ハルカの国 創作の記 その64

進捗

ネーム 約800枚(先月+0)
シナリオ 約280000文字(先月+35000)

全体的な流れを整理中。
一つ印象深い経験をしたので紹介したい。
春秋編、春の時代(1962年)における、あるイベントが気に食わなかった。
いかにも物語的で、イベント然としており、やっていることも派手。
物語は「ケ」で表現されなければならない、というポリシーを持つ我輩には、そのイベントを正面からカメラに収めることが下品に思え、書き終えた後も心残りがあった。
物語は「ハレ」で描いてはならない。結婚を題材とするなら結婚式を描くのではなく、結婚式の前夜だったり、式への移動中の車内であったり、式が終わった後の片付けであったり、「ハレ」の周縁を描くことが物語には求められる。
これは我輩が敬愛する大作家、小津安二郎の創作理念の系譜だが、この理念の根底には物語が受け持つ「発見」への義務感があると思う。
物語の目的は「発見」であり顕在化していないものに光をあてることに意義がある。そう考えれば、「ハレ」を避け、「ケ」を追求する思想も分かって頂けるだろう。
「ハレ」とは儀式であり、形式の再生、既存の模倣である。そこに未発見のもの、潜在的ものの乱入は許されていない。
発見を目的とする物語と、既存の形を繰り返す「ハレ」の相性が悪いことは明白だ。
奇を衒うわけではなく、物語の目的達成のためにも、我輩は日々「ケ」での表現を試みてきた。派手な「ハレ」のイベントは避けてきた。少なくとも、それを正面、堂々と描くことは。
そうしたポリシーは美学にも通底してくるもので、「ハレ」を描くことが理屈ではなく感情として下品だと感じ、気持ちでも避けてきた。
そんな我輩の心的スタンスに、あるイベントがひっかかっていた。
そのイベントの描写には義務感が強く働き、描いていて面白くなかった。こういうイベントなのだから、こういうことが期待される。だからこういう風に描かなければならい――あるあるの踏襲に、我輩の視座、我輩の発見を持ち込む隙間がなかった。誰でも描けるようなものを、特に好んでもいない我輩が物語上の義務に応じて描かされる。
そのイベントをそのイベントらしく、より面白くすることも出来たと思う。しかしそのイベント、「ハレ」というものが我輩らしくない。面白くする術を技術として知っていたが、やりたくなかった。
結果、義務として描いたけれど、そのイベントが伸びる方向へ最善を尽くさなかった描写が残った。それが心残りだったのだ。
美的嫌悪感に耐えきれず、そのイベントの前後を描く事で消去を一度試みる。
玄関での見送り、玄関での迎え、この二点の描写によって間に起こったことを想像させる。イベントを正面から捉えない「外し」を試してみた。
「外し」による描写はいかにも我輩好みで我輩らしく、物語独特の発見もあって満足のいくものだった。
しかし、駄目だった。
全体の流れとして見直した際、「外し」の表現では物足りない。後に続く展開に十分なエネルギーを与えられていない。
創作者としての美的感覚に則った描写では、消費者として物足りなかった。あえなく断念、元に戻すとやはり「ハレ」による濃い味付けが妥当だと感じる。
全体性を重視する時、創作理念や美的感覚を越えて必要な描写がある。そのことを印象深く体験し、学ぶことの多い経験となった。
創作者としての我輩、消費者としての我輩。
この両者の舌が異なる時、我輩は消費者としての感覚を優先する。我輩は創ることより、本当は味わうことの方が好きなのだ。
自分にあうものがこの世から消えてなくなりそうだったから、自分のために創作を始めたのだと、この経験を通して思い出した。
我輩は消費者として感動したい。悲しいかな、消費者としての我輩は案外、俗物で、派手で濃い味付けが嫌いじゃないらしい。

ファンタジーの起源

ダンジョン飯、以前好きで読んでいた。この度アニメ化ということで、久しぶりに触れてみる。原作に忠実な良いメディアミックスだとは感じたが、不思議と面白いとは思わなかった。漫画を読み返しても興味を惹かれなかったので、我輩の趣向が変わったのだろう。
しかし変わったのは本当に我輩だろうか?

以前、好きだったものが嫌いになるならまだいい。嫌い、は感情であり、絶対値としてはエネルギーであるから。経年老化の途にある我輩がこの頃恐れるのは、好きだったものに興味がなくなるエネルギーの減退。人間としての総エネルギー量の衰えにより、好悪感情に割くリソースが減ってきているのじゃないかという疑惑。この恐怖心と猜疑心故に、我輩は興味がなくなった対象に興味がある。己の感情の変移、ダイナミズムを説き明かしたいと思う。
これが最近の、我輩のアンチエイジングだ。
皆様、どうぞお付き合いあれ。

何に興味が持てないのかと、己の空虚砂漠を彷徨ってみれば、そこに西洋ファンタジーという遺跡が見つかる。剣や魔法やドラゴンといった、古代~中世西洋を舞台にした冒険譚に興味がない。これを舞台とアクションに分解すると西洋と冒険となり、後者には未だ心ときめくものがあるので、西洋に興味がないという結論に行き着く。
しかし我輩は西洋に興味がある。
ユーロ圏のことは歴史として時間軸的にも、政治地政学として空間軸的にも興味をもっているし、それらの知識は現代日本に生きる我輩に直結する生々しい情報としても体感している。
我輩が興味を持てない西洋は、経済や政治で使われる西欧という区分ではないし、歴史としての区分でさえない。
では我輩の興味が覚めた西洋とは何か。
答えはファンタジーとしての西洋なのだけれど、では一体ファンタジー西洋とは何か。何処にあるものなのか。
その分析結果を先んじて述べておくと、「戦後アメリカの憧憬」が「記号として運用され省略のテクニック」として昇華されたもの、と言えるようなのだ、どうやら。
その分析の過程を紹介したい。

ファンタジーの語源は古代ギリシア語のPhantasia。
翻訳としては「可視可する」「光をあてる」「私が照らす」などが並ぶ。ありえないもの、見えていないものを顕在化させる力と手法、それがファンタジアであり、ファンタジーの目的。
この力が西洋にひっつき西洋ファンタジーとなるのであれば、その翻訳とは、西洋の顕在化と言えるだろう。
見えざる西洋に光をあて、可視可したもの。それが西洋ファンタジー。
ファンタジアの力で顕在化された西洋とは何か。それを考えるのには、一体誰がファンタジアの力を使ったのか、誰が西洋に光をあてのかを考える必要がある。誰が何の目的でファンタジアの力を使ったのだろうか。
ここからは我輩の既存知識による勝手な推論になるが、我輩はこのファンタジアの使い手を「指輪物語」の著者、トールキンと想定し解析を進めた。いや、トールキンの著作を求めた戦後アメリカ大衆の欲求を、ファンタジアの使い手ではないかと仮説をたてた。
トールキンが「指輪物語」を執筆したのが第二次世界大戦中であり、物語が発表されたのが1954~1955年のこと。日本では経済白書に「もはや戦後ではない」の言葉がのり、戦後復興から一区切りがついた時代。
この時代、アメリカはA&Pスーパーマーケットに代表される画一主義(コンフォーミズム)が蔓延し、東部でも西部でも南部でも何処でも一緒の同規格商品が世に溢れていた。
それら画一的商品を消費することで達成される親世代のプチブルジュア的生活嗜好、保存料をぶち込んだトマトソースの缶詰みたいな世界観、人生観に嫌気がさしていた若者たちからはビート族なるものが生まれ、自分たちが戦争でぶちのめした日本の禅文化や、旧大陸の歴史などをやたらと有り難がる風潮が、息苦しい閉塞感からの脱却を求めて吹き荒れていた――と寺田実の旅行記「何でも見てやろう」には記されている。
アメリカ的でないものを欲するアメリカの感情、ビート族の叫び、そのエネルギーをもってファンタジアを起こしたのがトールキンの「指輪物語」だったのではないだろうか。
トマトソース缶的世界に嫌気がさしていた若者による西洋の再発見、ファクトリー的近代から捨象された、冒険や旅の仲間、自然から自らがつみ取る日々の糧、それら古き良き時代への憧憬こそが、トールキンの「指輪物語」であり、そこで起こったファンタジア、光をあてられたものだったのではないだろうか。
近代化の中で息苦しさを覚えた人々が、忘れていたもの、進化の過程で置いて来たものを思い出す。
ファンタジアは20世紀後半において、「私は忘れたものを思い出す」という、憧憬の顕在化に使用されたのだと思う。
ここに「西洋ファンタジー」というジャンルの祖型が誕生したと、我輩は考察する。

アメリカ合衆国のアイデンティティを、ロイヤルなイギリスからの独立、またはモンロー主義にみる旧大陸との決別とするなら、彼等が「忘れたもの」「置いてきたもの」が西洋ファンタジーの中に詰まっているのは頷ける。
しかしこの「私は思い出す」という文脈では、日本のエンタメに溢れる西洋ファンタジーは語れない。何故なら我々ジャパニーズは西洋を思い出すことはないからだ。
バルビゾン派の描く農村風景にシンパシーを覚えることはある。それと同じく、資本社会発展前の旧世界に憧憬が疼くことはあるだろう。だがそこに「顕在化」はない。我々が光をあてたものはなく、他所でファンタジアされたものを輸入して鑑賞しているに過ぎない。
西洋ファンタジーは。「顕在化」という意味においても、「思い出す」という意味においても、我々のファンタジアではないのだ。
だとすれば日本に転がる西洋ファンタジーとは何なのか。我輩は手間を省くための記号だと解釈している。
輸入された西洋ファンタジーが浸透した結果、そこにあるものを流用すれば諸々の説明が省けるという記号アセット。
日本における西洋ファンタジーは西洋をファンタジアするものではなく、別の何かを物語るために活用される記号群。つまり「私は思い出す」ではなく「私は流用し省く」が日本における西洋ファンタジーの意味するところではないだろうか。
では西洋ファンタジーという記号群を使って、日本で描かれてきたものとは何か。時代によって様々だろうが、最近の流行はコミュニティ問題だろう。
自分を評価しなかったコミュニティを見返す、自分が欠けることでコミュニティが機能不全を起こす、そうした集団の中で本当は不可欠だった自分という価値の顕在化こそが、現状日本西洋ファンタジーの利用においてファンタジアされているものだと思う。
言うなれば西洋ファンタジーではなくコミュニティファンタジーだ。

日本における西洋ファンタジーの正体を突き止めたところで、我輩の嗜好に戻ってみると、我輩はこの記号運用としての西洋ファンタジーに興味がないのだと思う。
物語体験に目新しさ、ワンダーや、スペクタクルを求める我輩にとって、既存ほどつまらないものはない。実際、ファンタジー冒険にしてもメイドインアビスは大ファンで、次は何が出てくるのだろうかとわくわくしながら視聴したものだった。
ダンジョン飯は西洋ファンタジーあるあるをネタにした、記号を食べてみたらどうなるかという穿った手法ではあるけれど、アニメーションとして見た時に既存の想像力の域を出ない絵面に好奇心は刺激されなかった。
漫画で読んだ時は、記号だった西洋ファンタジー的なものを調理して食べている姿に目新しさを感じたのかもしれないが、一発ネタ感が強く再度の視聴に耐えられるものではなかったのだろう。
また料理は我輩にとってケの作業であって、日々の営みの中に埋没して美しいものであり、それをフューチャーすると途端に商品臭くなり、我輩の好みに合わないとも感じた。

現代に望まれるファンタジア

画一主義からの脱出願望によって生じた「私は思い出す」という意味でのファンタジア、そんなファンタジアによって見つけられた西洋ファンタジー。
昨今の日本エンタメにおいてそれらは記号として運用され、コミュニティにおける疎外された感情の発見、蔑ろにされたものの復活という別のファンタジアに利用された。
「可視可する」「光をあてる」というファンタジアの力は、時代に応じたものを、求める者に従って発見してきたのだと思う。
そんなファンタジアが、現代のエネルギーに応じて立ち起こる時、一体なにを発見するだろうか。
我輩は先の例にあげたアメリカ式に次のファンタジアは起こるのではないかと考えている。つまり忘れてきたもの、置いてきたものを思い出す形式としてのファンタジア。
我々が近頃忘れたもの、我々の営みから捨象されたものの例としては、以下のようなものが挙げられるのじゃないだろうか。
家族、死、座標。
伝統的家族様式は、いくらリベラルぶってみても日本人には馴染み深く懐かしいものなのだ。それが自分たちの世代では再生産難しいと分かっている今なら、それは我々からこぼれ落ちたもの、失ったものとしてファンタジアの対象になりうるだろう。つまり商品としてのポテンシャルがある。
死もまた我々の人生計画から欠落して久しい。人生100年時代、いつまでも死ぬ気がない、ひたすら生かす医療制度の中で、日本の死は失われた。生活空間に死者の居場所はなくなり、家もまた人が死ぬ事を想定しないデザインとなった。タワーマンションで死を迎えても、死はタワーマンションのデザイン外であり、イレギュラーとして邪魔者扱いされる。
介護業界で働いてきた我輩は、タワマンの死というものを幾つか見てきた。タワマンからは死者は出ない。これはもう生きていないだろうという状態でも、一応まだ死んでいないこととして救急車が呼ばれ、担架で運び出される。そうして病院にて「死」を確定され、タワマンには帰らずそのまま葬式業者引き取られる。通夜も別会場で行われる。タワマンは生きているものだけの住まいなのだ。
こうして我々の生活から切り離された死を、ファンタジアの力を使って思い出し、フィクションとしてリアリティ豊かに体験することもまた、潜在的な欲求として人間の水面下に潜んでいると我輩は思っている。
少なくとも我輩は自分が老いて、衰退し、減少していき、いつか死を迎えてこの世界から消滅する過程への興味によって、ハルカの国を創作している。いなくなるということを、恐怖心故に、知りたいのだ。
人生100年時代だとか、いつまでも若々しくだとか、老後の安心だとかいう胡散臭い文句であふれた寝ぼけた空気から目覚めて、消滅までの迫力のある生命とを生きてみたいと願っている。
死へのファンタジアは同時に眠っている生へのファンタジアでもあるだろう。
座標は今後進行していく「いつでも、どこでも大丈夫」という時空間の必然性の欠如によって、「今ここでしか」という希少性が憧憬の的となる。
今とここを共有した他者との体験をファンタジアする。そんな当たり前のことを再発見してどうするのだと感じるかもしれないが、コロナ化で青春を送った学生などは、学校へ行き、部活やサークルで仲間と集い、意味もなく居残る放課後の時間などは、やはりファンタジアに値いするのではないだろうか。
いつでもどこでも再生出切る動画の消費に虚しくなった人々が、今とここを共有出来るLive感を求めてファンタジアを希求することは十分考えられる。
誰かと会って話がしたい。
オッサンとなって我輩でさえ思うのだ。若者たちならなおのこと、リアルなコミュニケーションに怯えながら、リアルなコミュニケーションに飢えていることだろう。
その渇望はきっと、商品になる。