ハルカの国 創作の記その50(お休み中)

近況報告

決戦編終了直後から開始したシナリオをつい先日書ききった。
国シリーズとは別の物語になる。文字数にして41万文字で、我輩の一話完結作品の中では最長となった。
冒険ものだったので資料集めやロケハンにも時間がとられ、書き始めた当初は間に合うのか不安だったが、スケジュール管理を徹底し何とかやりきった。
本当は遅れた。
当初は九月末で完成予定だったが一月と十日遅れてしまった。
関係各所には迷惑をかけてしまい、申し訳ない。

国シリーズ以外の物語を久しぶりに書いてみて。
やはり感じるのは国シリーズの難しさ。と言うより、続きものの難しさ。既存の物語へ配慮しながらの執筆がどれほど難しいか、改めて思い知った。
ハルカの国の執筆中、自分の記憶力低下に嘆くことが多かったが、嘆くこともなかった。ハルカの国は意識を裂かなければならない項目が多すぎるのだ。
みすずの国、キリンの国の制作当時、それぞれ2ヶ月、6ヶ月で作り上げ、同年内に発表した。あの頃はまだ若く、生産力が今よりずっとあったのだと思っていたが、難易度の差だったかもしれない。

執筆はどうだったか。
ふり返ってみても、あまり思い出させない。とにかくやり切る他に生き残る道はなし。その覚悟で邁進した2ヶ月だった。ネームも一千枚近く描いた。その分厚さを見ると気持ちが乱れる。
シナリオも見直すと、シナリオへの感想ではなく、書いていた当時のことが蘇る。頭にではなく文面に記憶が感情としてこびりついている。感情の色合いではなく、感情の量に胸がつまる。当時、これを書くために色々やったことが蘇り胸焼けする。見ているだけで疲労してしまう。
最近、自分の物語を読み返すと疲れる。
ふり返ることを、今はまだ脳が拒否している気がする。

脳が疲れ果てるとどうなるか。
作品的な刺激を一切受けたくなくなる。面白い、感動する、笑える、刺激的――作品から醸し出されるあらゆるエンタメ臭、これがまったく駄目になる。
アマプラのプラットフォームなど見ているだけで拒否反応が出る。作品に触れたくない。
触れられるのは、ワンちゃん、にゃんこの愛くるしい姿。大谷翔平のベストプレイ集。YouTuberやVTuberの切り抜き。それらも一度見たことがあり、展開がわかっているもののみ。
先が分かっていないと、脳が予測にリソースを使い疲れるのだ。何が起こるか分かっていることへの安心感がないと、身体が視聴を拒否する。
期待、予測という能力を機能させるには、脳のリソースを多く必要とするようだ。
創作(アウトプット)に疲れると、鑑賞(インプット)への欲求が募ると言うが、あれも余力がある内のことに思う。
へろへろだと頭が刺激を拒否する。

再会

先日、高校時代の友人が十年ぶりに訪ねてきた。
アポもなしでいきなり来るのだから迷惑な話である。何でも全国旅行支援で里帰りしていたところ、我輩を訪ねたらしい。奢ると言うから飯を食いに出かけた。

話の中で驚いたのは、彼の行動力と言おうか、他人への踏み込み。
彼は我輩とは高校が同窓であるが、それより以前、小学校にあがる前は別の町で暮らしていた。その生まれ故郷にも三十年ぶりに戻ったそうだが、スーパー銭湯のレジ打ちで見覚えのあるオバさんに出会った。
そこで声をかけると、かつて近所づきあいをしていた相手だったらしい、「あら、○○君!」と大盛り上がり。
三十年も前の近所付き合いを双方覚えているものかと我輩には眉唾ものだったが、実際覚えていたようで「懐かしい、懐かしい」と夕食に誘われそうだ。
彼も旅の醍醐味と飛び込み、三十年ぶりに近所のおばさんの家で飯を食ったそうな。
旅の醍醐味とはいえ、よくもそこまで飛び込む、と彼の踏み込みの深さには感心させられた。
それで夕食。
相手の宅でごちそうになっていたところ、意気投合し、未婚の娘さんを紹介してもらうことになった。そこまでは良かったのだが、オバサンは彼の両親と未だに関係があったらしく、一言連絡を入れてしまったのが運の尽き。
突如、彼のオヤジとオフクロが押し寄せ、家族を交えた食事会が始まった。
と言うのも、彼は両親と喧嘩をし十年以上家に帰ってなかったのだ。
十年ぶりに、他人の家で再会する親子。それも子供は35歳のオッサン。
地獄絵図ここに極まれり、と我輩は笑った。
あまりに混沌無形過ぎて作り話にも思えない。なんでそんなことになるんだと聞いたら「分からん」と首をふっていた。
親とは他所様の前では愛想よくつき合い、家を出たところ、再び決別してきたらしい。
そういう嫌な思いをしたから、その愚痴をぶつけたくて我輩を頼ったそうだ。

彼は愚痴った。
親が憎くて仕方ないらしく、両親のことを思い出してはいつも憎しみがわき、幸せになれないと嘆いていた。
我輩は伝えてやった。君は十年前も同じ話してたぞ。十年どころか、高校生の時から「親が憎い」「あのクズども」と憎しみを滾らせていた。あれからずっと同じ熱量で親を憎み、そのまま35になったとのだから感心する。
彼の親が悪魔というわけでもない。
我輩たちの母校、そこの校長もつとめたのが彼の父親である。エリート教師家系だ。爺さんが東大教授だったそうだから、よほど筋は良い。
ただそういう家庭であればこその苦しみがあったようで、高校の頃から親のことを「偽善者」と罵り、二十年近くたった今でも「あの偽善者ども」と呪っていた。
彼はその憎しみを克服して、幸せになりたいと悩んでもいた。

求められもしなかったが、アドバイスをしてやった。
まず徹底的に話し合うこと。ガッチガチのインファイトを試みること。そうして、心底相手に失望することが肝要。
相手とのコミュニケーションに未遂があると、希望が残る。この希望が怒りや憎しみを生む。余すことなく向き合うことで、ようやく人は他者に完全に失望する。文字通り、望みを失い、何も望まなくなるのである。
これが家族という縁を持つ他者を乗り越えて行く時に必要なプロセスだ。心の底から家族への理想や希望、分かってもらいたい気持ちを捨てきる。
諦め尽くす。
この砂漠のような心から始めないと、家族を乗り越えて行くことは難しい、と我輩は伝えた。
相手はひどく感激して、「こわい、こわい」と言いながら翌日は実家に凸し、両親と最終決戦を迎えることを決意していたが、どうだったろうか。

もちろん、我輩は酔っていた。車だったのでノンアルだったが、十年ぶりの再会に酔っていた。よくもまぁ、あんなことをいけしゃあしゃあと言えたものだなと、今は己の口八丁に感心している。
ただでまかせを言ったわけでもない。我輩は本当に家族を諦め尽くすことで、自分の人生が始まると思っている。
我輩には彼が家族に囚われ、家族から抜け出せないことに苦しんでいるように思えたのだ。

家族なくして自己を成立させ得ることで、はじめて晴れ晴れとする。清々しく生きられる。
家族とは、ある時期を過ぎれば克服しなければならないものだ。幼少期の連続性では捕らえきれない関係性に移行する。
幼少期の憧れを諦め尽くし、新たな「この人達」を見つけていく。
そういうテクニックと言おうか、移行儀式が、どの家庭にも欠けている気がする。いつまでも幼少期の残響のなかに、大きくなりすぎた身体を浸してやいないか。
我輩が家族の解散可能性を追い求めているのは、終わった家族がいつまでも人々を呪う景色があまりにも多い気がするからなのだ。
家族もまた、一時の祭のようで良い。移り変わっていけばいいのになと思う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。