ハルカの国 創作の記 その71

進捗

ようやく1970年における万博の描写を終えた。70年万博のシーンを描くのに資料が必要で、解説本や記念写真集、当時のパンフレットやチケットの半券など集められる限りを集めた。それでも知りたいことを知り尽くすことは出来ず、苦労の多い執筆だった。
50年前の祭りの再現に、悪戦苦闘した一月だった。

世では2025万博が開催中である。
皆様は足を運ばれただろうか。我輩も開催期間中には足を運ぶつもりでいる。最新技術で表現されるスペクタクルに期待しているのではなく、さんざっぱら調べた50年前の万博との比較をしてみたい。比較対象は万博そのものよりも人を見たい。
あの祭りから半世紀がたった今でも未来を夢見てやってきただろうか。未来への想像力や期待は衰えていないか。人間の想像力は今なお科学や未来に追随出来ているか。意地悪く見れば、盛り上がっていた時代の同窓会会場に成り下がっていないか、見ていきたい。
とりあえず人も祭りも小さくはなった。
日本に限った話ではなく人類というものが成長期を終えたのだと思っている。科学や未来は大衆の想像力にあわなくなった。
空飛ぶ車、海底都市、宇宙開発――華やかで人間サイズだった夢は移ろい、今ではどうなっているだろうか。新たな何かを夢見ているかどうか、人々の顔を見てこようと思う。

ちなみに70年万博の執筆と2025年万博の開催が重なったのは偶然。元より万博シーンを予定していたところ、ここまでズレ込むとは予想していなかった。
現実の万博が重なった弊害として人々の万博への関心が高まり、図書館資料へのアクセスが困難になった。見たい資料が貸出中により利用出来ない機会が頻発している。
一年前ならいつでも手にとれたものが、今では予約を申し込んでおかないとならない。
思い立った時に資料へアクセス出来ないのは辛い。

遠くなりにけり

近頃、家のまわりの開発が進んでいる。
田畑の土が掘り返され、運び去られては新しい住宅が建つ。その前に家が潰される。
田畑の所有者が住まった屋敷だったのだろう、文字通り、重機によって上から押しつぶされていく光景をここ数年よく目にした。
つぶれていった家々はみな立派だった。
大黒柱が土の字さながら土台と天をつなぎ、頭上にあるのが恐ろしくなるほど巨大な梁を天井にわたしていた。そうした家屋の骨格が、解体でなく、破壊されていく過程で露わになることがあり、朝の散歩道にあった我輩にも家の内情がよく見えた。
骨格ばかりじゃない、畳も障子も敷かれたまま、どころか先祖の遺影が並ぶ鴨居を重機の向こうに確認した時にはぎょっとした。
家の主が亡くなって、遠方に出ている子供たちが丸ごと業者に依頼したか。あるいは亡くなった主が家筋の最後だったか。

田に水がはいるこの季節、数年前までは鏡の国に迷い込んだごと、空も山もツバメもなにもかも写し込んだ水田が一面に広がっていたものだが、家がなくなり、田がなくなり、あの風景も過ぎ去りつつある。
己の経験や記憶が〝一昔前〟として、戦前だとか言うように、一つ区切りの向こう側へ去ろうとしていることに隔世の感を禁じ得ない。
中学生の時分、光の入射角と反射角の関係を、水田に映り込む鏡像世界との付き合いを通して体感、納得したもの。
身の回りから自然という科学現象が消えていくこの頃に、子供たちの学習機会損失も懸念される。

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