ハルカの国・大正決戦編一般公開&GWセール

この度は広報もかねているのでこちらで。

ハルカの国・決戦編一般公開

ハルカの国・決戦編の一般公開をboothにて5月3日より開始予定です。DLsiteでは各編毎の発表は予定しておりません。ご了承くださいませ。
また今回発表する決戦編に関しましては、以前に先行公開させて頂いた決戦編と、演出タイミング等で異なる場面があります。それ以外、ビジュアル、サウンド等で異なっているものはありません。
値段は1500円での販売になります。

決戦編公開記念&ゴールデンウィーク割引

決戦編公開の記念として国シリーズの割引セールを行います。
対象となるのは、「雪子の国」「ハルカの国・明治越冬編」「ハルカの国・明治決別編」「ハルカの国・大正星霜編」になります。
新たに発表する「ハルカの国・大正決戦編」は割引の対象にはなりません。ご了承くださいませ。
割引率は一律50%で、半額セールとなります。
セール期間は5月28日までを予定しております。割引セールに関しましてはDLsiteでも行います。

こちらのブログを読まれている皆様につきましては、既に遊んで頂けていることかと思いますが、この機会にご友人様等へお勧め頂ければ幸いです。
よろしくお願いします。

ネット回線改良にともなう劇的変化

ペンディングを続けていたネット回線の改良をようやく進めた。
以前はくだり10M、のぼり1Mという針穴のような回線に家族がたより、それぞれ動画鑑賞やブラウジングを楽しんでいたものだからよく回線が落ちた。
この回線の細さたるやハルカの国のアップロードに丸一日かかるほどで、発表の折には仕方なしに近くの漫画喫茶へノートパソコンを持ち込んでいたものだ。
新作を発表する度に「ネット回線をどうにかしよう」と思うのだけれども喉元過ぎれば熱さ忘れる、思う度に思うだけで重い腰は上がらなかった。
我輩というのがさほど通信速度に頼らない人間で、ゲームをするでもなし、高画質の動画を求めるでもなし、Youtubeの動画視聴に困らなければ不便も感じない。それでいつまでも腰が重いままだった。
しかし5GだAIだと騒がれる昨今、さすがに世の中との繋がりが10M/1Mでは細すぎるという危機を感じ、またいくらなんでも細すぎるという指摘も受け、重いケツに鞭打とうとしていたところ、契約していたADSL回線が料金そのまま光回線へ乗り換えられると言ってくる。渡りに舟で、すぐ契約更新した。
今では750/130。誇るほどの速度ではないだろうが、我輩の世界は変わった。なんとアマプラの動画視聴において、動画が止まらなくなったのだ。
この劇的変化によって起こった、我輩のコンテンツ鑑賞革命をご紹介したい。

ファスト消費

ネット回線が改善されると同時に、我輩のコンテンツ鑑賞量が飛躍的にあがった。
環境が変わって分かったことには、近年のコンテンツ消費量の低下が我輩の老化によるものではなく、針穴回線が原因だったということ。
ロートルとなり新しいものへの興味が失せたのかと憂いていたが違った。
新しいコンテンツへの道があまりにも細すぎて、まともに消費出来ていなかったのだ。
端的に言えば、スキップ視聴が出来なかった。世に言うファスト消費がかなわなかったのだ。
そのために新しいコンテンツを自分にあった方法、スピードで鑑賞することが出来なかった。
それが可能になった途端、アニメやドラマの視聴頻度が一気にあがった。
ガンダム、推しの子、王様ランキング、ザ・ボーイズ、ファーゴ。過去比でいえば10倍の量を消費している。
その全てがスキップ消費、いわゆるファスト消費だ。

誹りを受けたくないので先に断っておくと、我輩のファスト消費はコスパタイパを求めたものではない。より理解するために「まず」ファスト消費しているのである。
以前からそうでないかと疑っていたが、この度の結果で確信に変わった。我輩は順序立てた物事の理解というのが苦手だ。
1から10までの話を、1、2、3と順番に話されると頭に入ってこない。
そうではなく、1から10まで並んでいるのをまず一望におさめ、それから細部の解像度をあげていく。1から10までという範囲の話なのだなと理解した上で、その枠内を埋めていく。与えられる情報を、1から10の範囲内でどの座標に値するかを把握しながら捉えていく。
この様に、全体像の解像度をあげていくという過程が、我輩にとって最も親しい情報取得であり、情報処理なのである。
だからまず、ファスト消費で「ざっ」と眺め、ラフな情報モデルを生成し、そのモデルの解像度をあげるために速度を下げたり、巻き戻したりして視聴する。
言うなればこれは能動的コンテンツ消費と言えよう。
口を開けて流しこまれる順序でコンテンツを飲み込むのではなく、ナイフとフォークをかまえ、皿の上にのるコンテンツを己の意思で切り分け咀嚼し消化していく。
この消費の能動性を封じられると、我輩は飽きてしまい、消費を続けることが出来ない。じっとして消費するというのが出来ない性なのだ、どうやら。
アマプラでスキップ視聴が出来るようになった途端、作品視聴の頻度が飛躍的に上がったことで己の性質を悟った。

情報の本性

考えてみるに、本来、情報とは立体的であり構造的なものだ。
全体性において「何処の何か」という〝座標性〟をもって始めて価値が生じる。
音楽からアナロジーの助けを借りれば、12音階において、一音鳴らしただけではその音価は明らかにならないことに喩えられよう。音価とはその音の正体、座標である。
その音がトニックなのかドミナントなのかあるいはサブドミナントなのかは、ある程度のフレーズが聞こえて、それぞれの音の関係性が成立した後で明らかになる。
情報もこれと同じで、全体の座標性の中でそれぞれの意味が決まっていく。これが情報の立体性、構造性という性質だ。
であればだ。情報を理解するに、まずその情報が散布されている空間を把握しなければ、情報の座標を捉えられない。
「彼の身長は170㎝です」と言われて、「彼の身長は高いですか? 低いですか?」と聞かれても答えに窮するのと同じ。彼がどの集団にいて、どの規格の中で高低を問われているのか分からなければ彼の位置(座標)は捉えられない。「彼は小学生にして」だとか「アメリカ成人男性の中で」だとか帰属する空間を把握できれば、「170㎝」という情報の座標が明らかになり、「小学生にしては背が高い」だとか「アメリカ成人男性の平均にしては低い」だとかの解答が可能になる。
上記のたとえ話でも分かるように、座標性が欠落した情報は「書いてあること、言っていることは分かるけれど、何を伝えようとしているのか話が見えてこない」という迷子の情報となり処理が出来ない。
この「分かるけれど、分からない」情報の「分からない」部分が、まさに全体における座標の不明なのだ。
情報は全体という空間のなかで立体的であり、構造的であり、座標という性質を持っている。

この「そもそも立体的な情報」を、口頭あるいは文章による叙述という伝達方法へ対応させなければならないことに困難が生じる。
口頭、あるいは文章叙述は順を追って伝えられる情報伝達だ。この立体的なものを一列に並べ、順番に送っていくという、言わば直線的な情報伝達は本来の情報の性質を多分に損なう。
本来的には立体的なものを伝達手段に対応させるため、直線的なものへ圧縮する。二次元的、三次元的な情報を、一列直線的という一次元に圧縮しなければならない。その過程で、情報の全体性が崩れてしまう。
これは一枚の絵画を口頭で説明するようなもの。
「山があって、川があって、その裾に家があって、手前には人々がいて彼等が来ている着物の色が空の青色とコントラストをなして、その鮮やかさが牧歌的な緑の風景の中で一際映え」
などと順々に並べられてもイメージが難しい。「この絵エモくない?」とスマフォで写真を見せられた方が分かり易い。当然だと思われるだろう。この「当然そんな方法では要領を得ない」ことを日々情報に関しては行っている。それが我輩達の口頭や文章叙述という主だったコミュニケーションなのだ。

この低次元化された直線的情報を順序よく受け取り、それを立体的な情報へと再展開する術を持っている人々。受け取った情報の高次元化、あるいは伝達したい情報の低次元化が得意な人々。これが世に言う理解力の高い人々、ということになるだろう。
我輩はこれが苦手だ。
そこで我輩がとる方法こそ、この度のネット回線改良で可能となった方法、ファスト消費である。
まず情報をざっくりと眺め、それらを一望のもとに収める。そうして確立された視野の中で情報を取得していき、その座標性を明らかにしつつ立体的に組み上げていく。
要するに、ファスト消費によって簡易なブループリントを取得してしまってから、情報詳細を見ていくのである。観光旅行において、まず駅前で観光マップをもらい、それから観光名所を巡る手順と同じだ。

物語とファスト消費

物語が単なる情報と違うのは、情報が時間軸の中で展開していくダイナミズムを描写しているという点にある。
物語にも立体的な情報というものは存在する。所謂、筋というものだと思って頂ければ差し支え無い。「誰が何をしようとする」という部分が、物語における情報と位置づけよう。
これが時間軸の中で展開し、発展し、最終的に結末を迎える描写が物語になる。
物語は「何かをしようとしている誰か」という立体情報が、時間軸の中でみせるダイナミズムであり、この立体情報自体は一列順序的なものではない。空間の中で立体的に、一挙に把握されてしかるべきものだ。
「三話まで見たら面白くなる」とか言う類は、「三話まで見たら筋が分かるから」ということであり、「三話という時間を使って筋を説明している」ということだ。
これをファスト消費でさっさと理解してしまう。
不完全だとしても、とりあえずの地図を獲得する。それからでないと目の前に見えてくるそれぞれの情報がどこの何なのか分からず、面白味を感じられない。なにより座標性が明らかでない情報が一列順序的に提供される「まどろっこしさ」に耐えられない。
この「理解したい」「情報を処理していきたい」という欲求にかなうのが、スッキプを多用したファスト消費なのだ。

実はこのファスト消費を利用したコンテンツ鑑賞、タイパコスパは悪い。
何故なら、ファスト消費で簡易地図を作った後に、再度あらためてコンテンツを鑑賞するからだ。地図を手に入れてからは、じっくりと町をねりあるく。もちろん、地図を手に入れた時点で魅力的だと思った対象に限るけれど、魅力を感じた対象には子細に付き合う。
ファスト消費からのスロー鑑賞。言うなれば、多段多層的にコンテンツを味わう。
1から10を順序よく歩いて終わりではなく、1から10の間を行ったり来たりして納得するまで味わい尽くすのである。気に入った場面があれば何度もそこを再生するし、他者と情報交換もすれば、分析もする。
ファスト消費は、実はスローな鑑賞へと踏み込むための地図的役割を担っているのだ。

これからの鑑賞スタイル

現在のエンタメが、この多層多段的鑑賞に向かっていると感じる。
アジアで大ヒットをかましているスラムダンク。あれも映画だけで楽しむものではなかろう。漫画原作があり、映画がある。それぞれを補う形で、「スラムダンク」というコンテンツを織りなしている。
鬼滅にしても地上波アニメをもう一度劇場版で再現してみせたりと、多層多段的な鑑賞スタイルが目立つ。
昨今のメディア多様化もまた、この多層多段的鑑賞スタイルを助けている。
TwitterやYoutubeの切り抜きでまずはさっと触れ、興味が湧いたものに踏み込んでいく。
ハマれば作品を複数回鑑賞し、他者とのコミュニティに参加して体験を増幅させ、いくところまでいくと聖地巡礼だとかタイパコスパの悪いコンテンツ消費に至る。
一つのコンテンツが、あらゆるメディアチャンネルによって、あらゆるスタイルに変換され、様々な深度での消費に対応する。
人々は浅深度合い様々なコンテンツを何度も多段的に、多層的に鑑賞して、自分の中のコンテンツの解像度を高めていく。あるいはコンテンツ鑑賞という体験そのものを深化させていく。

国シリーズの到達点

夢物語として考えていることで、国シリーズのプラネタリウムを作ってみたいと考えてきた。「銀河鉄道の夜」のプラネタリウムプログラムを見てからの憧れだ。
我輩が考えるプラネタリウム作品は物語ではなく、作中で登場したシーンのコラージュ、作中風景のパッチワークになる。
国シリーズの物語を遊んでくれた方々へ、物語さえ捨象した「分かる人にしか分からない風景」を、没入感を徹底的に高めて提供してみたいと思うのだ。
たとえば大正星霜編の東京、日本橋通りを歩いている人々の中で、ユキカゼ、おトラ、クリと人混みの中ですれ違う。カメラは彼女達を追わず空間にfixされている。彼女達が去って行くのを、読者が首をめぐらせて見つめる。
国シリーズという物語鑑賞を終えた後、さらに深化する体験というものを何か用意出来ないか。
多段多層的に、出来るだけ深い体験へと皆様を誘いたい。
我輩もまた一人の作者として、そう願っている次第であります。

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