ハルカの国 創作の記 その67

年始の御挨拶

あけましておめでとうございます。
年が明けてからは春秋編を進めつつ、みすずのリメイクを仕上げている。
スクリプト作業にはエクセルを使っているのだが、細かなルーチン作業が多く、手間をとられる。たとえば、話者名を別セルに移し返すなど、一つ一つは簡易だが量の嵩張る作業が何かと多い。
これらを自動化できたらと前々から思っていたが、あいにくプログラム知識がない。ないこともないが、わざわざ不慣れなプログラムと向き合いマクロを組む手間を思うと腰が重かった。
今回、Chatgptに頼んでみたところ、いとも簡単に仕上げてくれたから助かった。
あまりに簡単に仕上げてくれるものだから、あれも、これも、こんなのはどうか、こんなことまで可能かと次々にお願いしてしまう。
そのほとんどを瞬く間に叶えてくれるのだから便利なものだ。

手軽に望みが叶う最大の恩恵は、思考が気軽になることだろう。
今までは「あんなこといいな、出来たらいいな」と思いついても、その実現を考えると手間故に行動へ移せなかった。思いついても実行に移せないでいると思考が重くなる。希望の不成立が繰り返されると、何かを望むことさえ不快に感じるようになるものだ。
この過程で、人は何もしないために、何も考えず、何も考えないために何も望まなくなる。思考が停止し、ただ快や不快を感じるだけの感応機械になり果てる。
この不のスパイラルから抜け出す補助輪として、パッと思いついたことを、パッと試して、パッと叶えてくれるAIは優秀だと感じた。
望みを言葉にしてみると、何かが返ってくる。返ってきたものに、あれこれ注文をつけていると、望むものが出来上がる。あるいは望みは叶わないにしても、望みを言葉にし、正確に伝えようと努めるうち、自分の欲求への解像度があがる。欲求の解像度とはつまり、解決したい問題への解像度に他ならない。
結果、当初の望みは叶わなくとも、問題解決の糸口が見つかったりもする。

思考が気軽になり、色々思いつき、色々望む。
結果として望みが叶うこともあるが、それは二義的であり、最大の価値は望み、思考し始めることだろう。
優れた道具というのは使うと同時に、使われているという相手からの作用を感じるものだ。
こちらを耕し、こちらから引き出してくる。道具が我々を革新し、変化させてくる。我々の使い勝手を良くする。
AIを便利と感じる以上に、我輩は彼等からの作用を強く感じた。

春秋編を考える

春秋編を考えた時に、多重の過去という構造がある。
いなくなった人々から、これからいなくなる人々へ。
これからいなくなる人々から、いつかいなくなる人々へ。
過去から相対的未来へ向けての物語となっている。どんな物語かと言えば弔いだ。
つまりこれは、過去から未来にむけて、多重的弔い構造をもつ物語なのだ。
過去が未来を弔うとはどういうことか。これは視点の問題による。これからいなくなる者たちを、既にいなくなった者(死者)の目で見届ける。見送るのではない。やがて等しく過去となる者達の様を見届ける。この視点によって過去が現在や未来を弔う。

死者とは誰か。ハルカにとってはユキカゼであり、人間にとっては天狗、そして〝なにか〟にとっては人間も相対的過去として、死者の役目を担う。
決戦編にて八千代が残した言葉、「先に行って、待っているよ」。
これが春秋編、続く永訣編に通底する視座だ。ハルカの国、後三部作は「先に行った者達」から「これからの者達」を見つめる。

過去から未来への弔いは、未来と過去として二項対立的に向き合わされてきた時代の、構造的和解でもある。
やがて過去となる私達の物語として、対立は融解し、等しく過去として同質化する。
この和解の過程で、過去から未来へ要求されるものがある。未来が過去に捕まることを拒み、抵抗する瞬間もある。
その葛藤を乗り越える過程を、過去の視座から、その視点を弔いと名づけて見届ける。
やがていなくなる人々を、対立を乗り越えて祝福するのだ。

いなくなっていく人々を見つける。
この発見を、憐れみや悲しみ、置き去ることの罪悪感で濁すごとなく、できるだけ澄んだものにしたかった。
この視座を〝まっさら〟にするために、死者の目を採用した。
いや、実のところ因果関係は逆である。
視点人物としてのユキカゼが、前三部作を終え、あまりに静まりかえってしまった。
この〝物語を語るには静かすぎる視座〟の扱いに悩みぬいた末、過去から未来を弔うという逆転を思いついた。
後三部作はいよいよハルカの物語である。ハルカの国を語る。
とすると、ハルカの姿が映り込む鏡は澄んでいる方がよかろう。無理に波立てず、静かになってしまったのならそれを結末として受け入れ、ままで物語を語らせる。
その手法を、今のところ、採用している。
激しいものを、静かな目で見つめる。このコントラストで独特の味わいをつくり、それを弔いとして春秋編の調子としてみようと思う。
消えていく者たちを過去から弔う。過去と和解させる。過去となることを認める。
やがて過去となる私たちの物語――春秋編、鋭意制作中であります。

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