ハルカの国 創作の記 その81

進捗

立ち絵制作を続けている。只今は60パターンある素体の配色を行っている。素体の一覧をつくりそれぞれ色を配り、配った色を色彩調整しながら、ああでもないこうでもないと唸っている最中だ。
配色は苦手だ。取り組んでいると頭が痛くなる。原因は明白で、配色とは決定行為の連続だからだ。それも我輩にとって自信のない決定が繰り返し行われる。
選択と決定、決めたもの以外の切り捨て。これが精神をすり減らす。この摩耗に耐えるには強固な基準と自信が必要なのだけれど、色に関して我輩はいつまでも自信が持てず、基準を設けられない。
信頼しきれないルールを仮説し、システマティックな判断を繰り返し、定量的なノルマ達成を目標に動き続ける事で前進感は得ているが、これでいいのかという猜疑心は拭えない。
次第に色に対するゲシュタルト崩壊を起こし、何も決められなくなってしまう。その頃には脳みそは疲労困憊だ。
明暗、つまり一つのスケールにおける二項対立的感覚には自信がある。明と暗、静と動、狭いと広い、寒暖、強弱、これらの配置にはグラデーションとコントラストを意識すればいい。我輩の中にも、我輩が好む基準、リズム感というものがある。
しかし色相という環状の関係性は我輩を解決不可能なスパイラルへ招きこむ。一時期、音楽の勉強をしていた時も、コードの環状性によって「理解は出来ても取り扱うことが出来ない」という敗北感を味わった。
円環の中にある要素を取り上げ、静的な関係性へ留めるということがしっくりきてない。といより、全体においては調和しているが、局所においては偏っているという一時的な偏重を、視野が狭いあまり耐えらない。
配色にしろコードにしろ、小さいところでバランスをとってしまい、のべっとした、ビート感が失われていると言おうか、動き出しそうにないつまらないものに落ち着いてしまう。この結果につまらない静を感じているのだろう。故にいつまでも苦手意識が拭えないのだと思う。
懸命に取り組んで出来上がったものが、いつも落胆する結果になるなら、やはり人はその行為自体に忌避感を覚えるものだし、頑張った結果に励まされないというのは辛いことだ。
しかし苦手な事を必要に駆られ、苦手なりに処理していくのも創作には必要とされる能力だ。幸い、我輩にもそれはある。
ああ、苦手だあ、と思いながら配色を続けていこうと思う。

春秋編の動詞

繰り返しになるが、春秋編は〝見る〟が動詞として扱われる物語だ。無論、見るは動詞だ。しかし能動的な、行為としての動詞と扱われているかと言えば怪しい。
実際、「春秋編は誰が何をする物語なのか」と問われて「ユキカゼが見る物語だ」と答えても相手は納得しないだろう。
そこにある不可解は、何を見るのかという対象物の不明ではなく、見て何になるのだという、見るという行為への動詞としての不信感に起因しているのだと思う。
見るは動詞として分類されてはいても、積極的な行為として他者や世界に影響を及ぼすとは考えられてはいない。
イジメ問題においても、見ていただけなら同罪と、見るは現状への暗黙の肯定、参加とみなされる。
見るは問題を解決する能力にまったく欠け、目の前の出来事を変える力を持たない非力で、何ら影響を与えることの出来ない無意味な行為と見なされている。
この改善への不参加、影響力の皆無によって、見るは物語に採用されない。何故なら、物語は問題が生じて、それを解決しようとする人間のダイナミズムの描写だからだ。
敵に故郷が滅ぼされる様を見ている主人公がいて、何をするのかと思っていたらつぶさに見ていただけであれば、読者もその不動に憤りを感じ、何かしろよと痛罵したくもなるだろう。

しかしもしも、問題が変えるべき出来事でなければどうだろう? もしくは変えられないものであったら。
春秋編は老いていく人々を描く。失っていく人たち、いなくなっていく人を描く。
衰えに立ち会う時、人はやはり抵抗するだろう。失いそうなものを取り戻そうとし、失っていないのだと信じようともし、復活はまだ可能なのだと励ましもする。喪失と戦う人々は、必死な行為の最中にあり、それは十分に物語の動詞として採用出来る。星霜編はそれをした。
しかし失っていく人々と共にする時、つまり老い死んでいくという自然な悲しみと並ぶ時に、我々に何が出来るだろうか。そこに行為は残されているのだろうか。
残されている、そう思えたのが我輩にとっては「見る」だった。
見るは現状を肯定する。目の前の様を否定しない。何も変えず、受け入れる。故に日常では安易かつ無力な行為として蔑まれるが、本当の無力が訪れた時、見るは唯一の行為として生き残る。

行為とはある意味で、現状の否定だ。受け入れられないものに変化をもたらすため、人々は行動をする。物語は否定すべき何かがあり、それを否定しようとする主人公の行為だとも言えるだろう。
春秋編はそこから逸れる。老いていく人、失っていく人、その喪失に苦しむ者を、ユキカゼは否定せず見つめる。見て嘲笑うのではない。共に居て、共に転落していく。まるで主体者に従う影のように、葛藤する人々の後をついていく。
ユキカゼの〝見る〟は、変えられないものに対する無力を超える、最後の動詞としての見るだ。どうしようもない、何も出来ない、救えない。だから見る。見つめる。見尽くす。目を逸らさず、見逃さず、見捨てない。
救うことが出来ないものを見尽くすことは壮絶な行為だ。勇気と決意のいることだ。滅びていく者の、その消滅の凄まじい音を、自分の胸にごうごうと響かせて耐えねばならない。本当に暗い場所まで降りていき、去っていく者と向き合わねばならない。明るい世界から背を向けられているような孤独感を耐えねばならない。
ユキカゼはそれを成す。しかしユキカゼの見るは去っていく者を見送る行為ではない。去っていくものと共にする行為だ。老いと共にし、死に向かって歩き、明るさを見送る、人が最後に取り得る行為としての見るでもある。

「見る」という行為を、我輩は人間の最後の行為として可能性を見出している。ユキカゼにはそれを成してもらいたい。
そんな志を持って春秋編を書いたわけだが、やはり難しい。現状はまだ「見る」が物語の動詞として機能しているとは言い難い。やはり「見る」は「見ているだけ」であり、何もしていないと見なされれば、視点人物であるユキカゼ目線では何も起こしていない物語となってしまう。複数人から意見を募ったが、総じて「これは何の物語なんだ?」という疑問が返ってきた。出来事が起こっているだけ、それが脈絡もなく描写され続けるばかりで、ストーリーラインが見えてこないという感想だった。
難しいのが、遠からず我輩自身も「そのつもりで書いた」ということ。問題は我輩はそれを面白いものと感じているが、周りはそう思っていないことだ。
何かが足りないのだろう。我輩にとって〝見る〟の価値が、他者のなかで成立していないのはどこかでデザインエラーが起こっているのだと思う。
〝見る〟が最後の動詞であり、その動詞によってしか挑めない時代を書きたい。書いたつもりだ。どうすれば我輩の中にあるものが価値あるものとして他者の中で結実するのか、今も思案の日々が続く。

コミティア報告

名古屋コミティアに参加してまいりました。
遠路はるばるお越し頂いた方は有難う。感想などはたいへんな励みになります。物語の向こうには本当に人々がいるのだなあ、読者がいるのだなあと思えるのは、自分が行っている行為がライブ感は伴わなくともコミュニケーションなのだと感じられる貴重な体験でした。
他者を目の前の質量として存在感も感じられたのは、一人創作を続けていく身には貴重な体験だった。
また創作の坩堝に身を投じていく感覚が心地よかった。
名古屋駅につく、地下鉄で移動し最寄りの駅に降りる、コンビニに寄ると目的地を同じくしていそうな人々が目につく。
いざ会場へ向かうと、だんだんと同人作家らしい人々が合流してくる。集まって、ガラガラと創作物の音を響かせながら同じ方向を目指す。その集団に混じっている奇妙な誇らしさと嬉しさ。周りの彼らも、日頃から何かを作っているのだなあ、作りながら楽しかったり苦しかったりしてるのだなあ、と思えばある種の共同体に属した高揚感を得られた。
ガラガラ、ガラガラ、皆が荷物を引っ張って会場に向かった100メートルほどの道中が、我輩をとても慰めてくれた。
これは東京では得られなかった感覚。というのも、東京のコミケ、コミティアはやはり規模が大きくて、電車に乗ったあたりからぎゅうぎゅうとしているから。
世間に隠れていた忍たちが、会場一歩前の信号止まりで一斉に集結し、互いに会話もなく並ぶ、いざ、という感じは地方ならではだと思う。
次回は大阪コミティアに参加するつもりなので、大阪でも感じられるものなのか探ってみたい。

創作と生活

コミティアから帰ってきた翌日のこと、祖母が救急車で運ばれた。急激な腰痛を訴え、痛みは引かず、増していく一方だったため我輩が救急車を呼んだ。
腰の痛みは大した事無かったのだが、血圧が異常値を示し、また動脈硬化もかなり進んでいて危険な状態と説明をうけ、そのまま入院となった。
入院となったが、入院したところで、という状態らしい。頭部、内臓、下肢、あらゆる部位へ通ずる動脈が硬化し、か細い糸状の血流しか見つからない。脳にはいつの間にか患っていた脳梗塞の痕もいくつか見られた。治療のために何かをどうすればいいだとか、それこそ今更タバコを止めたほうがいい、食事制限を設けた方がいいという段階は過ぎているらしい。血圧も異常なほど高いが、それというのは細くなった血管に必死で血を流し込んでいるためで、高血圧によって生きながらえているという状態だそうで、血圧も下手に下げられない。
説明してくれた医者も頭を抱えていた。
もう医学の話ではないということですね、と尋ねると、うんそうだ、医学の話ではない、と返された。
どうするのか、死生観の話、家族の話だということだった。
それで我輩は連れて帰りたかったのだが、祖母が腰の痛みを訴え車に乗れなかったのでそのまま入院となった。
入院すると譫妄がでて、認知が一気に進む。既に認知症の症状が出ているので、明日にはどこにいるか、もしかすると家族のことも分からなくなるかもしれないと説明された。我輩も介護職に携わっていた身なので理解出来た。祖母には痛みがひいたら家に帰ろう、頑張って帰っておいでと伝えて別れた。今は寝たきりでリハビリ病棟への転院を待っている。

入院の手続きを一通り終わらせると、昼間だと思っていたがすっかり夜で、家に帰ってから家族に祖母の様態について知らせた。医者から「家族の話」と渡されたものを共有したが、家にいた父と叔母はあまり分かっていないようだったし、分かりたくないようだった。
受け入れられないと言うより、まともに向き合うことを避けたい様子で。死生というものを、出来ることなら目の端にとらえるくらいでやり過ごしたいという怯えが見受けられた。
共感を得られなかった事は寂しかったが、仕方ないという気持ちもした。特に父は死という概念が苦手で、死がもたらす環境の変化に大きなストレスを感じる人だということは、愛犬の死に際してあまりに稚拙と思えた言動から察せられている。
父を彼の言葉のままに判断するのではなく、それを発言させた彼の恐怖を見つめることで理解は出来た。

死の気配というものは、本当に人を傷つけ、疲労させる。それに耐えられる人は少ない。ほとんどの人は自分の死にさえ向き合えず目を瞑るものだ。あるいは希望にすがって諦めずに日々を送るか。その時がきても、目覚めてしまいそうな感情をさっさと日常の中に混濁させ、濁らすことで鮮烈なものを感じずにやり過ごそうとする。カーテンを引くように、死というものからの距離や境界を求める。
我が父などはその筆頭で、ネクロフォビアとさえ言ってもいいのかもしれない。というのも死という言葉を嫌い、卒業、引退、という言葉の言い換えまでして大したことがないように扱いたがり、家族を唖然とさせる癖があるから。
父はそういう態度で、叔母も「そうは言ってもまた良くなるだろう」という希望を持ち、祖母のことは家族のうちでも共通認識は得られず、各々がそれぞれの捉え方に籠もって終わった。
我輩ばかりでなく、皆がそれぞれ自分の中で孤立した形だろうか。寂しく孤独感を味わった我輩は、ハルカの国のことを考えていた。

緊急治療室の前で待機していた時から、ユキカゼはハルカのこと、創作のことを考えては慰められ、今もそれを続けている。
他のことを考えて気を逸らすために用いた方法ではない。医者が頭を抱え、あとはもう家族の話、と渡してきた祖母の様態のこと、これからと言うよりは残りと言ったほうが正確な日々のことへ、まともに向き合うために仲間を呼んだようなつもりでユキカゼたちのことを考えていた。それで本当に慰められたのだ。今でも慰められている。
ハルカの国は、我輩にとって、緊急治療室の前でも世界観を損なうことがなかった。じっと我輩の側にいてくれる。死という強烈さに耐えてくれる。我輩の中ではそういうものにまでなっていたのだと驚きもした。

日常で夢中になっているもの、好きな作品、推しの活動、それらが実生活を前にして世界観が損なわれることを嫌い、忽然と消えてしまうことがないだろうか。まるで作品と自分との間に線が引かれ、自分が虚しい方、みすぼらしい方に取り残されてしまうような感覚。あの面白くて綺麗な世界はあちら側で、自分はあちら側ではなかったのだと判明するような疎外感。
憧れの対象であればこそ、それが自分を置いていってしまうような感じを味わった経験はないか? 我輩は何度もある。それは作品ばかりでなく、周囲や、家族にさえ感じることだってあった。
雪子の国をつくる前だったか、大阪にいたころ、仕事が辛くて「ああこんな時誰かが側にいてくれたら、どんな人でもいいから側にいてくれたら」と涙を滲ませた。
その「わずかなものへの憧憬」が創作の原動力になり、それを求めて物語を作った。それが国シリーズだったと思い出した。
今、ハルカの国が我輩の側から離れずにある。むしろ我輩が暗闇へと降りていき、そこに待っていたものと出会った感覚さえあった。悲しい場所へ先にいた人と出会った、その感触を覚えて、ああこの作品は我輩を救うのかもなと思えた。

我輩の人生設計は同人創作に夢中になったばかりに、破壊されたと思っている。自分の才能を過信し、仕事を辞めて創作に打ち込めばきっとものになると夢見たばかりに、取り返しのつかないところまで来てしまったという怖気が常にある。
特に「ハルカの国」は酷く、我輩の人生から多くのものを奪っていった。金銭的な面ではまったく期待に応えてくれず貯金は減るばかり、名声と言ってしまえばあまりに大げさだろう、年齢に応じた自尊心を癒やしてくれる程度のこともしてはくれなかった。
今作っている春秋編も、最後になる永訣編にも正直希望は持てていない。いや、まったく無いわけではないだろうけれど、当初のような「きっとこの作品が俺の人生を変えてくれるだろう」「とんでもない傑作として色んなものを俺にもたらしてくれるだろう」という野心は滾らない。
萎えたし、拗ねてもいるだろうし、期待してその都度大きな失望を味わうことに警戒心も出てきて、気持ちも年を取った。今では、「お前は本当にやってくれたな」と、賃貸を滅茶苦茶にして一緒に追い出された大型犬と隣にならんでいるような気持ちでいる。とんでもない相手だが、今更捨てられる相手でもないし、情があるから最後まで一緒にいる。そういう諦念は少なからずあり、先行する作品に引きずられるようにして歩いている感覚がこの頃だった。
しかしここにきて、ハルカの国が我輩の生活を助けている。我輩の側に残って、我輩の孤独を和らげてくれた。そう考えれば、大阪時代に涙した「誰でもいいから側にいてくれたら」という本当の憧憬は叶っているのかもしれない。ハルカの国が我輩の人生を破壊したと思っていたけれど、とうとう救い始めたのかもしれない。
少なくともこの度は、創作をしていて良かったな、ユキカゼやハルカを描いていて助かったなと心から思えた。

祖母のことはこれからどうなるのだろうと不安が絶えない。家族や暮らしもまたどうなるのだろうと想像してみても、予想出来ない。訪れるものを引き受ける準備を繰り返すばかりだ。
祖母が犬の写真を送って欲しいと言うから、いつも二人(一人と一匹)で寝ていたベッドに犬をのせ写真を撮って送った。犬も分かるのだろう、寂しそうにしている。
創作を続けていると、我輩は寂しさや孤独のなかに居残っていられる。自己欺瞞を用いることなくここにいることを耐えられる。それを支えているのがハルカの国にあらわれて消えていった人々だ。これから消えていく人々だ。
人生は思いがけなく救われるものだ。この度はつくづくそう思わされた。あるいは、我輩という人間が、救われようとする思いが強くて仲間を見出す力に優れているだけかもしれない。いや実際そうなのだろう。その思いによって来上がってきた作品たちなのだから。
しかしとにかく、我輩は今、自分の創作と、見つけてきた人々に支えられて生活を送っている。それがとても有り難い。

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