18本目 キャラクター創作論

 人は人にしか興味がない

 以前、我輩は人を小さく捉えると言ったが、それは人に興味がないということではない。むしろ人にしか興味がない。ただ捉え方として小さく捉えているという話だ。

 人は人にしか興味がない。

 だからキャラクターがペラいと物語に興味を失う。主人公を魅力的な人物に思えず、所詮作り物のキャラクターにしか見えてこなければ、そんなものがどうなろうと知ったことではないので物語がどうでもいい。

 人は人にしか興味がない。

 もっと突き詰めれば、人は自分にしか興味がない。

 遠くの戦争でおこる悲劇より、鼻の頭にできた真っ赤なニキビのほうが当人にとってはよっぽど問題なのだ。人間はそういう生き物である。

 だから感情移入できることが物語には不可欠なのだ。

 だから大前提としてキャラクターがちゃんと人間であることが大切なのだ。

 だって読んでる読者は人間だからね。

 主人公のことが好きなだけなヒロインは人間じゃない

 タンパク質、脂質、ビタミン、ミネラル、エトセトラ。

 人間の身体を維持するには様々な栄養素が必要だ。それと同じように一人の人間が一人の人間として成り立つのには様々な社会的立場がある。

 ヒロインは主人公のことが好きかもしれない。

 けれどヒロインには友達もいるだろうし、部活の先輩もいるだろうし、ラインでやり取りをする仲良しな姉もいるかもしれないし、中学で別れた友達グループと月に一回は遊ぶこともあるかもしれない。春休みにはバイト先の仲間達とUSJに行く計画をしていて、夢は姉と同じシュチュワーデスになることだから、大学入学後は語学留学を予定しているかもしれない。

 数え上げれば切りがないが、とにかく一人の人間はあらゆる要素で構成されており、他人が見れるその人など一面に過ぎない。

 主人公の前では可愛らしい幼なじみかもしれないが、鞄のなかには主人公とは関係ないUSJのガイドブックが入っているくらいのことはあってもいいのじゃないか?

 人物としての多面性がないと魅力がない。

 いくらイラストで絶世の美少女を描いておいても、ただただ主人公のことを好きなだけなら、そんなのは薄っぺらいキャラクターでしかない。

 世界は主人公を中心にまわっていない

 主人公やヒロインが自分たちの恋や障害に夢中になるのはわかるが、周りの人間までもがそれが世界一の関心事のように振る舞うのはおかしい。

 みんなそれぞれ生きているのだ。主人公やヒロインのために脇役として生きているわけではない。彼らには彼らの人生があり、主人公が青森に引っ越すヒロインとの別れに打ちひしがれていても、父親は朝7時半には家をでて環状線に乗らなければならず、母親は十時からのパートに間に合うように食器をかたずけ、二人の別れを知る主人公の親友は彼らに同情しつつもコンビニでジャンプの最新号を立ち読みするのだ。

 そういうことを忘れ、作者が主人公の物語にすっかり夢中になったとき、登場する人物が彼らの悲恋にこぞって涙するようになったとき、彼らは人間でなくただのキャラクターとなりはて、物語は現実味を失う。