンバーじゃないんだから、ボールが回ってきたらこっちに蹴り返せ。
そういうニュアンスをクラスの中心人物から告げられてしまい、その後はボールが転がってきたら逃げ出していた。
以後、長いことサッカーは嫌いだった。

中学生。
小学生から仲の良かった友達がヤンチャをしていたので、自然、我が輩も不良グループに属していた。不良、と言って特別悪いこともしない。ただ周りの生徒より服装を乱し、胸元のボタンを一つ多く開け、禁止されていた整髪料なんかもつけ、中には勇気を振り絞ってピアッサーで穴を開けている仲間もいたという程度。
要するに周りより一足早く色気を気にしていたマセガキの集まりという程度である。
余談だが我が輩は耳朶が人の二倍は厚く、後年、穴を開けようとしたところ、ピアッサーが貫通仕切れず、耳たぶに釘が打ち込まれたような状況で止まってしまった。看護師だった母親の力を借り貫通させたが、自分の耳たぶが一般商品の枠外、想定外にあることを初めて知った。恐らく、庵野秀明並に耳たぶが厚い。

で。
そんなマセガキ集団にいたところ、ある年のクリスマスイヴ、つまり冬休みの前最後の登校日、先輩から神社に呼び出され、仲間の一人と一緒にボコボコにされた。
「調子にのるな」とすごまれて、「調子にのってすみません」と謝らされて、その後、何故かカップ麺を奢ってもらい真冬のコンビニの駐車場で食した。それで帰り道、「あの人結構、いい人だよね」なんて腫らした顔を付き合わせ、お互いを納得させていたのだから罪のない子共だったと思う。

冬休みが明けてからはボタンも襟元まで閉め、先輩の前では少しおどおどしてみせ、ようわからん内輪ネタに爆笑しては、相手の虚栄心を満足させることに生きがいさえ感じていた。

22の頃。
仕事で沖縄八重山諸島に居着いていた。過去ブログで語ったことがあるので詳しくは書かないが、水牛車を操り、観光客を相手にガイドをしていたのである。キリンの国をプレイしたことのある方は、ウルマを想像して頂ければわかりやすい。我が輩はあれを沖縄でやっていた。

リゾート勤務、観光地でのシーズナルワーキングというのは、ほぼ余所者の集まりから出来ている。若い連中が金欲しさ半分、遊びたい半分で集まるような職場だ。

週に一度、島の若者が集まってバスケをする機会があった。我が輩はスラムダンクの三井寿に憧れていた過去があり、高校当時は部活にこそ所属していなかったが、仲間内でやり込んでいた。また当時は集団の中でも若く、体力も他と比べればあって、島のバスケでは目立つことが出来ていた。
今思い返せば、三十そこそこの面々が多く、またバスケ後の飲みがメインだったので、我が輩以外は軽く流す程度、ビールを飲むために汗をかくのが目的くらいの中で、我が輩一人がガチ勢というか、一人だけシャキールオニールだったのだと思う。(このネタがわかる貴方はきっと我が輩と同じオッサンだ!)

ある日。
いつもとは違うメンバーがやってきて、千葉県から徒任してきた小学校教師だとかで三十がらみの男だったと思う。オリエンタルラジオの眼鏡をかけている方に寄せたワッキーみたいな容姿で、明るく社交的であり、すぐに皆と打ち解けていた。
ただ我が輩は若干、「ん?」と思うところがあった。
出会った次の瞬間から、年下連中にはタメ口で、プレイ中、仲間へやたらと指示を飛ばす。
「ボールまわして。時間かけてゆっくり攻めよう」とか「そこマークついて、フリーにさせないで」とか「一回こっちにボール戻して」とか。
皆も「?」という困惑が頭の上に浮かんでいた様に見えたが、大人しい連中は指示に従う者もいた。
プレイが進むと、空気が重苦しさをまとうようになっていった。
その最中に、我が輩と千葉県が同じチームになる。
試合が始まると千葉県はやはり指示を飛ばすのだが、我が輩は仲の良かった二人と波長を合わせ、いつも通りのプレイをしていた。レブロンだ、カーメロだ、ウェイドだとNBA選手の真似事をしては若さに任せた全力プレイで楽しんでいた。その中心に我が輩がいた。

バスケにはトランジションというものがあり、要は攻守の切り替えしを差すのだが、これを素早く行うと素人バスケでは巨大なアドバンテージをとれる。と言うより、守備のコードが存在しない即席チーム対決においては、これだけで圧勝出来る。バスケと言うよりシャトルランになるのだが、そもそも技術も戦略もない素人集団。とりあえずリードを奪い、後は同じチームのメンバーが退屈しないようにパスを回し、シュートを打たせては桜木花道の真似事をしてリバウンドをとる、というのがいつものプレイだった。

そんなプレイをいつも通り繰り返していると、背後から怒声が聞こえた。

「一人で走んなよ。お前だけでプレイすんなよ」

千葉県が自陣に居残り、こっちを睨んでいる。
我が輩は怯まなかった。
我が輩は人を見て態度を変えるタイプなので、千葉県のことを「うぜぇオヤジ」としか見ていなかった。
は? 俺だけ? 周り見ろよ。ゴール下に残ってんのお前だけじゃん? 皆ついてきてるしな。お前がデブだからついてこれねぇんだろ?
てな具合で我が輩は仲間内と肩をすくめ、無視したまま試合を終えた。

休憩中のこと。
いきなり轟音が響き、座っていた我が輩の隣にボールが跳ねた。見ると千葉県。どうやら我が輩に向けてボールを蹴ったらしい。

え? こいつバスケボール蹴ったの? 俺に向けて?
大人だよな? て言うか、小学校教員だよな?

あまりの予想外に一種の混乱状態に陥り、我が輩は時を失ってしまった。すると向こうがこちらに向かってくる。混乱状態の我が輩は本能でか立ち上がり、さっと一歩、飛退いてしまった。飛退いた足が着地するより前に後悔が噴き上げたが、遅い。

うわ、俺、あんなオッサンに脅されて逃げてんの?

胸の内が真っ赤に染まった。
千葉県がそのまま向かってきて喧嘩にでもなっていれば良かったのだが、周りが止めに入り、事なきを得た。しかし我が輩の心中は事なきを得なかった。
その後、千葉県はたまに顔を出すことがあり、我が輩は気にしないようにしていたが、いつも体育館のドアが開く度「あいつかな……」と暗澹たる気持ちを抱くようになった。
千葉県がいる時は、どうしても速攻が出来なくなった。千葉県がいる時といない時でプレイの変わる自分が情けなく、結局、我が輩の方がバスケ倶楽部からは身を引いた。
それもいきなり止めると格好悪いから、楽しいと思えなくなってからもしばらく続け、その中で「シフトが変わりそうだから、参加出来なくなるかも」と布石というか、体裁を整えてからでないとやめられなかった。

敗北の代償

座った席を降ろされ、シュートを試みると注意され、オシャレに走ると殴られる。バスケは走るなと怒鳴らされて、それでも走っていたらボールを蹴られた。
これらの経験において共通するのは、我が輩がポジショニング争いで負け続けてきたということ。
我が輩にはやりたいことがある。「こうでありたい」という自己像がある。
他人にも我が輩に「こうであって欲しい」という像がある。
その二つがぶつかり合い、争いに我が輩は負け、その場を譲ってきた。譲り続けてきた。相手に「お前はこういうもんだ、この程度でいいんだ」という形を決められてきたのだ。
これは苦しい。
辛い。

最後の千葉県に関しては、今でも後悔がある。何故、ボールを蹴られた時、ブチギレなかったのだろう。飛退いてしまったのだろう。警察に捕まってもいいから、大立ち回りをしてやれば良かった。せめて「文句あんのか落花生野郎」ぐらい言い返してやれば良かった。
情けない、ほんとに情けない。自分に責められ、憎まれながら暮らすというのは精神衛生上とてもよろしくない。

千葉県の一件で、我が輩は「ポジショニング争い」における「敗北の歴史」を強烈に意識してしまうようになり、その後の人生が変わってしまった。
とにかく「逃げる」ことを許せない。頭の中で選択肢が浮かぶと、「嫌だな」、「やりたくないな」と思う方へ自分を突き落とすような癖がついた。

沖縄の仕事が終わった直後、我が輩は英語をまったく喋れないのに海外留学、現地ホームステイを決め、貯金の七五万だけを頼りに海を渡った。あまりに英語が喋れないので関税で別室に連れて行かれ身体検査を受けた。国内線の飛行機では出された水がやたら変わった形で、「飲みにくいなぁ」と思いながら飲み干した。すると隣の客がナッツを食べた指をそれで洗った。(フィンガーボールだったのだ!)
その後も英語が喋れな過ぎてマックの注文中に逃げ出したり、「海外では携帯電話がパンと同じ感覚で手軽に買える」という噂を鵜呑みにしてショップに向かい、ウダウダとやった挙げ句「喋れるようになってから来い」とたたき出されたりと、散々な目にあう。
最終的には生活に不自由ないほどには英語も喋れるようになったし、色々経験も出来たから良かったと思っているが、それは所詮結果であり、我が輩にとっての本質はそこではなかった。

逃げる自分を許せない。他人に「この程度でいなさい」「お前にこれは出来ない」「するな」と言われ、その通りに従う自分を許せない。
「許せない」という怒りにかられ崖から飛び降りる。その刹那的行為が本質であり、飛び降りた先に何があるかは問題ではなかった。
我が輩は沖縄の果てで傷つけられた自己像を取り戻すために、その後数年、恐らく二十代の全てを使って「俺はびびってねぇ」ということを証明し続けなければならなかったのだ。
その過程で北アルプスの山小屋にこもり、北海道の酷寒に耐え、大阪にて借金の取り立て、担保の差し押さえという経験を積み、それらは確実に今の我が輩に貢献しているのだが、やはりそれらは副産物であり、本質ではない。

若かりし頃。
我が輩は他人に変えられてきた。
他人が主人公の物語のなか、良きモブであることを求められ、それに応えてきた。
それに耐えきれなくなり、自分を取り戻そうと決めた時、自己像への巨額な〝借金〟があることに気づかされた。
それを返済するのに長い年月がかかり、あらゆる面で莫大なコストを支払った。

我が輩にボールを蹴った千葉県。
奴に挑むだけで、いや一歩飛退くことさえなかったら、我が輩はこんな苦労をせずに済んだはず。
それを思うと、自分の人生に後悔はないとは言え、自己像を裏切ってしまう代償の大きさには戦く。
今でも病的なほどに「~して」と命令されるのを嫌う。この性格のせいで損をしたことも沢山ある。我が輩がモテない、ある程度の仲になったら女性から必ず「頑固過ぎる」「我が儘」と言われるのは、この性格のせいだと決めつけている。ここまでモテないのは絶対おかしい。(最近はデブったし、ハゲてきたのでそのせいもあるだろう)

話が逸れたので戻す。
戻すついでに、まとめていきたい。

他人に変えられることの危険性

他人は貴方を変えようとする。それが良い方向へ変えようとしてくれるのなら有り難い話だが、往々にしてそうではない。
他人は貴方を引き下げて、自分にとってのコンフォートな環境を作り出そうとする。
あるいは貴方が変わろうとした時、現状がコンフォートである他人は貴方を元の場所に戻そうと努力する。
それが我が輩の経験のようにボールを蹴られた様ならわかりやすいが、案外、「貴方のために」という善良風味なアドバイスであったりする。時には本当の善意から貴方を留めようとしている者もあるだろう。

貴方を憎む連中ばかりが、貴方を変えようとするのではない。
友達、恋人、妻、親、家族。自分にとって大切な人こそ、往々にして此方を変えようとしてくる。心からの善意をもって、貴方を決めようと試みる。
「そろそろ結婚も考えなさいよ」とか。「正社員になって厚生年金に入ってないと老後が辛いよ」とか。「一人暮らしは効率が悪いから、給料が安くでも実家から通える仕事を探した方がいいよ」とか。「賃貸だと資産にならないから、ローン組んで分譲買っちゃいましょう」とか。
それらのアドバイスが一から十まで有害で、貴方にとって無益かと言えばそうではない。
結果として、良い方向に転がることもある。むしろ良い方向に転がることが多い。
しかし重要なのは「結果として良い方向に転がったかどうか」ではない。
それを「行わせたのは誰か」、「誰の意思なのか」ということ。
貴方は貴方のポリシー、心に従って動いたのか。それとも、ポジショニング争いに負け、自分を譲ってしまったのか。
注目すべきはこの一点なのだ。
その理由もたった一点。

人間は自己決定下にいないと、ストレスに対し急激に弱体化する。
他人の言うことを聞いて、上手くいっている内はいい。しかし物事は必ず明暗がある。暗が訪れた時、他人の意思で歩んだ人生ではストレスに耐えきれない。
これはストレス下にある時、ただでさえ思考能力が低下する上に、自己決定から獲得出来る環境制御への自信までないとなると、目の前の状態を絶対化してしまうからだ。
自分には何も出来ないし、この状態は一生続くという失望感に囚われ、生きる力を失う。
これは大変不味い。
生きる力を失った先で、「それでも何か自分に出来ることはないか」と最後の最後、遠い昔に手放した自己決定権を懐かしむとどうなるか。
みなまで言わずとも、お分かり頂けるだろう。
であるから、我が輩は皆様にもお勧めする。

生きるために、自分で決めるべし。
冬を耐えられるのは、自分の意思で決めた人生だけだ。冬を越えた春の喜びを夢見れるのまた、自分で決めた人生だけだ。

世界の種明かしをする。
他人の言うことを聞くと、上手くいくことが多い。
それで味をしめることもあるが、要注意。
他人の言うことを聞いて上手くいくのは、その他人が貴方を評価するからだ。
貴方が都合のいい人間になったからだ。
貴方を変えた他者に囲まれた環境でなら、変えられたままでも上手くいく。
しかし他人はいなくなる。
孤独は必ず訪れる。
貴方が貴方を裏切っていなければ、自分自身、戦い抜いてきた自己像と力を合わせ、孤独を耐え抜けるだろう。この力を、あるいはプライドと言うのかもしれない。
貴方が貴方を裏切っていれば、そこにいるのは貴方を憎む貴方で、一人になってさえ自傷行為を繰り返さなければならない。

桜木花道たれ

ゴール下を制する者は、ゲームを制すという。
ポジショニング争いに負けて、自分の人生から締め出されてはならない。
ましてやこっちから譲り、どうぞどうぞと、他人を自分の人生に胡座をかかせるようなことは絶対にアカン。
結果、上手くいった、損をした、ではない。
思考というアイデンティティ、戦ったという自負が必要なのだ。
私が決めた、というプライド。
ストレスがかかる状況化では、この大黒柱がものを言う。

プライドさえあれば、冬は春を夢見る豊穣の時となる。
孤独は己を研ぎ澄ませる最良の友となる。
そう己を鼓舞して、繰り返し決定していきたい。
私が決めたのだと、最後にはふり返りたい。

八月十二日は南館や-30bでお待ちしている。
品目は以下の通り。

雪子の国・パッケージ版 2000円 30部持参
早春賦 500円 10部持参
ハルカの国・明治編 無料 50部持参

ホオズキアクキーは色味が出なかったので今回は断念。
雪子の国パケは50部作っているの、残りの20部は通販に回します。
ハルカの国・明治編はお一人様一枚で、無料配布。
クラウド参加者様には、8/20を目標にクラウドページにてDLキーを配布予定。

最後に宣伝ぶっ込み、申し訳ありやせん。
次回のブログは夏コミ参加のため、お休みします。

ハルカの国。明治編だけでプレイ時間が十時間を超えてきそう。このままだと総プレイ時間が三十時間を超える。やべぇ……!(小声)

 

“「他人に決められることの危険性」” への2件の返信

  1. 質問失礼します。
    「通常版特典として、ポストカードが4枚ほどつきます。」とありますが、4枚セットになって通常パッケージ版の中に入ってるという意味で合ってますか?また、「通常版パッケージは、イベント毎に増販する可能性があります。」とも書いてますが、次回の通常版パッケージ版も通常版特典として、ポストカードが4枚ほどついているという意味で合っていますか?

    1. ご質問、ありがとうございます。
      ポストカード4枚は、ビニールケースにて包装し、ゲームとは別にお付けします。
      増版の際の特典に関しましては、今回と同じポストカードをつける予定です。
      よろしくお願いします。

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