2本目 ノベルゲームと小説は違わなければならない

ノベルゲームと小説では舞台が違う

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なんであるか。

我輩が適当と考える会話対地の文の比率を、小説、ノベルゲームシナリオそれぞれにあげた。

小説において会話文は三割。

ノベルゲームシナリオは七割。

「キリンの国」「雪子の国」はもっと会話の比率が大きい。恐らく八割に届く。

これは元々あった地の文を可能な限りそぎ落とすからそうなるのであり、我輩のスタイルとしてあえてそうしているのだから、皆様に適当とは思わない。

が、地の文が三割を越えるビジュアルノベルゲームはしんどい。

地の文が三割越えると〝しんどい〟理由。

理由の一つは、ビジュアルと地の文における情報の重複が頻繁におこっている可能性があり、文章の情報量が乏しいためである。

後日改めて語るので今回はあっさりと終らせるが、雨が降っている背景画がありながら、「朝から雨がふっている。秋の終りの雨には、冬の到来を予感させる静かな冷たさがあった」なんてことを書くと絵と文章で情報の重複がおこっており、それぞれが持つはずだった情報の最大量を下げてしまうことになる。

情報量が下がると、絵も文章も水っぽくなりつき合うのが辛くなる。

二つ目には、メッセージウィンドウという枠のなかでの長文は小説の見開きに比べ、格段に〝見た目〟が辛いためである。

一般的な文庫本の文字数はだいたい1ページ570文字で、見開きだと1140文字。

この30%を余白として空けたとしても800文字近くの猶予がある。

目に跳びこんでくる枠に30%の余白があれば、見た目としてはしんどくはないはず。

比べてノベルゲーム。

キリンの国を例に出させてもらうと、メッセージウィンドウの枠に入るのは63文字(21×3)

たった60文字ぽっちなのだ。

それでもメッセージウィンドウ枠に文字がびっしり並んでいたら、やはり見辛いと感じるはずだ。

小説と同じ30%余白として与えるなら、40文字。

40文字以内でワンクリックセンテンスを勝負していかなければならない。

クリックという動作を挟む以上、場面は進展している必要があるし、情報も新たなものを提示しなければならない。

この性質上、ノベルゲームは長文の相性が悪い。

小説と同じ文量と情報量を地の文に託していたら、ノベルゲームでは窮屈になるし、展開がおそくなる。

ノベルゲームにおいて地の文とは、どこまで削げるか、その宿命に晒され続けると我輩は考える。情報量を落とさずにどこまでスマートにすっきりさせられるか。

もちろん、情報伝達のばかりに気をとられてリズムや情緒もないようではいけない。地の文が不必要というわけでなく、小説と同じ扱いをすると結果が違う、ということを理解しなければ小説からノベルゲームに移った際痛い目にあう。

ノベルゲームと小説では与えられた尺が違う。

これを意識したい。

この題目は次回に続く――

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