19本目 キャラクター創作論

 キャラクターのつくりかた~彼は本当にそう言ったか~

 次回からに続いて、今回から何回かに分けてキャラクターのつくりかたについて語っていく。

 さて、始まったばかりのところ悪いのだが、我輩は「キャラクター」を「つくる」という表現が非常に好きでない。

 キャラクターというといかにも物語のために作られたトークンのようだし、それを「つくる」といえばなおさらだ。

 ここは我輩のロマンチックにつき合っていただこう。

 キャラクターを作る、ではなく、人物と出会う、のである。

 これは言い回しのこだわりだけでなく、今後貴方の物語を彩る人々を魅力のある人物に深めていく上で大切な姿勢になる。

 ので、おつき合いいただきたい。

 シナリオや小説執筆術を説く多くの教本にキャラクターの作り方は書いてある。

 そもそも貴方も物語を書こうと言うのだから、主人公とヒロインくらい胸のうちに巣くっていることだろう。

 今回は既に貴方の胸に住み着き、息づくことを始めている人物たちと、いかに関係を深め、彼らへの知識を深めていくか、その方法を紹介する。

 第一に、他人だと理解すること

 主人公やヒロインは貴方と似ているところがあるかもしれない。大いにあるだろう。しかし彼らはそれぞれ意志や夢、好悪をもつ貴方とは違う人間だ。

 知り尽くしたつもりになってはいけない。彼らは自由なので、ひょうんなところで新たな一面を貴方に披露してくれる。

 貴方がうけた外からの刺激、新たな情報が、貴方のうちに住まう主人公やヒロインとシンクロをおこすのだ。このシンクロを邪魔しないためにも、「こいつはこうだ」と決めつけてはいけない。

 この「決めつけ」をしないためにも、自分がつくったキャラクターとは思わないほうがいい。

 第二、外から観察すること

 主人公、ヒロイン、誰でもいいのだが、彼らについて考える時、多くの人は内側から考え過ぎている。彼らの内側に入り込み、彼らの心のひだを読み取ろうとする。どんな風に考えるかだとか、あるいは過去の悲しい経験をどんな風に思っているかだとか。

 これはやめた方が良い。何故ならこの作業工程で貴方と人物達は同一性が高まり、主人公もヒロインもその他の人物も全て貴方になってしまうからだ。その結果どうなるかと言えば、もっとも顕著な弊害として、貴方と同一性をとった人物は全て、貴方が愛する主人公ないしヒロインに理解力と好意を示し、主人公やヒロインに優しい世界ができあがる。

 それの何がいけないのか? いけないことだらけだ。

 まず人物の多様性がないし、全ての人が主人公やヒロインを中心に物事を考えるようになると、世界がせまくなる。箱庭のような物語になってリアリティが失せる。

 皆が主人公たちに協力的なので、展開もご都合主義になりがちだ。

 というわけで、我輩は人物を中身ばかりから肉づけしていくのはお勧めしない。

 まったく彼らの心と同調するなと言うわけではない。ただその過程のなかで起きる危険性を理解し、十分に注意をはらったほうがいい。

 我輩は内側からよりも、むしろ外側から彼らと出会っていく。

 外からだから「出会う」という表現がしっくりくるのかもしれない。

 人物の顔を一枚かく。その顔はニュートラルな表情をしている。ケの表情だ。例えば朝、歯を磨き顔を洗った瞬間に鏡に映る顔、そんな喜怒哀楽が抜けた表情をかく。

 台詞や行動に迷ったとき、見つめる。

 こいつは何て言うだろうか? 今、どんな表情をしているのだろう? 何処を見ている? 話しかけている相手の顔を真っ直ぐ見ているのか、それとも指先に視線を落としているのか、あるいは窓のほうに視線を逃していくか――。

 そんな風に、彼らがどんな風であるかを外側から見るようにしている。

 過去、心に傷をおうような出来事があったとする。母親との別れ、愛犬との死別――。そういう過去による肉づけを行なっていく際も同じだ。その場面を映像として想像する。

 母親が出て行く玄関を見送る時、どんな目をしているのか。タオルにつつまれた愛犬の亡骸を持ち上げるとき、彼は泣いているのだろうか。

 探しに行き、「いや、違う。あいつはこうじゃない」「いや、違う。こんな泣き方はきっとしない」と自分のなかの「そう、こいつはきっとこういうやつだ」が見つかるまで粘る。

 不思議なもので、正解が見えた時、理屈はわからないがピンとくるのだ。これがあいつだ、と。

 台詞や心理描写も同じで、我輩は内側から作り上げることはほとんどしない。ひたすら外側から探し、出会いをまつ。

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