ハルカの国 創作の記その1

焦る。
作業量を割り出すと、残り11ヶ月、余裕がない。
何も考えていないうちは膨大にあると思えた時間が、いざ具体的な計画をたてると幻の如く我が輩の前から消えた。
八月。一ヶ月の生産高を計ってみた。
ネーム 300枚
シナリオ 11万文字
立ち絵 1枚
ポスター用イラスト 半分
別件のシナリオ 1万文字

ネームは切り詰めても、あと1200枚は必要。シナリオは四十万文字以内に収める決意のもと、残り三十万文字。
物語の骨格を作るだけで4ヶ月の月日が消える。

11月まではプロトタイプ製作(体験版製作)のために時間が取れない。なにせ今回からUnityを使う。今までのNスクと勝手が違い、どの作業にどれほど時間がかかるか、予想がつかない。今回のプロトタイプで単位作業に必要な時間を割り出さなければ、予定が立たないのである。
希望的観測として、Nスクとさほど変わらない計算で仮予定を組み、10月末までの完成を予定している。少なくとも11月末までに仕上がらなければ、ハルカの国、夏コミ発表の可能性はなくなる。

12月、翌年1月、2月、3月でネームとシナリオをあげる。つまりハルカの国は我が輩が平成で手がけた最後のシナリオになるわけだ。へぇ、なんかロマンチック。ちょっとおセンチな気持ちにもなる。そんなこと言っている場合でねぞっ!

雪子の国の記録によれば、一日平均五千文字のシナリオをスクリプト化している。プロトタイプで十万文字はゲーム化している予定だから、残り三十万文字。これのスクリプト化に二ヶ月半をみて、4月、5月、6月を半分 。

全ての作業の裏で絵仕事を平行していると仮定して、未完成分の作業時間として一月。

ここまでで七月半ば。
物語の調整、バグチェック、パッケージ版の発注に半月。

これにて八月。
ぴったり収まっているが、恐ろしいのは多分に希望的観測を含んでいること。
最大の懸念はネーム&シナリオ。
果たしてあと1200枚で決着がつくのか?
残り三十万文字と決めて、三十万文字に収まるのか?

雪子の国は当初の予定ではプレイ時間8時間。
そこが1.3倍に膨れて10時間超え。
本来ならもう少し長かったところを削ってあれだ。

シナリオが延びれば、その後の作業全てが延びる。
必要となる素材も増える。
つまりシナリオが膨らんだ時点で、ぴったんこだった作業予定は瓦解する。
シナリオが膨らめば終わる。

だが膨らまないことなんてあり得るのか? 今まで一度でも予定通りの文字数に収まった長編があっただろうか。

そこを予想し、多少は余裕のある日程を組んである。
しかしマージンを遙かに上回る膨らみがあったら? ハルカの国だけに、遙かに上回るってこともな。くそ、しばくぞ、くだらねぇこと言ってたら。縁起でもねっ。

体調管理に失敗があってもならない。
日に最低8時間の作業をキープできるモチベーション、精神力も維持しなければならない。
ハルカの国へのモチベーションはかつてなく高い。それでもあと一年近くこの精神状態を持続できるのか――自分が作るモノへの絶対的自信が必要だ。不安や恐怖はパニックを生み、脳はパニックを覚えた対象を拒否する。作業への拒否反応は「作業への不信と恐怖」が原因であることはわかっている。
だから絶対的に信じなければならぬ。
ハルカの国は面白い。困難もあるし、オブザーバーに駄目だしはくらうだろうが、今までのように幾度も改善を試み、最後には良いものを完成させられる。
自分をてってー的に信じなければならぬ。
信じなければ、信じなければ、信じなければなんね……!

ああ。考えるだに恐ろしい。
焦る。
頼むから夏までに完成してくれ。夏までに完成しなければ、予定がたたねのす……!

自分を信じたい。恐怖のない日々を生きていきたい。
何故、我が輩はこれほどメンタルが弱いのか。
ビックプロジェクトなど関わる人々はいかにしてこの恐怖と戦っているのか。
ましてやプロジェクトのリーダーなんてどんな精神構造をしているのか。
我が輩には考えることさえ出来ない。

自信ったらもんが、欲しい。

進捗状況を最近の心理状態に任せて吐露してみた。
焦っているし、恐れている。
「ハルカの国」作業進行表を作るため、「雪子の国」作業進行表を振り返ってみると、やはり焦っているし恐れている。
節々の走り書きに捗らない作業への不満や、締め切りへの焦り、恐怖が見て取れる。
長編製作のためにはメンタルタフネスが必要で、それを身に着けるためにいつの時も我が輩は苦労していたようだ。
過去の自分の焦りに触れると、癒やされる。
この感覚、この焦燥、何も始めてのことではないのだとほっと一息。
いつだって焦ってきたし、恐れてきた。
それでも乗り越えてきたのだという実績。
己への信頼が幾ばくか回復するのだ。

ただ時間が無いことには変わりない。
なので「ハルカの国」完成までのブログは製作日記とさせていただく。日々思いついたことはメモしているので、それを箇条書き程度に書き散らしていく。折々の感情もつぶやいていきたい。起承転結のある文章にはならないと思うが、ご了承あれ。

ユキカゼ

作中人物に救われるというのがままある。
あるいは物語とは自分を救済するために作られる側面があるのかもしれない。
みすずの国を作った後、職探しが上手くいかず落ち込むことが多かった。
なにせ我が輩は常識を知らない。世間を知らない。
バイトの面接会場へ一人だけ私服で赴き、大いに恥をかいた。またそこを試験官に注意されて顔を赤くして帰ったのは、今でも苦い思い出である。
旅が好きで、人の煩わしさは嫌いだった。
出稼ぎをして任期終了とともに人間関係はご破算。
後は気ままな一人旅で貯蓄を費やし、空手になれば再び住み込みの仕事を探す。
そんな風に二十代を生きたから、「それくらい誰でも知ってる」ことを知らない。電話の応答もまともに出来ない。今でも出来ない。
みすずの国を発表後は大阪在住。
時給が高い順に上から並べて面接を受けたが、常識の無さが祟ってオフィス系、テレアポ系、データ打ち込み系は全て蹴られた。
こっちも金欲しさに申し込んでいることだから断られたって落ち込む必要はないのだが、否定されるのが続くとさすがにこたえる。
そんな時、みすずの国を遊び、「悪くないじゃん」「俺だってこういうものを作れるんだ」と自らを支えた。
挑戦し、壁に跳ね返され、鼻血を垂らして負ける。
そういう姿には慰められた。
現状、執筆しているシナリオ。視点人物はユキカゼという狐。
これが滅法、嫉妬深い。
剣に自信があり、自分が一番だと思い込んでいる。
だから人の噂に「東北のハルカが当代一」と聞けば、もう面白くない。
「強さ」とは自分のもので、他人の形容に使われていいものではない。他人がハルカの話をする度に「へぇ」と冷静を装うが、心中大荒れ。
悔しさ、苛立たしさ、恨み、嫉み。
そういうものをゴウゴウと燃えさからせて、ついに耐えきれず、仕事をほっぽり出して討伐へと向かう。
自分を差し置いて他人が褒められるのは我慢ならない。
文字に起こしてみると甚だ稚拙だが、我が輩はこの姿に愛着を覚える。
そっくりだな、我が輩と。
そう思うのである。
我が輩は異様に嫉妬深い。ただそういう己の特性を極端に嫌っている。憎悪、と言ってもいいだろう。嫉妬からおこる執着心、独占欲に関してはアレルギー反応さえ出る。
自分だけでなく他人に対してもそうで、「何処行ってのたの?」「誰と会ってたの?」と訊かれて我を忘れるほど怒りが湧き、大喧嘩したことがある。あの時は自分が自分でなくなったような恐ろしさがあった。
この延長線なのか仲間意識が強い相手も苦手である。
こと人間に対する執着心、独占欲は己のものでも他人のものでもNGで、もはやフォビア(恐怖症)でないかとさえ思う。
だから執着心や独占欲の薄い人には憧れを持つし、魅力的だとも思う。
みすず、圭介、ハルタ。
彼らが通常時は脱力系であるのは、そういう憧れからきているのでないかと推測する。
我が輩自身も余裕がある時は「特に何にも興味ないっす」「他人の評価なんて気にしてません」という振りをしている。
しかし人間の面白いところで、我が輩の「嫉妬深さ」は反省からの嫌悪、フォビアだけでは終わらない。
揺り戻しのように「嫉妬深さ」「偏愛」「執着」にも強い関心を抱くのである。
考えてみれば嫌悪、憎悪などという感情量の巨大なスタンスをとっているのである。関心がないわけない。
無意識なのかやや意識したのかは忘れたが、みすず、圭介、ハルタの相方は皆「独占欲」や「執着」が強い。
ヒマワリ、キリン、雪子。
この三人、一度は相方に「ちょっと無理」と捨てられている(回避されている)。
しかし最終的には受け入れられる。
これは我が輩の中で対立する「執着への憎悪」と「本質的には嫉妬深い」という二つの軸が物語を通して折り合いをつけ、昇華されていく様なのではないかとも思える。
執着、独占、偏愛。これらは我が輩のなかで許されるものではない。
しかしこれらを容認し、受け入れなければ救われない部分も我が輩には存在している。
「僕は何も手に入れたくない。自分の足で出向き、綺麗なものを見ることが出来ればそれでいい」
そんなスナフキンスタンスを理想としながらも、そことはかけ離れたモランのような執着の化け物がやはりいて、追い払うことはこれまで叶ってないのである。
もはや自覚したが、我が輩の物語には「執着と喪失」が繰り返し現れる。執着し、執着したものを失い、失ってからどう生きるか。何かを得る喜びよりも、何かを失う恐怖を大きくとる我が輩である。失う可能性を思えば手に入れることを躊躇するくらいだ。(つき合ったとしても浮気されて振られたら? いやぁ、恐い! 無理。耐えられないっ。てなもんである)それでも生きる必然として人は失い続ける。この恐怖にどう立ち向かうのか、そこに興味があるのだ。
さてユキカゼに話を戻すと、これは我が輩の視点人物として初、執着心が常時でかい。そこに振り回される。
そういう人物を常であれば滑稽と思い、文体を担う視点人物には避けるのだが、この度はどういうわけか据えた。
一度書いたことはもう書けない。同じ事を繰り返すのはモチベーションを保てない。
その性質から考えるに、我が輩は自分の「理想」は書き尽くしたのかもしれない。
スナフキンは十分に書いた。だからモランが出てきている。その可能性はある。
とにかくユキカゼは我が輩の恥部と親和性をもつ。
だから嫌な思いをするかと思ったが、書いているとやたらと救われる。
ユキカゼが嫉妬する。
ユキカゼが強いの自分だと信じ込み、ハルカの元へと突っ込んでいく。
その稚拙な行動が堪らなく気持ち良いのである。
話の構造としては今までとは逆で、ハルカが我が輩の理想である「冷静で聡明」を担う。
ユキカゼとハルカを並べると、ユキカゼが妹でハルカが姉なのである。
美鈴、ヒマワリ。キリン、圭介。ハルタ、雪子。
視点人物が兄ちゃん姉ちゃん、観測対象が弟妹。
この関係が逆転して、妹が姉ちゃんを見る話になっている。
このなかで、案外、妹のユキカゼのお馬鹿な一言、特に深くない発言が、姉であるハルカの心を救っている。
ユキカゼはややアホなので、ハルカに助けられ、教えられ、叱られることが沢山ある。
しかし同時に、ユキカゼの稚拙な心のままの発言や行動が、ハルカを癒やしていることが何度もある。
モランがスナフキンを助けるのである。
「心とは愚かなものです。しかし愚かさこそ本物ですよ。御仁にだってありますよ、私と同じ心が」
ユキカゼは無意識のうちにハルカを癒やす。
キリンやヒマワリ、雪子がそうであったように。
我が輩にとって愚かなもの、嫌悪すべきもの。
執着、嫉妬、偏愛。
それらを書くことで気持ちが楽になる。嬉しくなる。愛おしさが増す。
ユキカゼにはそういう力があり、そこに救われる。
例え悪癖だったとしても、自分の性質、自己が抱いてしまう感情を強烈に否定することは、案外、根深く自分を傷つけているのかもしれない。
と言ってやはり我が輩のフォビアは治らない。治す気もない。我が輩は他人への執着や依存を憎み続けるし、他人からの干渉には激甚の怒りを持ってあたる。
その如何ともし難い性格のなかで、物語やそこに登場する人物は癒やしや救いになっているのだろうか?
そんなことを考えた。
考えたが、あまりこういうことを自覚し過ぎると物語が説教臭くなる。
こういうものだ、と決めてしまえば、そこから外れた物を思いついたときへの寛容さが失われる。
ユキカゼ、人間くさくて好きだな、狐だけど。
それぐらいに思っておこう。
ちなみに我が輩は我が輩の作品にばかりこのような考察を加えるのではない。他人の作品にも色々思っているが、上記のように作者の人間性に言及することが多く、間違っていたらとんでもないので公の場では言わないのである。
自分の作品のことばっか語ってナルシストだな、とは思わないように。
たぶんナルシストだけど。

ハッピーバースデーの起源

羽織袴の研究に、時代劇を見ていて首を傾げる。
「へへ、今日は娘の誕生日なんでね、早く帰らねばこれなもんで」
と二本差しの侍、指で角をつくり詰め所を後にする。
誕生日? この時世に個別の誕生祝いなどあったのか?
ねぇだろ、そんなもん。何言ってんだこいつ。
「おう、娘の誕生日かい。そりゃ仕方ねぇな。いや、俺んとこのはいつだったっけ?」
なんて相方も対応している始末。
果てしない違和感。
調べてみればやはりない。
かつては数え年で、正月を迎えるて皆が一斉に年を取っていた。
現在のように満年齢になったのは昭和24年「年齢のとなえ方に関する法律」が施行されてからで、それ以前の日本社会で個別の誕生日を祝う風習はない。
チョンマゲのパパが鏡餅に蝋燭つきたてて「はっぴば~すで~とぅゆ~」と歌うことなどなかったのだ。
何故誰も気づかなかった? ライターが知らなかったとしても、演者、監督、皆ことごとく気づかないことなどあり得るのか。
わかってたけどもうめんどくせぇどうせ視聴者は馬鹿ばっかりだし気づきやしねぇだろ、という具合だったか。
この時代劇、着物の着付けも適当な可能性がある。やめとこと、視聴終了。

リアルとリアリティの違い

現実を参考にするあまり、物語が難解、煩雑になるようなことは避ける。
物語にとって必要な本質を理解し、枝葉末節はトリミングすること。記号として扱える程度にシンプルにする。
明治政府成立当初、官は朝令暮改。役所名も二転三転。
ユキカゼが勤める神祇官も次々に名前を変えていく。ただこれを追うと混乱があるので神祇官で通す。我が輩が描くのは歴史小説ではなく、ファンタジー。
根っからのフィクションである。
リアルを追求するのではなく、「ハルカの国」としてのリアリティを追求していく。

明確な目標とノルマ設定の重要性

毎日のノルマをこなしていれば完成するのだ、間に合うのだ、と信じ切れるような計画をたてることが肝要。苦しい作業でも報われると思えば踏ん張りがきく。
逆に不信や不安は作業を妨げる。
不信、不安、恐怖を覚えたら放置せず、立ち止まり計画を見直すこと。これがパニック予防になり、メンタルケアになる。
不調は小さいうちに処理しておく。定期メンテナンスが車を長く走らせるコツ。
モチベーション管理には気を配ること。

また次回、折々の思いを綴りたい。

“ハルカの国 創作の記その1” への2件の返信

  1. 早くユキカゼが喋ったり表情をコロコロ変える所を見てみたいですね
    どんな性格かはなんとなく察することが出来ますが
    実際に喋るシーンを見ないとわからないですからね
    どんな口調なのか
    なにかの方言や訛りのある喋り方をするのか
    ハルカとどんなやり取りをしてどんな表情を見せてくれるのか
    今から楽しみです

    1. ありがとうございます!

      ユキカゼとハルカの話は国シリーズ着想当時からあった物語なので、思い入れも一入です。

      予定ではバックグラウンドととして扱い、ノベルゲームにまでするつもりはなかったのですが、今ならこういう物語を描いても許してもらえるかな、と思い踏み切りました。

      結構好き放題やっているので、それが皆様にどう受け入れられるか不安ですが、作者としては今までになく充実した創作時間を過ごせています。

      完成は来年の夏を予定していますので、まだしばらくありますが、発表の際はよろしくお願いします!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。