ハルカの国・創作の記 その57

進捗

ネーム 410枚
シナリオ 約110000文字

春秋編を三つに区分する「春の時代」「夏の時代」「秋の時代」。
その内、1960~1963年を舞台にした「春の時代」のシナリオ執筆が終わった。今月後半からは1969~1973年を主な舞台とする「夏の時代」のネーム作業に入りたい。
「夏の時代」にはキリンの国に登場した人物たちもユキカゼの視点に入ってくる。雪子の国以来のラブコメディ要素もあって、久しぶりに恋愛という観点を物語に取り入れる。ただ本人同士の恋愛と言うより、思春期に入った息子の恋愛事情を親の視点で観察するという様子。
息子を訪ねてきた同級生の女の子に、複雑な思いを抱く母親、と言ったところが支点となる。
恋愛に限らず、夏の時代は若者たちの青春を親の視点で眺め、その瑞々しい感情のほとばしりに驚いたり、慄いたりするパートでもある。
若さ、というものに驚かされる。そんなパートを予定しております。
ただ「夏の時代」に移る前に、書き終えた「春の時代」の修正がある。課題は山積みだ。
オブザーバーからの意見として、筋が見えてこないので何を楽しんで良いの分からない、という指摘がまずある。
次に各シーンの説明不足が甚だしく、考えないと人物の行動の意図が分からないとも言われた。この考えたら分かるけれど、いちいち考えないと分からないところがテンポを悪くし、体験への没入感を阻害しているとも指摘を受けた。
最後に、主要人物の一人がホオズキ並みに喋らないので感情移入が出来ないとのこと。
これらの指摘は「ここが問題になってくる」と予想していた懸念点と合致していたので、「やっぱり今のままでは難しいか」という感触。
とりあえず手癖のままにやってみたが駄目。やはり調整と工夫が必要なようである。
オブザーバーとの話し合いの中で解決策がいくつか挙がったので、とりあえず順次試してみようと思う。
ただ最後の、主要人物の一人が喋らない故に感情移入が出来ない、という問題に関しては頭を抱えている。
と言うのも、この人物は喋らないことが重要であるからだ。彼の体験を言語化せずに読者に追体験してもらいたいというのが狙いである。それをどう叶えたものか。
ゲーム化した際には立ち絵とビジュアルがつく。そこで言葉を喋らない彼の、それでも豊かな喜びや恐怖を表情で表すことは出来ないか。また彼の視点からのビジュアルで彼の世界を表し、そこへ感情移入してもらうことは出来ないか。
シナリオでも改善を試みるが、ビジュアル表現も重要になってくると思う。
ビジュアルサウンドノベル。
ノベルだけで完結しない作品形式だ。ビジュアルとサウンドにも、デザイン完遂のために力をかりたい。

器としての表現

春秋編で登場する人物の年表を整えるため、雪子の国を再プレイした。
雪子の母親の名前をチェックするために最後だけ見ようと思っていたところ、つい猪飼のくだりから終わりまで読み切ってしまった。自分の作品でも久しぶりに読むと面白いものだ。
時を経て読むと、制作当時、どのような思いでこの言葉を使ったのか、この台詞を選んだのか、表現の意図を忘れている。
表現という器だけが残り、中身である意図が経年により消える。これが再読に耐える面白さを作品に与えていると感じた。
空、であるからこそ、思える。やはりノベルゲームは「思う」という能動的な想像をもってようやく楽しめるものだと思う。
物語の先が気になるという情報の追いまわしばかりでなく、表現に立ち止まり思う時にも物語体験の充実がある。
雪子の国、もはや制作当時の思いを忘れ、空となった表現だけが残っていた。それ故に、今の我輩の「思う」がよく喚起されて楽しめた。
作品鑑賞は一つのコミュニケーションと考える。この時、コミュニケーションの相手は作者と言うよりも登場人物を我輩は想定する。
だからこそ、彼らの言葉、振舞いは器であって欲しいと思う。彼らの意図そのものが現れているのでなく、彼らの意図を表現する手段として言葉、行動が用いられる。人は言葉という細かな記号を使うまえにまず、何かを期待しているし、何かを恐れている。それらの表出として言葉を発し行動に現れて欲しいのだ。
まるで本人の中に言葉があって、それがそのまま吐き出されたと感じる台詞には「思う」が起こらない。コミュニケーションが発生しないのである。
人は筆舌に尽くしがたい心を常に生きている。故に、意図はいつでも台詞を越えるものなのだ。だからこそ、言葉を介するコミュニケーションに悲しさや寂しさという情緒が生まれる。その言葉に零れた心を「思う」ことに人物を通しての作品とのコミュニケーションは成立しよう。
意図を表現する器、読者の「思う」を待つ空の言葉、台詞たち。これがいかに大切かを、雪子の国の再プにて、図らずも中身の風化した言葉たちと出会い感じた。
説明不足を常に指摘される我輩のスタイルであるが、安易な「書く」に走らず、工夫を重ね、皆さまの「思う」に誘える空をつくるため器の表現を突きつめてきたい。

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