物語の迫力

年末に向けて、やや忙しい。
引き籠もっているだけの暮らしにも、師走は分け隔てなく忍び込んでくるようだ。
今頃街を行けば、ワムのラストクリスマスが流れ、煌びやかなイルミネーションがケヤキ並木を彩っている頃だろうか。
我が輩は毎日毎日ディスプレイとコピー用紙の白いのとにらみ合いが続き、いい加減頭がどうにかなるのでないかと不安になる。
不安になるのは「特殊性癖になってねぇか?」ということ。
「性癖とんがりねずみ」と言うのだろうか。
ガラパゴスで暮らすあまり、外の世界とは相容れない異形の化け物へと転じないか、恐くなるのだ。
「俺が面白いと思うものって、世の中でもちゃんと面白いの?」という不安。
「ユーラシア大陸でも許されることなのこれは?」という疑心。
「前の方が良かったって言われたらどうしよう……」という恐怖。
これらと仲良くしながら歩んでいくのは、なかなか骨が折れる。

不安、疑心、恐怖。
これらを抱えて創作していくのは、大変だ。
しかし連中に解雇通知をだし、みなぎる自信とだけ肩を組んでやっていくのも危険極まりない。
我が輩はそれで一度、痛い目をみている。

一人でいると、不安や疑心、恐怖がすくすくと育つ。
これらをハンドリングしていくのは、創作の技術だとも思う。
試行錯誤してきたし、我が輩なりの方法論も確立した。
しかし手強いのは、連中、ウイルスと同じで抗体を持つこと。
「効果はバツグンだ!」の方法をようやく編み出しても、一月くらいで使えなくなる。
連中とのイタチごっこは続き、時折そこに疲れ果てる。

伸び伸びとしてくる不安や恐怖を手抜くことなく剪定し、自信に光を当てつつも調子に乗らせないようには見張っておく。
やってることの本質は十年来変わっていないが、いつまでも手慣れてはこないものだ。

俺は性癖とんがりねずみなのか。
漫画読んだり、映画みたりしながら、比較検証し、調査をすすめていく。
なにも大衆性を帯びたいわけじゃない。
むしろ尖っていたい。
ただ一人になるのは嫌だ。誰も居ないところでは物語が成り立たない。
物語は人を必要とする現象なのだ。
我が輩の物語には、我が輩以外の誰かが必要なのである。

物語の迫力

忙しい。
と言うのも、ロケハンに出たいと考えている。
広島・尾道と、もしかしたら東京。
大正編の舞台となるロケハンである。
東京は幾度か足を運んだことがあるし、ロケハンしなくても大丈夫か、と思っていた。
が、東京駅~神田、神田明神、葛飾区柴又帝釈天。
これがどうにも想像出来ない。

大正編。
かつての東京駅、汽車を待つ間、どんな具合だったのか。東京駅に到着し、ユキカゼ達の借家がある神田までの道のり、どんな雰囲気なのか。
柴又帝釈天、庚申溝の縁日がたつ様子は? 神田明神へ初詣に行く道中は?
現代の東京でロケハンしてもどうせ意味ねぇし、金も時間も勿体ないし今回はしなくていいや、と思っていた。
けれど、書けん。
書いたけれど、なんか迫力が足りない。
「男はつらいよ」をレンタルし、Youtubeで関東大震災前の東京映像を集め、古い地図を眺めて想像してみるが、足下がふわふわしてる。
東京の描写に自信が持てない。

我が輩が描きたい東京は、大正八年~九年、第一次世界大戦景気にわく、関東大震災前の東京である。
現代の東京とは違う。下手に今の東京を重ねない方がいい。
リアルとリアリティは違うし、ロケハンすれば良いものが作れるなんて考えは安直、思考停止状態、東京へのロケハンは投資先として相応しくない。
東京駅もコミケ遠征で何度か利用しているし、色々見て回ったこともある。
そう思っていたし、正直、今でも思っている。
だが後悔したくないな、という思いも強い。
と言うのも、大正編、東京の描写が要なのである。

大正編の東京と、明治越冬編の山村と、対比になっている。
あらゆる事が対になり、コントラストとなり、お互いを補完する。
簡潔に言えば「時代は変わったなぁ」という感が出したい。
降る雪や、明治は遠くなりにけり――という感が出したい。
ユキカゼがハルカとの日々を思い出し、あの頃を思えば懐かしい、今でもあの越冬を思い出す――という感が出したいのである。
そのためには大正東京に迫力を持ってもらわなければならない。
大正東京が大正東京であればあるほど、明治の奥深くに埋もれた越冬は遠くなる。遠くなって、いっそう香るのだ。
そういうデザインで作りたい。
越冬編、決別編、星霜編。
三部作。前半三つで、一つのデザイン。
そんな気が、今はしている。
ユキカゼにとってハルカとは何だったのか。
ユキカゼのなかにあるハルカという幻。
巨大で、圧倒的な冬の幻想。
握り続けてきた剣の果て。
これらに一度、ケリがつく。
だからその舞台となる東京には、迫力を持って欲しいのだ。

どうしても迫力を持たせたい。
その方法がロケハンなのか。それもよくわからない。
ただ大正星霜編を終えた後、「ロケハン行っておけば」という後悔だけはしたくない。

明日、図書館に行って、東京の書籍、大正の書籍、鉄道の書籍、あらい直してみる。
オブザーバーにも一度シナリオを見せてみたい。
それで「いける」と思えば、東京へは行かない。ロケハンは隣県広島、尾道までとする。
山口から東京。マジで遠いのだ。
距離的にも、金銭的にも。

しかし納得できなければ、我が輩は行く。
今から丁度100年前、大正八年のユキカゼ達を探しに。

ちなみに行くにしても冬コミ等は参加しません。
中旬頃にさっと行って、さっと帰ります。

大正編製作がいよいよ佳境に入り、わちゃわちゃしてまさ。
今回のブログは短めで、ごめんなすって!