進捗
10月もノルマを達成した。
これで7月、8月、9月、10月とスケジュール通りに進めることが出来たことになる。
身体が仕上がってきている気がする。アスリートのようなことを言うが、アスリートのつもりなのだ。
戦うぞ、やれ、負けるな、お前なら出来る、集中しろ、と毎朝鼓舞しながら起き上がる。起床から正午まで集中力をあげ、とにかく手を動かすのだ。クオリティは気にしない。概して、作りながら「いい」と思えたものと、読み返して「いい」と思えるものはイコールではない。「いい」と思って筆をふるったところ、「駄目」で一切合切取り除くことはよくある。
創作はまず量。身体より出てくる汗のような、垢のようなものをせっせと集める、意地汚い作業の愚直な遂行だ。
迷ったら書く。書いておく。前後のつながりも、台詞の応答も無視して綴っておく。自分から出てくるものを良いだとか悪いだとか判断せず貪欲に掻き集めておくのだ。そうすると、とても見ていられない代物が出来上がる。そういう汗と垢で練り上げたヘドロ団子のようなものと格闘し、削り上げ、他人様に見せる姿に整えていくことが、創作の次の段階になる。
陥り易い間違いは、集めることと削ることを同時並行してしまうこと。マルチタスクは脳の負担が大きい。人物の口調を意識しながら、会話の内容を考え、同時にシーンの尺度やテンポに意識を割くことは我輩には難しい。書いてしまって、削る。自戒をこめて再度記しておきたい、書きながら編集はしないこと。
書きまくる時は書きまくるのだ。削りまくる時は削りまくるのだ。
可能な限りシンプルにしたタスクを、とにかく繰り返した。
体調不良にはバファリンとイブ錠だ。本当は薬など頼りたくないのだが、引き籠もって制作を続けるためか抵抗力が弱く、風邪をひきやすい。発熱すると集中力が落ちる。ノルマの未遂が起こり、リズムが崩れる。すると精神的ストレスもあいまって余計に調子が崩れるのだから、この頃は諦めて解熱剤兼痛み止めをひょいひょい飲む。
38歳。
体調良好の日のほうが珍しい。
アスリートと言うより、剣闘士のような気持ちか。
なんとしてもやり遂げねば、生き残らねば、という気概をもって日々のノルマをこなしております。
柿
秋になると果物が食卓に並ぶ。
先日、投稿した写真に映ったアケビは庭になったもので、今も小ぶりながら鈴なりだ。隣に生えるサクランボの木がもう年で、近頃、力を落として実がならない。そのせいか、アケビが豊作。春に使わなかった土の力が、秋に出てくるようだ。
昔に比べると少なくなったが、近所が農家で、柿の木を植えている。毎年、形は悪いけれど、と笊いっぱいの柿をもらう。もらった柿はみな祖母が湯通しして、干し柿にする。この干し柿が旨い。
どう旨いかというと、何とも言えず旨い。旨さが複雑なのだ。単純には旨くない。それがいい。
干し柿は編むという。へたに紐をからめて、柿すだれを編むのだ。これを軒下で陰干しにする。頃合いをみて、取り入れて解き、食う。
一度には食わない。秋中かけて食う。いつまでが秋かと言えば干し柿のある内が秋だ。例年、11月半ばにはなくなる。
時間をかけて食べるから、最初に食うものと最後に食うものは干し加減が違う。これでもう全然、感触も違うし、甘さも違ってくる、
まだ早いな、もういいな、今日の一編みが丁度だったな、干しすぎたな、いよいよ干しすぎて年寄りの金玉みたいになったな、と移り変わる。丁度の時がきたって、一日に十個も二十個も食べられるものではないから時期は過ぎる。わかっていて一番良い時を逸していく。しかしこの逸して、過ぎたな、と惜しく思う一口もまた旨い。
また同じ柿でも、一口として同じところがない。柿の先、種のまわり、ヘタのまわり、全部食感と甘みが違う。ああおいしっ、と驚くような一口があっても、それは再現されない。ああおいしっ、のその一口きりなのだ。柿もまた売っているものでないから形も出来も不揃いで、同じ日に取り込んでさえ味に差がある。
だから常々、一口一口が再現性のない感触と味なのだ。そのいちいちの惜しさが満点でないものでも、その欠けたところさえ味わいに変える。
既製の商品においては、全てのものが再現可能。美味しいと思ったものを、また買って、また食べる。美味しい、また買おう。その繰り返しである。
こりゃ旨かったな、という名残惜しさがない。名残惜しさは妙味だ。二度と巡り合わぬ柿と思えば、口が真剣になる。真剣に味わうと、干し柿一つでも複雑妙と言っていい深い味わいがある。
こういうのを味わっていると、いいな、豊かだな、と思う。
そんな具合に柿が旨い。我輩は果物の中では柿が一番だ。
祖母は去年、卒寿を迎えた。生きている限り干し柿を編んでもらいたい。

