ハルカの国 創作の記 その77

進捗

11月は量的ノルマこそ達成したが、目標としたシーンまで書き切る事が出来なかった。
思ったよりラストに向かうシーンが嵩張る。春秋編はハルカの国を完結する話だ。春秋編の終わりに、我輩が描きたかった風景がある。その風景を描くには、ハルカの国という物語から、ユキカゼが見つめたハルカという人物から、エネルギーを引き出しきらないといけない。この引き出しきるのに、シーンを必要としてしまう。
書いてから削るつもりだ。今はとにかく我輩の中から引き出せるものはことごとく引きずり出そう。
春秋編の後に永訣編が続くが、永訣編はストーリーテリング上の完結編だ。ハルカの国の意義と言おうか、ハルカの国としての表現は春秋編で終わる。
春秋編で終わり、また新たに語るべきものが得られるかもしれないが、今の我輩の中にはない。読者にとっての完結感や、盛り上がりのピークは永訣編に残されるだろう。しかし表現としての核心、つまり我輩の魂みたいなものは春秋編で完結するはずだ。
様々な意味合いにおいて、春秋編が終わればどうなるのだろう、と度々思う。思うが、不安はない。
未明の未来に怯えないというのも未経験のことで当惑するが、色々と諦めがついたのじゃないかと分析している。諦めがつくほどにはやってきたのだと思う。
自分に諦めがつくというのは悪い感覚じゃない。未来に何も望まないでいられるのは、不思議に、いい感じだ。
今年いっぱい、健康に気をつけながら、最後までやり切りたい。

組織論

思うところあって、組織論について考えている。
いかにして強い組織を作るか。強い組織とはどんな組織を言うのか。
我輩が考える強い組織は、優秀な組織とイコールではない。強い組織とは、ピンチや変化に耐性があり、離脱者が出ても組織を維持できる体力があり、その後迅速にリカバリー出来る回復力を備えた組織のことだ。任務を達成する能力ではなく、集団として生命力を持っている組織を強い組織と定義し、それを成す要点を考えている。
強い組織形成の要は何か。我輩はコアメンバーの強度にあると思っている。

まず組織を形成するメンバーに区分を設けたい。
・コアメンバー
・主要メンバー
・正メンバー
・パートメンバー
この四区分において、欠くことの出来ないメンバーはコアメンバーのみであり、以下のメンバーの離脱は階級に応じて痛みは伴うものの許容でき、代替が可能とする。
まず代替不可能なコアと、代替可能なその他のメンバーとに線引きするところから、強い組織の形成を始める。
組織とは不平等な空間だ。格差は明確である方がよく、曖昧であると脆さを招く。コアとコア以外の区分は的確に済ませ、コア以外のメンバーにしてもその重要度において区別はしておきたい。足を切るか手を切るかで迷うならまだしも、足を切るか首を切るかで迷うようでは組織として成り立たない。
トカゲの尻尾切りは悪い喩えで用いられるが、ピンチに応じてトカゲが首を切ったら嘲笑の的だ。尻尾を切って逃げることは卑怯であっても、生き延びることが叶うならそれは組織にとってとるべき選択肢だ。

次にコアメンバーの強度を高めるための指針を考えたい。
第一に、コアメンバーは必要最低人数に収めるべきだ。三人がベスト、多くても五人までに収めたい。
第二に、コアメンバー間では目的より上位にある哲学を共有したい。目的は都度かわる。一つの目的を達成した後に、新たな目的設定でもめていてはコアの強度は保てない。
第三に、緊密なコミュニケーションをとる仕組みを持ちたい。一日一回の顔合わせ、週一でのミーティング、月一では丸一日かけるぐらいのすり合わせ、ズレの補修機会を持ちたいものだ。
少なく、同質的で、密度が高い。この三拍子を揃えてこそ、コアメンバーの強度は保たれると我輩は考える。
組織のメンバーが同質的であることに懸念を抱くかもしれないが、同質性を求めるのはあくまで至上の哲学。それ以下の事は異なっていいし、異なることが当然で、その異なることへの判断基準として互いに物差しは同じものを用意しておきたいという話だ。
物事を図る尺度まで違うと、議論は成立しない。

何故、組織の能力や優秀さではなく、強さに着目するのか。
それは組織が成長戦略、拡大戦略をとる際にかかる圧力に耐えうるには、強さが求められると考えるからだ。
会社を例にとろう。
仲間たちと経営していたビジネスが軌道にのり、株式上場にまでこじつける。その際に、必ず「これまでの方が良かった」という現状維持への欲求、ホメオスタシスが生じる。
上場したことによる外部からの役員招待、株価を気にしたビジネス戦略、株主たちからの要望によって、社内風土が変調をきたす。この変化を乱れと察知して、集団は状態の復帰を目指すのだ。
ここでは必ず組織が割れ、派閥が生まれ、セクショナリズムに陥る。会社が意に沿わぬ方向へ進むと感じれば、離脱者も出てくる。
この成長痛、環境変化に耐え、進化を成し遂げられるか否かが、コアの強度にかかっていると我輩は考えるのだ。
我輩も雇われ店長のような立場で、店を回したことがある。上場のような大きな変化は経験しなかったが、店の規模が大きくなった時にはスッタフから「前のようなアットホームな職場が良かった」と不満が漏れた。雇いこんだ新スタッフとの軋轢も生まれた。
苦しい経験の中で学んだ教訓は、何人かは仲間が必要であるということ。しかしながら、組織の力は、仲間の数には比例しないということ。
どういうことか。
一人より二人の方が圧倒的に力強く、仲間が三人、四人、五人と増えていくうちに力は増す。しかしある閾値を越えると、数が力にかわる効率が落ちる。五人が十人になったとろで、二倍の力を発揮するかと言えばそうではなくなるのだ。
我輩はこの閾値を五人までとみているが、そこは人によって異なるだろう。しかしとにかく、最初の一人目、二人目、三人目の仲間が組織にもたらす力と、十人目、百人目の仲間がもたらす力は一緒ではない。
これはおそらく、一人の人間が外部の力(宗教や金銭的インセンティブ)を頼らずに、人対人のコミュニケーションによって仲間を形成する限界が、十人未満、適正値として五人かそこらなのだろう。
人数は組織に力をもたらすと同時に、分裂につながる遠心力も持ち込む。特にピンチや変調時にはこの人数による遠心力が強まる。
この遠心力がコアにまで働かないように区分を設け、コアは遠心力にまさる結束力をコミュニケーションによって保つ。
コアが保たれれば、組織は傷つきながらも生きながらえ、コア以下のメンバーを代替しながらも成長の痛みにも耐えていくことが出来るのではないか。
成長に必要なものは能力でなく強度だと、経験則からもそう考えている。

何故、こんな話を持ち出したかと言えば、グロース株で買いたい銘柄があるからだ。
ホロライブを経営しているカバー株式会社。現状、値を落としている。メンバーや裏方スタッフの離脱も続き、コアの脆さが露見した。
中心人物の哲学がスタッフやホロライブメンバーに行き渡っていない気がしてならない。
先行投資しているメタバース計画や海外展開についても、利益を生む構図は見えてこない。
これらの観点が市場でも織り込み済みで、特に先行投資は実らないという見方も強そうだ。
我輩の目には上場してから調子が悪いように見える。つまり成長痛に組織が耐えられておらず、軋んでいるように見える。
コアの強度が足りず、成長の速度と圧力に耐えられていないのじゃないか。
もし強い哲学を持ち、それを上意下達で徹底できていれば、先日おこったメタバース関連の不謹慎事件などは決して起らなかったはず。メタバース計画が会社にとってどれだけの意義を持つのか、どれだけの投資を行ったのか分かっていれば、あんなおふざけで計画に傷をつけるような真似は許さないはず。
ああいう事がおきる、また問題が起きた時の対処も「意図はなかった」として濁す、諸々のことを考えても社内秩序が機能しているのかと疑いたくなる状態。
それでも我輩が株を買いたいと思うのは、現状の株価が上記した懸念を折り込み済みで安くお買い得であること、コアが脆いと言っても上場までに築いてきたホロライブ文化にはまだ体力が残っていること、ホロアースなどの先行投資が実を結べば大きな飛躍につながることを鑑みて、望みを持てる銘柄として「かなり良い」と思うからだ。

現状、コアの強度には疑問符で、遺産があるために崩れ去りはしないものの、成長を目指す度に躓くのじゃないかと予想している。
期待はしていない。それは市場の思考も同じだろう。しかしだからこそ、株価が下がって割安感がある。仕込みどころじゃないかな、とここ数日、ずっと考えている。
とりあえず証券取引の口座を開設したので、株の練習がてら初めてみようかと思っている。

谷郷社長、頑張れ!