ハルカの国 創作の記その17

宣言しておこう。

俺は大正星霜編に自信がある。
宣言しておきたいほどの自信がある。

藪から棒にどうした、と訝られたか。
驚かせてしまったのなら申し訳ない。ただ勢いで言っているわけでない。その証拠がため、三日前にも同じ事を呟いたと思う。夜中のテンションで言っているわけではないのだ。
実のところ、一月末、シナリオを書き上げた当時から〝感じ〟があった。
良いかもしれない、という感じが。
言ってみたい気もした。呟こうかとも思った。
けれどまぁ、自作のこと。それも出来たてホヤホヤ。可愛いに決まっている、親の欲目が入るに決まっている。
第三者の意見を聞くまで、口を閉じておくのが賢明だろう。
此度のシナリオに関して、我が輩はひどく用心深かった。

我が輩の警戒心を駆り立てた要因が、二つある。
一つには、書き上げるまでの困難。
シナリオ執筆の過程は、まさに七転八倒。転んだまま起き上がれないのじゃないかと思ったほど。今回は本気と書いてマジと読むくらい危機を感じた。「Kazukiがここまでシナリオを上げられないのは珍しい」と友人達にも心配される始末。
そこを満身創痍ながら七転び八起きに持って行けたから良かったが、転び尽くした経験が躓きへの警戒心を解かせなかった。

もう一つには、扱ったテーマへの不信。
不信、と言ってしまえば語弊がある。我が輩は信じている。しかしながら、皆様の胸中に投げ込んだ時、何かにぶつかって響くものがあるのか、湖面を騒がせることが出来るのか。皆様の営みに、大袈裟に言ってしまえば人生とか一生といったものに、かするものがあるのか。
それとも虚しくすり抜けてしまうだけなのか。
そこを信じ切る事が出来なかった。

「小さな穴から覗いて見えたものに大騒ぎしているだけなのか?」

自分の感じ方というか、〝観〟というものに自信がなかった。
自分のセンスというものに自信がなかったと言えるだろう。
自己不信に陥っていたのか。そうではない。
元より他所様との共感を信じられなかった場所。言ってみれば、現状の我が輩における核心。現在進行形で煮える中心点。
こういうものを作品として押しつけた時、オナニーとして終わらない自信は元々ない。
ならば過去作は中心を避けたのかと問われればそうではなく、過去作は中心的なものをエンタメとして扱える自信があった。今回はなかった。いやあった。
だが筋を強くすると、やりたいことが出来ない。物語を最大限に面白くすると風味が消える。言ってみれば「旨いけど調味料の味しかしない」てなものになる。面白さに素材が負ける。
それほど貧弱な素材なのか。それも違う。面白さに負けないほど、力強く味を引き出す手腕もあったと思う。しかし我が輩は弱々しいままに始めたかった。
面白さにはもちろん負ける。日常にさえ埋没してしまうほど弱くなければ、取り扱う意味がないと感じた。
越冬編、決別編はユキカゼにとって青春だった。乱暴に言ってしまえば、明治はユキカゼにとって青春時代だった。
大正は彼女にとって青春の時代ではない。朱夏も終わろうかという、人生の過渡期にある。
テーマを輝かせ、瑞々しく躍動させ、目の前の瞬間を鮮烈に彩る――成功していたかどうかはさておき、我が輩がこれまで目指してきた方向性ではある。
それが採用出来なかったし、したくなかった。
百年の物語。何故、百年やるかと言えば、青春を終え、朱夏を過ぎ、白秋、玄冬という時代を書くためだ。そう決めて始めたこと。十八番に逃げ込めば、やっていることの意味がなくなる。
鮮やかさだけで終わりたくない。鮮やかさに対をなす色を折り込み、もう一つ上の次元において鮮やかでありたい。
そのために準備もしたし、方法も考えた。
けれども、やはり始めてのこと。今までだったら絶対にこんなことしない、必ずこうする、こうさばく、というところを意図的に外していくのは恐い。外していく度に不信感が募る。
テーマへの不信、テーマの扱い方への不信。
それは即ち、経験の不足からくる不信だった。
我が輩は今回のやり方で、成功経験がない。

そんなわけで、〝感じ〟はありつつも自己判断は下せず、オブザーバーの感想を待ち、黙っておくことにした。
それが今、オブザーバーの意見が出そろって、言うのである。

俺は次作に自信がある。

オブザーバーからの感想

自信がある、自信があると喚いているが、オブザーバーからの感想が軒並み大好評!、感涙の報告止まずシリーズ史上最高との呼び声も高い!、なんてことはまったくない。
と言うか、それほど褒められることもなかった。
「それなりの物が出来たんじゃん」
くらい。

では一体何が我が輩に自信を与えたのか。
以下の感想がである。

「お前がやりたいことはよくわかった。それは表現出来ていたと思う」
「お前の話を読んでくれる人なら、伝わるものもあるんじゃない?」
「まぁ、よくここまで頑張ったと思うよ」
「よう書いたわ」

及第点、と言ったところだろうか。
それでも我が輩は嬉しかったし、自信がついた。
何よりも、許されたのだという思いが強かった。
この物語を書いていいのだと、許可を貰えた気がしたのだ。
それが何より嬉しかったし、今も嬉しい。

今回のシナリオを仕上げるために、試行錯誤をした。
あくまで自分の中でという話だが、次元の違う努力をしたと思う。その努力が五里霧中。正しい方向に進んでいるのか、むしろ逆走しているのか。わからず、恐かった。
手応えはあったが、手応えがあった分、その〝感じ〟が裏切られ結果に繋がらなかった時はどうなるか。
自分の感性を信じられなくなるのじゃないか? 俺は指針を失うかもしれない。
努力を否定されるのが恐いのではなく、手応えを間違うことが恐かった。
〝感じ〟の混乱が恐ろしかった。

今、〝感じ〟を信じられることが嬉しい。
許されたことが嬉しい。

化け物のような物語

「はるかに文量を超すかもしれない、ハルカの国だけに」
なんて冗談を言っていたら、本当になった。
ハルカの国製作決定時のブログを読み返してみると、プレイ時間5~8と書いてある。
思い返してみても、「雪子の国は長すぎた。俺はもう8時間以上の物語は作らない。8時間を越すと、構成上無理がでる」「むしろ俺は短い方が得意」「長編は今の時代に合わない。短いものを量産する多作家にならないと生き残れない」とさえずっていたものだが。
予定していたプレイ時間は明治編だけで超えた。
大正星霜編がどれだけの長さになるか。具体的数字は伏せておくが長いとだけは繰り返しておく。
「はるかに文量を超すかもしれない、ハルカの国だけに」
こういう期待していない冗談が真になった。
ならばと、願掛けでもう一つ言っておいた。
「はるかに面白い物語になりますように、ハルカの国だけに」
これが叶う様、努力はしている。

さてここにきて、また一つ加えたくなった。
加えておこうと思う。

「化け物のような物語になりますように、化けの物語だけに」

パンパンッ、と柏手をうっておく。

面白い話というのが、ピンと来なくなった。
面白い話をつくりたいと、思えなくなってきた。
面白い、と一口に言っても、多義にわたるだろう。何も海外ドラマのようなハラハラどきどきだけが面白さじゃない。
我が輩は我が輩の面白いをやりたい。やらないと生き残れないとも感じる。
我が輩の求める面白さは、玄妙。
妙味のある物語をつくりたい。
これを強い言葉にすると、化け物のような物語をつくりたい、になる。

面白い! でもない。
泣ける、でもない。
化け物のような物語だと、言われるものを作りたい。
我が輩は他人に認められたい。
この度の執筆を通して改めて学んだが、我が輩は、今はまだ、他人を通してでしか自分を認めることが出来ない。
だからどうしても認められたい。
それも良いとか悪いかと、相対的な評価ではない。
我が輩だけの特別な王冠が欲しい。
それを何かと考えて、上の様に夢想した。

我が輩は化け物のような物語をつくりたい。
我が輩のつくる物語は、ハルカの国は、化け物のようだと言われたい。

こういう夢をみてようやく、我が輩は燃える。
熱狂のなかにいられる。

仲間内からの及第点がやっとの輩が何を大袈裟な、と思われるだろうか。
我が輩は思う。まぁなんて大袈裟なこと。いちいちドラマチックなこと。お喋の声が大きいですこと。嘯いちゃって、お可愛いこと。
それでもこういう芝居が、俗な我が輩には燃料となる。
我が輩の情熱は俗なのだ。
お付き合いさせてしまうのは、やや申し訳ない。

まぁ、一つ、みとってつかぁさいや。
ええもん、こさえてみせますけぇのお!

完成まで、しばしお待ちを。コロナにはお気をつけて。
我が輩は皆様にハルカの国を遊んで頂きたい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。