雪子の国について、いくつかの謝罪

雪子の国、なんとか形は整えた。
思えば遠くへ来たもんだ。

キリンの国の完成が2014/9/10。
その翌月にはこたびの雪子の国に着手したのだから、三年の月日が流れた。
我輩も三十路の戸をたたき、腹はでて、生え際は後退した。(もとよりデコは広いのだけど)

時が流れたのは我輩だけではない。
二十歳の頃に買ったワゴンRは廃車にされ、親父が老眼鏡をかけるようになり、飼い犬の金玉もいつのまにか取り除かれた。
思い返すと感傷が絶えないが、何より口にしたいのは皆様への感謝である。

三年間、お待たせしました。
愛想も尽かさず待っていてくださり、ありがとうございました。

ようやく、雪子の国を皆様の手元に届けられる。
その嬉しさと安堵は筆舌に尽くしがたい。

ただ誇らしさで胸が一杯だというわけでもない。
いくつかの後悔と罪悪感は残る。その旨をここで陳謝したい。
実は雪子の国、完成していないのである。

第一に、システム面での謝罪

今回、以下のモード導入を考えていた。
音楽鑑賞モード、イラスト鑑賞モード。
またセーブ&ロードや、テキストボックスなど、システムまわりも改善する予定だった。
いつまでも青スクリーンでは見栄えが悪い。セーブ&ロードも日付だけでは分かりづらい。
なんとかするつもりだった。
5月末までは。

結論から言わせていただく。
システムまわりは、キリンの国から、何も変わっていない。
現時点で、まったく、何も。

音楽鑑賞モードもないし、イラスト鑑賞モードもない。
セーブ&ロードは相変わらず日付しか表示されない。

間に合わなかった。
多くの要望があった音楽鑑賞モードだけでも何とかしようと試みたのだが。
権利問題で確認をとらなければならないことが多く、夏コミ発表には断念した。

申し訳ありません。

第二に、イラスト面での謝罪

この度、立ち絵用意人数が40人にのぼり、立ち絵差分は2100枚をこえた。
服装別パターンは90パターンを数える。
スチルは45枚。

キリンの国の二倍にせまる量である。
これをいかにこなしたか。

本当に申し訳ない話だが、立ち絵を手抜かせていただいた。
体験版を遊ばれた方は気づかれたかもしれないが、途中から人物の服に影が落ちていない。
服装の影いれを、夏コミ発表のパッケージ版は省いた。

当初はこうだったものが――

途中からこうなってしまった。

5月末の時点での決断だった。
5月末時点で絵師さんの都合がつかなくなり、実質一人での絵仕事の消化となる。
予定しているスチルを数えると、未完成が三十枚近くある。また立ち絵も線画さえ終っていないキャラクターが十数人いた。
シナリオさえ未完のシーンがある始末。
進捗率でいえば40%をようやくまわるかという具合。3月、4月、5月、それも冒頭部分は三年前の貯金をいかして40%。
残りは6月、7月のみ。
夏コミに間に合わないのは火を見るより明らか。
今までと同じことをしてはいられなかった。
服装への影いれは30~40分かかる。残っていた服装パターンは50近く。30×50÷60=25時間。
三日分の作業時間を捻出させていただいた。
上記のシステム面の断念も、ひたすら「間に合わせるため」に時間というリソースを集中させたからである。

第三に、パッケージ版での謝罪

当初のワークフローでは6月末には完成し、7月20日には雪子の国は海をわたるはずだった。そこでプレスされ、綺麗な姿で皆様の手元へ届くはずだった。
だった、だった、と繰りかえすのは、そうはならなかった現実に居るがため。
間に合わなかった。
今回も体験版同様、DVDRコピーという形になってしまったことを深くお詫び申し上げます。何より悔しい。
しかし20日間という時間は何事にも代え難かった。
見栄えは悪くなったが、物語のクオリティが上がったのは絶対確か。プレイ時間も少しのびた。
お許しいただけないだろうか。

上記の3点を、この場をかりて謝罪したく思います。
システム面、イラスト面は9月より販売開始するダウンロード版までには改善したい。その際にはパッケージ版を購入していただいた方々には無料ダウンロードしていただく手筈を整える。
今回の雪子の国、物語としては完成品だが、ゲームとしては完成に及ばず、というところ。
そんなものを売り物にするな、とお叱りの言葉はごもっとも。
完璧にして冬コミからスタートの方が良かったのか。今でも心残りはある。

だが、あの時の我輩は「夏にだす」と決断をして、とにかくもやってきたのだ。
加えて思うのは、「冬コミにズラそう」と気持ちを切らしていたら、一息ついていたら、恐らく冬コミにさえ間に合わなかっただろうということ。あそこで踏ん張らなかったら、物語も水っぽい物になっていただろうということ。
時間をかければ良いというものでもない。シナリオも、キャラクターも、アイディアも、生もののように思う。さばくに時というものがあり、雪子の国はこれ以上引き延ばしてはいけないと感じた。味が薄くなる。そんな気がしたのだ。

予定した機能も搭載できず、立ち絵も簡素化してしまった。
本当に申し訳ない。

そんな未熟で、どうにかこうにか産声をあげたにしろ、不格好な雪子の国。
皆様の手元に届いた時、どんな振る舞いをするのか。不安と緊張で胸が苦しくなる。

キリンの国を超えられるのだろうか? せめて期待を裏切らないだけの物になっているのか。
そもそも面白いのか、面白くないのか。

わからない。面白いような気もするが、我輩には決められない。全ては皆様を楽しませることが出来るか、どうかなのだ。

事実として、物語の長さはキリンの国の1.5~2倍ある。素材数も二倍近い。手間もかけた資金も倍ではきかない。
しかしそれが=面白いになるわけでもない。

全力は出した。もう何も出てこない。振り返ってもどっと疲れるような日々で、未だにやってきたことを振り返る気がおきない。
この日々の終りを意識すると、胸がドキドキして何も手につかなくなる。だから今は淡々と過ごすことに専念している。残作業も多い。
最後の最後まで手をゆるめることはできない。

一歩でも遠くへ、1㍉でも面白いものへ。その思いで残りの一週間、やっていく所存。

色々間に合わなかったこと、長くお待たせしてしまったこと、重ねてお詫び申し上げます。

最後に少し、作者として雪子の国を語る。ネタバレにならないよう内容には触れず、こめた思いを少々。

高尚なテーマやメッセージ性など犬に食わせろ。日頃から思っている。
我輩はエンターテイナーであり、学者でも憂国の志士でもないし、世の中を変えようなどとも毛ほども思っていない。
我輩はただ楽しませたいだけだ、皆様を。

人を楽しませる、物語を体験してわくわくしてもらう。
色んな風景を見て、感情を味わい、思いだしたり、懐かしんだり、心の起伏を堪能してもらう。
心はゴムと同じだ。いつも同じ形では柔軟性を失い、潤いもなくしてひび割れ枯れる。
だから物語を通した体験によって、心をぐにぐにと揉みほぐし、潤滑油を絞り出して、伸びやかで瑞々しい状態になってもらいたい。
心さえさっぱりしてしまえば、人間、わりに幸せに生きていけるものだ。

経験ないだろうか。
一冊の本を閉じた後、ふと夕景に誘われて散歩にでると、世界が静かな美しさで満たされている。
その感動にしばし立ちつくす。
世界が美しく、それと向合う心もまた健やかである時にだけ訪れる、奇跡の一時。
そんな読後感を届けることができないか。
それがいつだって物語を書くうえでの願いであり、目的だった。

その目的を果たすため、何より大事にしているのは感情移入。
感情移入すればこそ、物語は「体験」になり得るの。人物のかぐ風の匂いさえ提供できてようやく、読後感の美しい世界との再会は果たされる。

感情移入をしてもらうために、いつも頭を悩ませる。
衣食住にこだわってみたり、台詞にリアリティを追求するため音読してみたり(音としてスムーズでない台詞は日常会話においては不自然だ)、臨場感のある描写のためにロケハンを重ねてみたり。
己の過去体験もよく紐解く。
初めての海外留学で右も左もわからぬなか税関につかまった心細さ。恋人が卒業後に去った後の、町の味気なさ。沖縄の離島で無為な日々をおくり、茫漠と広がる海を目の前にして感じた、世の中において行かれたような侘びしさ。
乳のように、血のように、物語にふくませて温度を通わせようと試みた。

みすずの国も、キリンの国も、そのようにして育ててみた物語である。

ただ今回、雪子の国。この〝経験を吸わせる〟という行程が前作品に比べてとんでもなく困難だった。
何故ならラブコメディ。
我輩は恋愛経験が少ない。ラブをコメディしたことなど一度もない。流れでつきあい、流れで別れてきた、節目もわからない代物。
告白などしたことないし、されたこともない。好きだ嫌いだ、切ったはったの大恋愛の最中におこる感情の起伏など、想像もできなかった。

加えて我輩は「可愛い」という概念がよく理解できていない。
雪子なり、ヒマワリなり、美少女という体で登場する子等を絵にするのがひたすら苦痛だったのは、我輩自身が「可愛い、美人」と思っているのでなく「これでいいですか?」と世におもねっているからだ。
無論、雪子もヒマワリも可愛いお子等だ。しかし我輩にとっては妹や娘のようなお子等であって、恋愛対象として、異性として魅力的なわけではない。我輩はどちらかというと、美鈴のような素朴でタヌキやヤギに似ている子のほうが好みなのだ。色白で前歯が大きく、一重のはれぼったい瞼をしていて、唇があつく声が低い子が良い。
好みの詳細はおいておいて、昔から我輩の「好み」は世の中の流行から独立宣言をはたし、特別自治領区として領土を守りぬいてきた。
世の好みと乖離して、ブルーオーシャンでのびのびとやっていける分には良かったが、物語を作る段には昔から弊害だった。
求められているものがわからん!
あんまりわからないので、仕舞いにはヒロインを出したくない症候群を一時期煩っていた始末。

そんな我輩がラブコメをやるのだから辛かった。
雪子の造形は滅茶苦茶苦労した。悩んで描いて消して唸ってを繰り返した挙げ句、ほとほと疲れ果てた後、ふいに一つの台詞がでてきた。
これが光明となる。
「雪子ちゃんは美少女雪子ちゃんなのですから」
疲れていたこともあって、ちょっとうけた。言っておきながら照れさせてみると、面白かった。
この子とつきあったらおもろいやろな、そう思いだすと、ようやく本作のヒロイン雪子が可愛く思えてきたのだ。
思えてくると、雪子らしい台詞があふれてきた。
雪子らしさと、ハルタらしさもうまく溶けあって、独特のユーモアも醸せるようになった。(ように思うがどうでしょうか)
雪子とハルタの掛け合い。これがかみあって、ようやくラブコメというビクともしなかった歯車がまわりだし、物語が進み出した。

雪子。
雪子の国だから当然なのだが、この子がこの度の要であり、難所であり、出会えたことには最良の喜びだった。
雪子のおかげでキリンの国とは違う面白さを出せたように思う。
ヒロインを可愛いと思う。その感情移入からの物語体験。今まで出来なかった表現が出来たのではないか。
出来ていたらいいな。
出来ていますように。

願っている。

「可愛い」を理解していない我輩でも、恋をする心のときめきは覚えがある。あんな気持ちをいくらかでも提供できたら、嬉しくて仕方がない。

恋をしたから見える美しい風景はある。彼女が暮らす町を、彼女が顔をのぞかせるかもしれない曲がり角を、「おかえり」と声が聞こえる玄関を、慈しむ。慈しみは美しさの感受へとつながる。

何か綺麗なものを見せることができたのなら、幸いです。

感想などありましたら、お待ちしておりまさ。