ハルカの国 創作の記 その45

進捗状況

テストプレイを何度かして、着実に終わりは見えてきている。しかしまだまだ手つかずのスチルもあり、テストプレイを通して新たに増えたスチルもあり、作業も減ったんだが増えたんだが分からない状況が続く。
作業記録を見直すと、作業はしている。しかし完成まで前進していないような日々。理由は上記した通り、作業中に新たな作業を作っているからだ。
減らないタスクを目の前にすると、心から生き血が抜かれたような気持ちになる。精神が貧血になる。ストレスのプレッシャーに眠くなる。我が輩はストレスがかかると、寝落ちするタイプなのだ。

帯状疱疹をやってから、体力づくりに励んでおり、肉体面における調子は悪くない。
しかし精神の方が息切れを起こしている気がする。前回、星霜編の終わりにも感じたが、作業していると手が震える。やっていることから理由もなく逃げたくなる。
作品完成が近づくにつれ訪れるこの症状、作品を重ねる毎に強くなってきている。一体、何なのか。
一つ考えられるのは、完成が近づき、作品の質が決定されようとしていることへのプレッシャー。制作中は期待と希望を脹らませる余地があるけれども、完成が近づくにつれ、実物大が見えてくる。そこにあるそのものが作品となる。出来上がったものに想像の余地はない。そのもの限りである。
そういう「決定的」になることを恐れていて、作品完成に近づく一歩一歩がストレスになっているのかもしれない。

作品のクオリティに不安があるわけではない。しかし、長いこと心血注いできた作品に決着がつきそうな時、何かが怯えているのは確かだ。
苦しくてたまらない。
他に何かしたいということもない。ゲームがしたい、遊びにいきたい、旅行がしたい、温泉に入りたい酒が飲みたい友達と遊びたい――とも思わない。
休憩が必要なのかと思い休みもするが、時間を無駄にしているような気がして、結局作業に戻る。作業に戻ると、根拠のわからない斥力を感じ逃げ出したくなる。何処へ、何をしに、どれくらい逃げ出したいのかも分からない。
ただたまらない気持ちになるのである。

人間心理というのは不思議なものだ。
この頃、創作における自己心理が我輩には分からない。
あらゆる感情が交錯し、錯綜し、絡み合ってのた打ちまわっているみたいだ。
褒められたくてたまらない気もするし、もう評価なんか受けたくない気もしている。
作品を通して他者とつながりたい、コミュニケーションを欲し、飢えているとさえ思うのに、現状抱えている孤独感の維持が義務のようにも感じる。
完成させて早く皆様に届けたいという気持ちが火山のようカッカしている。同時に、この作品を抱えて逃げ出したい気持ちもある。
批評を恐れているのか? 否定されるのが恐いのだろうか。自問するがピンとこない。
作品を完成させるという行動に向き合う時、統一されないベクトルが心中で各々の方角へ突き進む。そこからの引き回しに気持ちが疲れる。我輩は何がしたいのだろう。

作中で「墓」という言葉が何度か出てくる。墓はそれを口にする者たちの夢のように、慰めのように語られる。時には憧れのように。
そこに影響を受けたのか、あるいは逆で我輩の中にあったものが作品に現れたのか、この「墓」という言葉にひどく惹きつけられる。
自分の創作に対し、「墓をつくっているのだ」と思うと気持ちが落ち着く。あらゆる方向に奔流していた感情が整流される。
自分の墓をつくっているのだ。
日本の墓をつくっているんだ。
家族の墓、子供たちの墓、未来の墓、心の墓――意味もなく沢山の墓を唱える。すると気持ちが落ち着くのだ。
最初は気持ち悪くて嫌だったけれど、どうしようもなく「落ち着く」ので最近は癖になっている。
この「墓」に惹きつけられる気持ちと、作品を世に出したいという気持ちが矛盾しているような気がする。
墓とは我輩が見つけたい風景であって、見つけられたいものではない。
墓は、もしかすると、我輩は探しているけれど、皆様には見せたいと思えない何かなのかもしれない。そいうものが作品のなかに紛れ始めているのかもしれない。
それが、作品を届けたいという純粋さを阻害している可能性はある。

ハルカの国の創作を始めてから、ずっと死や老いについて考えてきた。それが精神に影響しているのは間違いない。
越冬編、決別編、星霜編。どの作品にも死と老いがあり、否応なく我輩自身も自分の死や老いについて考えてきた。ずっと自分が死ぬこと、老いること、段階的な自己像の崩壊と消滅に想像力を巡らせてきた。
その果てに、我輩は慰めの風景を描きつつある。それは死や老いの恐怖を受け入れるための補助なのか、それとも死や老いそのものなのかは分からない。
ただ生きることの底と思える風景があって、今はそれを「墓」と呼んでいる。それを我輩は他者と共有したいと思っていない。誰かをそこに連れて行っても、そこには何もないだろうと思うのだ。
墓は、今までの教えたくてたまらなくなるような、見せたくてウズウズするような「美しさ」がない。我輩を他者に向かって突き動かさないのだ。ただ、そこへ向かって我輩が引き寄せられる。そういう風景なのだ。

書いていて恐くなってきたので、ここらで止そう。
最近、忙しくて気持ちが落ちているのかもしれない。
ただ今回、ひたすら素直に吐露して、気持ちは楽になった気もしている。
我輩の作品は、ハルカの国は、皆様に見せたいものだけじゃなくなってきている。
それが白状できただけでも、この度は良かったと思います。

ハルカの国、決戦編。
来月の終わりの発表を目指して頑張ります。

“ハルカの国 創作の記 その45” への2件の返信

  1. 久々に進捗状況を拝見。壮絶に苦しんでいらっしゃいますね。ファンとしては、完成を気長にお待ちしております。

    1. コメント、ありがとうございます!
      決戦編は間もなく完成すると思います。
      お待たせしてしまって、申し訳ありません!

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