体力という名の才能
執筆活動を文化的な活動と思うなかれ。
必要なのは体力。書いてそのまま体の力。肉体の力だ。
とかく人は頭を使うことを肉体労働と切り離しがちだが、否。
脳と肉体は地続きであり、脳もまた肉体の一つでしかなく、その活動は体力を必要とする。
人間の活動において、肉体から解放されたものなどないのだ。
脳の活動の他にも、執筆活動は肉体を必要とする。
二時間も三時間も座位を保ち、デスクに向い続けるには、ある程度鍛えられた腹筋と背筋が不可欠なのだ。
「なにが座位だ」
と馬鹿にしなさるな。
後に記すが、正しい座位を保てるかどうか、これは数ヶ月を要する長編完成には欠くことのできない素質になってくる。
第一体力がないと集中力が持続しない。
長編にとりかかっては挫折することを繰りかえしている方がいれば、根本的な体力不足を疑おう。
体力の必要性
村上春樹は日に10キロのランニングを行なうという。
執筆作業に必要な体力を補うためだ。
物語を完成させる大前提として、日に数時間は執筆に向かわねばならない。
それを少なくと一ヶ月は繰りかえす必要がある。
身体をデスクに向かわせるのに精神力が必要だが、この精神力を維持するには体力がいる。
疲れやすいと集中力の持続が難しく、判断能力も低下する。
ここぞという時に踏ん張りもきかない。
例えば一つの台詞がしっくりこない時、リズムが悪いのか、シーンの流れを壊しているのか、キャラクターに根づいていないのか、種々の要因が考えられるが、疲れているとそれらと正面から向かいあう気持ちがうまれてこない。
そもそも「しっくりこない」という違和感さえ覚えないこともある。
健全な物語は健全な脳にやどり、健全な脳は健全な肉体にやどる。
先に触れたが正しい座位を保つ能力も、長期にわたる執筆活動には要求とされる。
それには腹筋と背筋という体幹をささえる筋力が必要だ。
姿勢を崩すと数々の問題がおこる。
まず眠気がおそう。
次に腰をいためる。
最後には前のめりになるあまり腸が圧迫され、消化機能を低下させ腹具合を悪くさせる。
どれも長期的な作業をするうえで悩みの種となる。(我輩はどれも経験して大いに悩まされた)
座椅子を変えるなどすれば多少の改善ものぞめるが、そもそもの資本となる肉体がなければ道具は何も助けることはできない。
作家に必要な運動量
村上春樹のように毎日10キロ走れとまでは言わないが、週に三度、5キロ程度のランニングかそれに値する運動をするのがいい。
運動を選ぶうえで大切なのは運動量よりも、運動する時間の長さだ。
脳を鍛える上でも、最低30分は〝ちょっとしんどい〟くらいの運動を続け、脳の「やめたい」という要求に打ち勝とう。
脳は犬だ。しつければ貴方を助ける。
甘やかせば馬鹿犬になり欲望のままに振る舞って、貴方の人生を台無しにする。
貴方とは物語を完成させるという目的だ。
ストレッチもこまめに行なおう。
身体がかたいと血液の循環を悪くし、脳に十分な酸素や栄養が届かない。
疲れやすい身体にもなり、体力も回復し辛い。20分そこらの仮眠で疲れをとろうと思えば、ガチガチに凝り固まった身体を横たえるより、しっかりと筋肉をほぐしてからベッドに入るほうが効率がいい。
体力を補うための反復運動は執筆に耐えうる脳づくりにも良い。
ランニングでも、水泳でも、サイクリングでもいいが、長時間一定の動作を繰りかえす運動は、脳に反復運動を耐えうる習慣をつくる。
執筆活動は反復運動だ。
途中で手がとまり、ついつい下調べの検索がネットサーフィンにかわってしまうのは、脳が反復運動に耐えられず新たな刺激を求めているからだ。
この〝刺激を欲しがる〟脳の性質に打ち勝つことが、執筆には何より必要とされる。
これを野放しにしていると、取りかかった物語に飽きては新たなプロットを組み始める、なんてことを繰りかえすようになる。
宙に浮いた車輪は同じ場所でまわりつづけどこにも行けない。そういうものをカラカラ回すことはハムスターにでもまかせて、一歩でも二歩でも物語を前身させる力をつけよう。