進捗
七月は生活リズムが整い、創作が捗った。
暑いので朝四時頃から午前いっぱいを作業に当てたのが功を奏したようだ。午後の自分に期待しなくなってからノルマの消化率が上がった。
昼を過ぎてからは集中力が切れ、創作は出来ない。いっそ午後を創作リソースから外す。この大胆な決断によって、作業効率はむしろ上がった。
今後は、午前に勝負をかける逃げ切り先行型で日々のノルマと向き合っていこうと思う。
日々のノルマを割り出すのに定期的なリスケを行うのだが、この度の計画見直しにて改めて現状の課題を認識した。
認識すると猛烈に腹がたったので、ここに綴る。
物語の第二篇にあたる夏の時代が膨らみ過ぎている。
第一篇である春の時代が現状18万文字、第三篇となる秋の時代が13万文字程度を予定しているのに対し、夏の時代は40万文字を超えそうだ。
元々、最も膨らむのはこの篇だと想定はしていた。けれど、それにしたって膨らみすぎだ。前後のバランスが崩れる。
参考までにあげておくと、越冬篇が13万文字、星霜編が26万文字。
目標としては、春の時代15万文字、夏の時代30万文字、秋の時代13万文字に収めたいと思っている。越冬篇、星霜編、越冬篇くらいの規模とテンポが目指すところだ。
理想を言うなら、10万、20万、10万が良い。これが読者体験としても間延びせず楽しめるラインだと思う。
そこから溢れることを心苦しく思いつつ、15、30、13を落とし所としていた。なのに夏の時代の馬鹿みたいな膨らみようはなんだ。腹が立ってくる。
膨張の原因は三つ。
視点が多い、地の文が多い、物語の期間が長い。
視点は丸々一人削ろうかと考え、削ってみて、やっぱり復活させ、けれどやはり長すぎるから削ろうかと今も悩んでいる。
地の文はガンガン削ってやる。書いた自分を憎むくらいの気持ちで削る。嫌いな奴が書いた文章だと思って削る。
期間に関しては短縮の技法をより活かす。一年目は丁寧に、二年目、三年目は省略しテンポをあげる。
とにかく書きすぎだ。こんなに書いては駄目だ。
何を書かないかが重要なのだ。間と、空と、白。抜いて読者に託す。これがKazukiの作風じゃないか。なんでこんなに書いたのか。
浅ましい。
むしろ間を縁取るくらいを心がけて欲しいものだ。
本日、振り返って、血圧があがるくらい腹がたった思いを書き殴らせていただいた。
皆様に届く前には、しっかり整えておく。
読書体験という財産
新聞の紙面に「子の学力 大幅に低下」と載っていたから、何事かと思い読んでみると学力テストのスコアが落ちたとのこと。
その下げ幅がかつてないほどで、「有意かつ深刻な低下」と報告されていた。
要因として考えられていたのは以下の三つ。
一つはコロナ禍を経験した層が、休学中の学力をカバーできないままでいる可能性。
二つ目はゲームやスマホの利用時間の増加に伴う、課外勉強時間の減少。
三つ目には親の経済状態悪化により、子供の成績への無関心化。
また読解力の低下により、問題そのものではなく、問題文において何が問われているのかを理解出来ていない可能性も示唆されていた。
デジタル環境の浸透で読み書きの機会が減り、基本的な読解能力が落ちると全教科でスコアが低下することは海外でも認められている。
面白いのは「家にあるほんの冊数」とスコアの関係性が分析されていた点だ。家庭にある本の冊数を0~25、26~100、101~、と三層に分けスコアとの関係性を調べていた。
結果、家庭にある本の冊数が少ない層において、スコアの低下が顕著で全体の数字を押し下げていたという。
この記事を読んで、以前に目を止めたツイートが思い返された。
ツイートでは「絵本を読んでもらった体験は、親からおくられた貴重な財産」というもので、絵本を読んでもらったり買ってもらった経験は、幼少期に本への親しみを育み、その後の人生に大きな影響を与える計り知れない贈り物だと伝えていた。
思えば吾輩も幼少期は絵本を読み聞かされ、イラストの豊富な図鑑をそろえてもらっていた。本をとり、ページを繰って知識と親しむ下地を整えてもらっていたのだ。一人で本好きになった気でいたが、親から譲られた財産が活きて今の吾輩なのかもしれない。
本屋に行くことが玩具屋に行くよりも楽しみな子供だったから。
ただ不思議なことに、学業の方は芳しくなかった。
親が本を読まないと子も読まないと言うが、読書は文化であって、生来備わった能力ではないのかもしれない。読書欲は文化の中で涵養され、代々の遺産として受け継がれていく欲求なのだろう。
それが今、デジタルサービスの普及により相続の断絶が起こっていると言うなら、憂慮に耐えない。
吾輩世代よ、子等に本を読ませよ。
第一言語がおぼつかないと、思考やコミュニケーション能力が育たず、第二、第三の言語でもことごとく躓くことになる。
語学留学先、日本の高校生や中学生たちが、英語以前に日本語をうまく理解出来ないため、グラマーの授業に悪戦苦闘し、ついには投げ出していたのを見てきた。
言語学習だけに言えることではない。
世界とつながる言語能力を持ち合わせないと、あらゆる学習の難易度が増す。説明書が読めないためにテクノロジーに疎くなり、ルールや法律を理解出来ないために生活で損をする。
算数や科学の問題で、絵に描いてもらえれば分かる、という子供も多いらしい。すなわち、算数や科学は理解していても、それを文章で表現されると情報を受け取れないということだ。
文章というリニアで一次元的な情報を受け取り、それを立体構造的に、高次元の情報へと再構築する力と言えばなにやら難しそうだが、読解能力とはそういうことだ。
この力を鍛えるには、読書を通した反復訓練が望ましい。読書を楽しめば、訓練とも思わなくなる。
吾輩は私情故に、若者の読解能力向上を願う。
文章を読み慣れていないと、文章を読むのに必死で前後関係の把握も疎かになり、ましてや書いていないものを読み取る力、行間を読む力などは育ちようもない。
人々の行間を読む力が、吾輩などの物書きを支えてくれるのだから、ぜひ若人たちには本を読み、読み書きし、文章をよりよく理解する能力を磨いて頂きたい。
一度書いた文章を削る勇気は、読者の読解力を信じればこそ湧くものだ。吾輩は物語を削りたい。短くしたい。
私情ゆえに、応援しております。
