ハルカの国 創作の記その7

平成総括

先日、久しぶりに他人様と飲んでいてむせた。
ナッツを食べていたら、変なとこに入ったのだ。
周囲の会話の邪魔にならぬよう、密かにゲフゲフやっていたが、しばらく立ち直れなかった。
平成の終わり。
酩酊状態における嚥下機能の低下に、重ねてきた星霜を思う。

平成が終わり、令和が始まる。
昭和の最後に生まれ、一生のほとんど平成のなかで送ってきた我が輩には感慨深い瞬間である。
そこで今回は平成最後の更新として、「平成総括」を行ってみたい。
我が輩にとって平成の三十年とは何だったか。
これを記しマイルストーンとし平成の終わりに置く。

その前に進捗情報と返礼品グレードアップについて

明日から平成最後の一週間が始まる。
この一週間がハルカの国CF募集、最後の一週間にもなる。
御陰様で目標金額は達成し、どころか200%にも届こうかという状態。
これはもう大変有り難く、嬉しいことなので、返礼品のグレードアップという形で感謝の意を表わしたい。

グレードアップを考えている返礼品は以下のもの

・オリジナル楽曲アルバム「土の歌声」 収録曲数追加(ハルカの国オリジナル楽曲依頼予定中)
・設定資料集 表紙をやや豪華に・ページ数10P程度増量
・「季節のホオズキ」アクリルキーホルダー

子細はCFページにて近日公開予定なので、そちらで確認頂ければと思う。あまりこちらで発表すると問題もありそうなので。
「季節のホオズキ」アクリルキーホルダーのデザインだけ、先にお披露目しておきたい。

向かって左より春、夏、秋、冬と。
サイズは7.5㎝×7.5㎝以内。裏地は無地に台詞入り。留め具には銀のナスカン。

こんな感じ。
令和のある日、電車の中、誰かのカバンでホオズキが揺れているのを見つける。そんな瞬間が訪れないものかと、夢見ていたりする。
良かったら一度くらい、ホオズキを外に連れて出てやっておくんなまし。
お礼のつもりが、お願いになってしまい、申し訳ない。

進捗情報

現状、明治決別編のスクリプト作業に入っている。立ち絵を描いたり、シナリオを直したり、立ち絵を描いたり。
受かっていたら夏コミにて、「ハルカの国 明治編」として「越冬編」「決別編」を収録したディスクを配布予定。(500円くらいで)
CFご参加の皆様には、無料ダウンロードキーを配布予定なのでそちらからもどうぞ。
夏コミ参加のお品書きとしては

・「ハルカの国 明治編」
・「雪子の国」 通常パッケージ版
・ホオズキアクキー(お試し作成版)四種
・早春賦

を予定。
アクキーはCF返礼品のお試し版を少し作って、最終的なクオリティアップに繋げたいのでその一環。
早春賦は前回の売れ残り分。
冬コミは参加しない予定なので、「ハルカの国」発表前としては最後のイベント参加になると思われる。販促に繋がるよう、色々と考えて参加したい。落ちてたら泣く。

平成と令和

さてマイルストーンを削りだしていきたい。
平成とは何であったか。我が輩の〝体感〟で綴る。

我が輩にとって平成とは日本のサイズダウンであった。
ジャパンアズナンバーワンだとか、アメリカに次ぐ経済大国だとか、そういう雰囲気のなか幼少期を送った我が輩にとって日本は世界地図の真ん中にある国であり、自分もまた世界の中心に生まれた少年であった。
ゲームにしろ漫画にしろアニメにしろ、楽しいものの最先端は日本にあると感じられたし、そう思ってもさほど間違いではない時代が確かにあったような気がする。
八十年代後半に公開されたハリウッド映画、バックトゥーザフューチャーにもこんなシーンがある。

1955年のドクと、1985年からやってきたマーティの会話。

ドク「壊れたって不思議じゃない。日本製と書いてある」

マーティ「どういう意味? 日本製が最高だよ?」

短い期間で「Made in Japan」の意味を逆転させてしまった日本の技術力を種にしたユーモアだが、他国からもこういう扱いを受けていられたのだ。
この日本のベルエポック期とも言うべき時代に育った我が輩だから、日本が中心に据えられた世界地図をワールドスタンダードと誤解しても無理はない。(でしょ?)

しかしいつからか――と言うより既に斜陽は始まっており、その黄昏のなかで我が輩は青春を迎え、既存の概念を疑い始めた。
他国の勃興とともに、相対的にスケールダウンしていく日本。日本は世界の中心ではないかもしれない。それは衝撃ではなく浸透という形で我が輩に作用し続け、いつともなく、いつからか我が輩の中で〝あの世界地図〟は虚構となった。

国内総生産で中国に抜かれた時はショックではあったが、「そろそろという噂は聞いてました」という思いもあり、受け入れる準備も整っていたと思う。

やがて「貧窮層」、「格差社会」、「人口減少」というワードも聞こえ始め、「一億総中流」と謳われた日本は過去となった。

我が輩が感じたサイズダウン。
それは生き残っていた高度経済成長の幻影が、ついに現実によって駆逐され、日本を実物の大きさで捕らえることを余儀なくされた30年間の変遷、とも言えるだろう。

ほとんど一生を通じて感じ得た、この母国のサイズダウン。
作品にも強く影響していると思う。
永久不変なものなど存在せず、国というマクロな環境さえ時代のなかでは姿を変えていく。
目の前にある〝今〟は必ず失われる。失われることが自然であり、恒久的な安定は不自然。
安定は異常。あるいは錯覚。
不変、普遍、絶対、というものに対する拭いきれない猜疑心。
同時に、捨てきれない強烈な憧れ。
揺らぐことのない大地――失われることのない居場所への憧憬。
この二つの心の動きが創作のエンジンになっていると、我が輩は分析している。
この二つの心は、平成という30年間に育まれたものであることは、間違いない。

我が輩にとって平成とは何だったか。
初期価値観のパラダイムシフトを経験した人格形成の時代であり、その後、そんな自己を表現する創作の時代であった。

衒って小難しいことを綴ろうとしたが、頭が疲れてきた。
我が輩の思考レベルに合わせたマイルストーンに変えていく。

平成に起こったKAZUKIの個人的事件ランキング ベスト5!

第5位
浮気がばれた

絶対ばれない自信があったが、ばれた。眼鏡を割られた。

第4位
小説が受賞して編集部にお呼ばれ。ホテル代として一万円もらう。

講談社の賞を受賞して、初めて編集部という場所へ足を踏み入れた。お金もくれた。嬉しかった。でも書きたいものが書けなかったのでバックレた。すみません。

第3位
「ふりーむ」でキリンの国が最優秀賞受賞。色々もらう。

ノベゲー部門金賞は狙ってた。全タイトル中の最優秀賞は望外。夜中に友達呼び出して飲んだ。幸せな一時だった。

第2位
昇進祝いをしてもらった翌日、決死の離職宣言。「一年後、やめさせてください!」

年収400万、インセンティブいれたら+100くらいが見込めたので「俺、結婚出来るんじゃね?」と一瞬浮き足立つ。当時は好きな子もいたので、もしかしたら俺も〝まとも〟になれるのかも――が、国シリーズへの思いが勝った。
ここの子細は旧ブログに記してあるので、興味がある方はそちらへ。
仕事をやめ、全ての時間をつぎ込んで作ったのが「雪子の国」。
好きだった子とも疎遠になったが、代わりに我が輩はハルタや雪子、猪飼に出会えた。
後悔は一切ない。

第1位!
国シリーズ。

かれこれ七年近く、ずっとこの物語のことを考えている。この物語のために大量の本を読んだし、ロケハンにも沢山行った。何十冊というアイディアメモノートをとった。
美鈴、ヒマワリ、キリン、圭介、ホオズキ、ウルマ、アンさん、ハルタ、雪子、猪飼、ハルカ、ユキカゼ――。
五十人以上の人物と、この物語のなかで出会った。一人一人の人生を想像し、胸をときめかせてきた。本当に夢中になれている。
またこのシリーズを通して、現実でも沢山の人と縁を持てた。イラストや音楽でも助けてもらい、創作について語り合う喜びも分かち合えた。実際に会ったことはなくとも、メールやコメントで嬉しい言葉を何度も貰えた。ファンです、と言ってもらえることさえあった。
嬉しかった。本当に。
国シリーズを思いついて以来。
嬉しいことも、苦しいことも、この物語のことばかりだ。
飛び上がるような喜びや、泣いてしまうような悔しさは、この物語より他に感じない。
三十路過ぎて定職にもつかず、彼女もいなければ、リア友も片手で数えるほどしかいない。おまけに貯金もほとんどない、ないない尽くしの相当ヤベー奴なのだろうが、心が虚しくない。
情熱がある。熱狂の日々のなか、生を感じられる。
我が輩の本然はオタクなのだ。
オタクとは情熱の塊なのである。狂いなのである。
狂いを投じる先を見つけたオタク。
これより幸福なものが、この世界にあるだろうか?

正直、1位以下はあまり真面目に考えてない。何が衝撃的だったかを思い出して即興で綴った。

今月末で平成が終わり、来月より令和が始まる。
順当に生きていけば、恐らく令和の終わりも生きて迎える可能性が高い。
ただそこに今いる家族はいないだろう。
祖母も、両親も、ヨークシャーテリアもいなくなっている。
順当というか、このままいけば結婚もしていないはずで、当然子供もなく、60を過ぎた(令和が30年ほど続くと仮定)初老の男が家にぽつんと居残るばかり。
それじゃあんまり寂しいので、そうならないよう色々考えてはいるが、最悪、そういうこともあり得る。
令和の終わり。
60歳の我が輩。
一人になっていて欲しくない。
けどまぁ、無理そうだったら一人でもいいよ。
我慢して誰かといるとストレスだものね。
けど絶対、国シリーズは完成しているように。そこだけ頼む。
最悪生きてなくていいから、国シリーズは完成させといてくれ。

生きているなら、何か創作を続けていてくれれば嬉しい。
創作でなくとも、何か情熱をもって暮らしていて欲しい。
一日一回は笑うように、ユーモアも大切にしてもらいたい。

野望は大きく、数も沢山あるが、それは遊びのようなものだから、どうぞ時代時代のお好きに。

平成の終わりに令和の終わりを思うのは気が早いかもしれない。
しかし始まりに立つ今だからこそ、終わりを思うことに意味がある。
終わりに立って終わりを思っても、もう何も変えられない。
次の時代の終わり。そこに立った時、どうなっていれば「幸福な30年だった」と思えるだろうか。それを青写真にして、これからの30年を生きていく。
平成の初め、当時1歳だった我が輩には出来なかった事始め。
32歳のオッサンになったからこそ出来る生き方というものがある。

Googleマップがなければ予約した居酒屋さえ見つけられない我が輩たちだ。
30年後の目的地。ふらふら歩いていたら見知らぬ場所に出て、もう帰れない。
それもまた人生、縁は異なもの味なものと楽しむことも大切ではある。
しかし辿り着きたい場所があるなら、今のうちに方角くらいは調べておいた方がいいだろう。

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今回は「元気をだして、しっかり死んでください」という題名で綴ってます。
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