戦略〝批判〟的な生き方

*注意・これを執筆したのは七月下旬です*

クソみたいに暑い日々が続いている。
ここまで暑いと夏の情緒もない。

天気予報の最高気温、本州軒並み37度を超えたある日。
体温より高温な外気という危険極まる酷暑のなか、ふと見つければ沖縄が32度予報。
避暑地か。
と突っこみたくなるあべこべ。なにせ北海道札幌の最高気温と並ぶ。
大陸性の高気圧と太平洋からの高気圧が仲良く張り出し、日本列島に蓋をしたから熱が抜けない。
蒸し焼き状態、蓋をされた鍋の中で暮らしているようなもの。
さすがにまいった。
沖縄は地理的に離れるため、本州を覆う鍋ぶたから抜けているのだと言う。であるから例年通りの暑さ。例年通り暑いのに「避暑地かっ」と突っこまれても困る。大和がおかしい。その通り。この暑さはおかしい。

夏コミに参加される皆様。気をつけられよ。我輩はこの度、山口にて見守る。

夏になる度に持ち上がるクーラー貧弱説に言及したい。
学校にクーラー導入が検討される度、「クーラーなんて贅沢だ」「自分たちの時代は扇風機もなかった」「それでも頑張って耐え抜いた」とクーラーが効いた部屋から文句をたれる連中がいるが、「昔は暑くても頑張った」という言説には、我輩に大いに疑問だ。

実際、昭和生まれの我輩も小、中、高とクーラーのない学舎で勉学に勤しんできたが、七月に入ると勤しむどころではなかった。
男子はほぼ半裸、女子もあられもない姿で溶けるようにしてどうにか生きているという状態。
不快が極まり微分積分どころではなかったし、古典の動詞活用などどうでも良かった。
この暑さを何とかしろ……!
靴下を脱ぎ捨て、燃えるような足裏を机の脚や壁にはっつけ、体温を逃がそうと苦心する、それだけの時間。
勉強どころではなかった。

過去を振り返ってみても、インテリジェンスは夏の間、軽井沢等避暑地に逃亡するか、あるいは欧州にわたって「日本の夏は人を馬鹿にする」とポストカードに記し送って寄こしている。
谷崎潤一郎も「夏は無理ぽ」と日中の創作を諦めているし、日本の恋愛が欧米のそれと比べ情熱にかけるのも「外が高温多湿なために、人間の中身まで暑苦しいことが出来ない」と言っているくらいだ。
これは恋愛に限らずそうだと感じる。
修造でもなければ、暑い夏に熱い情熱を体内でたぎらせるのは困難なのだ。
軽井沢に逃げられない市井の人々も、風鈴をつるし、水を打ち、盥に水をはり足をつけ、なんとか避暑を試みていた。

日本の夏は古来より学習や知的生産には不向きであり、人々は何とかその暑さから逃れるよう努力を重ねてきたのだ。
暑さというものは避けるものであり、我慢するものではなかった。
誰もが暑かったから、同じ思いに苦しむ他者に同情も出来た。

しかしクーラーが家庭に職場にと行き渡ると、その快適な空調に人は暑さを忘れる。
暑さを忘れた時、暑さで苦しむ人々のことも忘れる。自分が苦労した過去を引き合いにだし、他者が同じように苦しみ、同じように損をしなければ我慢ならなくなる。
恐らく彼等が他者に押しつけたいのは努力や忍耐の価値ではなく、そういうプラスの道徳でアイシングした、自分達が被った苦痛と損をあまねく人々に強要したいという、毒饅頭の中身だろう。

余談だが、かつて我輩の高校には体育祭の練習というものがあった。
暑さの抜けない九月一日から一週間、一時限目から七時限目まで全て、校舎を閉め切り、影に入ることすら許可しない、炎天下での体育祭の〝練習〟というクソOFクソのような時間が存在したのだ。
他人や他学年の競技練習中、木陰に入っていると「何やっとるんだ貴様等!」と体育教師に蹴りだされた。
「先輩が暑いなか頑張ってるのに、失礼と思わないのか!」
と怒鳴った後、自分は教員テントの下へと戻って行く。
今考えると「FU〇K!」と中指を立てたくなる。
当時はどう思っていたか。
もちろん「FUCK!」と中指を立てていたし、「アホちゃう?」とそもそも教師の言うことを聞かなかった。
家が近かったので、学校を抜け出し帰って寝た。自分の参加プログラムの際はまた忍びこんで参列し、終わるとまた家に帰った。
バレて大目玉をくらい、親にも連絡がいったが、我輩は「すみません!」と頭を下げながら心中舌を出していたし、犯行も繰り返した。
我輩には確信があったのだ。

うちの教師はアホやから、相手にせんでええ。

残暑のなか、入場行進の練習を延々繰り返し、足並みがそろってない、手があってないと拡張器で怒鳴り散らしていた体育教師。
伝統ある体育祭、保護者からも熱烈に支持されている体育祭、先輩たちが努力と我慢を重ねて伝えてきた体育祭。
「私はこの学校の体育祭に、誇りを持っています」
と練習の始りと終わりにはいつも体育教師は言っていた。
「私はこの学校の体育祭を、愛しています」
その体育祭は三年前、学力低下の要因とされ、何より危険であるとして、保護者からの熱烈な支持をうけて廃止された。

アホは勘違いしている、と我輩は感じる。
夏の知恵とは避暑や納涼であって耐暑ではなかった。
だいたい何もせずに耐えることは知恵ではない。ただ暑いなか転がっているだけなら、河原の石コロのほうがよっぽど上手くやり通す。我慢するだけで改善を試みないなら人間は石コロ以下だ。
それを「昔の人は暑いなか耐えてきた」として、忍耐面ばかり強調するのは馬鹿げている。
過去の人間は耐えてきた。なるほどそうだ。耐えながら知恵をしぼり、よりよい生活を送るために頭を巡らせてきた。だから偉いのである。その恩恵のもと、さらに前進する努力が尊いのであって、解決された問題に留まり続け苦しさを楽しんでいるようでは人間の未来は暗い。

クーラー問題に限らず、忍耐、我慢、苦労を重ねるといった、耐久性が美徳として認められ過ぎているように感じる。
我輩も我慢強い方だし、苦労して何かを成し遂げた際に感じる達成感を好む。
しかしそこで生産性、効率、効果を無視し、大目的への貢献を省みず、ひたすら流した血と汗と涙の量に自己の肯定を求める時、人は人生の舵取りを失い、独りよがりのエクスタシーのなか敗北への道を辿るように思われる。

戦略の評価

耐えることに価値はある。我慢すること、苦労を厭わない精神も価値はあるだろう。
しかしそれは戦闘レベルにおいて、つまり作業の実行段階において発揮を期待される能力であって、戦略レベル・計画段階において顔を出していい能力ではない。

もし入社した会社の営業戦略が「耐えて、我慢して、頑張る」だったら上の頭を疑った方がいい。計画段階から「耐える、頑張る」などと言っている連中は戦略を理解していない。
戦略は実行段階において「耐えなくていいように、我慢しなくていいように、頑張らなくてもいいように」計画を練り、六割から八割の力で目標を達成できるよう環境を整えることにある。
物資を潤沢にし、戦力を敵の数倍にして、戦う前から勝負に勝てるように導くことを指すのであって、実行段階での奮起を鼓舞するスローガンでもないし、応援団の太鼓でもない。

よくスポーツ選手が「120%の実力が出せるよう、頑張ります」と言うが、あれも「120%の実力が出るように頑張る」ではなく「八割出せたら勝てるように準備してきました」が正解だろう。さすがに世間受けが悪いので口にする者はないだろうが、恐らくトップアスリートはそういう戦略をもって日々鍛錬を積んでいる。試合当日、ベストコンディションで自己レコードが出れば勝てる、という運任せの練習はしていないはずだ。

我慢した。耐えた。苦しさに負けず頑張った。
そこを褒めちぎるのはよそう。たとえそれで結果がでても、常に反省すべきだ。
我慢しなければならなかった。耐えなければならなかった。達成に苦痛を伴った。
全て戦略段階の無理に起因する〝失敗〟である。
失敗を忍耐や努力でカバーしたのであって、優れた作戦・戦略ではなかった事実は覆らない。
そこを「痛みに耐えてよく頑張った! 感動した!」と実行面での能力を激賞し、作戦・戦略の無理を覆い隠す時、「頑張れば、頑張るほど苦しくなる」という矛盾が生まれる。

「結果を出せば出すだけ仕事が回ってきて、やることが増える」
日本の職場の因習であるが、これは結果の成否のみに囚われ、実行段階の難度を評価しないために起こっている。
「この仕事、とても苦労しました」
と部下から報告があったとして、上司は十中八九こう答える。
「よく頑張った! 偉い!」
これでは駄目なのだ。
「苦労した? それはいけない。何処に無理があったのか、一緒に考えなおそう。君に無理をさせたのは、こちらの計画が甘かったのだ。そこを改善しない限り、君の生産性を高めるのは難しいだろうから」
と実行段階での難度を評価し、難しければ難度を和らげるように改善を試みなければならない。それが実行部隊を管理する上司の役目だ。
難しい仕事を難しいままにして、その難題に取り組む姿勢や努力を評価する限り、「評価されたら仕事が増えるからさぼろ」という部下の反目は無くならない。

戦略を評価せず、実行段階の努力ばかり賞賛する。
これは日本という国柄、ある程度は仕方のない性質でもある。
封建社会とそこに親和性をもつ儒教思想が良民鍛冶のツールとして採用されてきた日本。
良き民衆とは〝思考しない〟民であり、御上の命を堅忍と不断の努力で果たすことこそ美徳とされてきた。
であるから実行者が〝戦略〟という段階を評価、批判することは、御上の〝考え〟にケチをつける行為であり、日本社会においては常に越権行為として認められなかった。
現場からのフィードバックを得ない戦略。これはもはや歯車として機能せず、実行と噛みあわないためにいつまでもカラカラと軽やかに回る。自分の身は軽やかだから、掲げる目標も夢一杯で大きい。
掲げた巨大故に重量も凄まじい目標を支えるのは、ひたすらに実行部隊の忍耐と努力だけだ。

戦略評価を放棄するということが、どれだけ組織のトップにとって魅力的なことか。
想像してみればわかる。
夏休みの宿題計画。立てた計画を他人が実行してくれたなら、我輩たちは八月三十一日に親に泣きつき、読書感想文を書いてもらうなんてことをしなくて済んだ。
何よりもノベルゲーム。
これの作業計画。
考えるだけでその通りに仕上がるなら、今頃「国シリーズ」は完成している。
我輩だって年に二本は新作出しちゃうし、その合間に漫画も仕上げちゃう。ファンサイトも立ち上げて、週一回はミニノベルも更新しちゃうし、Twitterには毎日イラストを投降する。
ブログも三日に一度は更新する。
計画するだけなら、これだけの事が出来るのだ、我輩も。
実際、計画段階において不可能ではない。
一日四時間睡眠、作業時間十六時間。
一時間あたりシナリオは二千文字すすみ、イラストは二時間~三時間で仕上がる。
この生産力を三ヶ月連続で維持できれば、ノベルゲームは出来上がる。

出来るか!

全て「最高記録」を参考にした通常運転。
狂気。
しかしこの狂気が組織の中では成り立つ。
何故なら計画をたてる人間と、実行する人間が違い、かつ実行現場からのフィードバックは越権行為として認められないからだ。
立案されっぱなしの計画。それが最後まで「忍耐と努力」によって押し進められる恐怖。

考えるだに震え上がる。

戦略を評価せず、実行部隊の奮起に期待する。
旧日本軍が陥った失敗だが、その失敗は脈々と組織に受け継がれ、忍耐と努力を美談として輝かすことで繰り返されている。

作戦・計画の失敗は常に実行部隊の怠慢に帰結する。

この〝旧日本式失敗責任論〟が会社組織に受け継がれているのは実に危険なことであろう。
しかしもっとも危険な引き継ぎ先は、実は組織ではない。

戦略評価の放棄と、実行段階への批判集中。
このメッソドの尤も危険な引き継ぎ先は、実は我輩たちなのではないか。
我輩たち個人がこの方法論を採用していることこそ、最大の悪夢なのではないか。
と、近頃我輩は考える。

戦略批判的生き方

ダイエットをする。
喫煙をする。
ノベルゲームを夏コミまでに完成させる。
それらを失敗した時、我輩たちは常に自分を責めていないだろうか?
努力が足りなかった。我慢が足りなかった。どうして一日六時間も作業出来なかったのだろう。どうしてあの時眠ってしまったのか。
実行段階で躓いてしまった場面のみを省みて、責めたて、自己不信に陥っていないだろうか。
ついには「どうせ計画しても自分は何もやり遂げられない」と夢をみることさえ放棄していないだろうか。

我輩たちは常に努力と我慢を怠ったことを悔やむ。
しかし計画に問題があったとは考えない。
ちゃんとしていれば、頑張っていれば、計画は果たせた。
そう考える。

戦略批判を放棄し、現場にのみ奮起を期待する旧日本式メソッドと、どこが違うだろうか?
我輩たちが計画時に考える「ちゃんとしてる自分」は、無能な上司が部下に求める〝勝手な理想〟と何ら変わらない。
能力は過去最高の結果を規準とし、不測の事態は発生しない見込みであり、気力は常にMAX100%、起きた五分後には作業に取りかかり、寝る五分前まで全力投球していられる。
そんな風にして「ちゃんとしている自分」を考えてないだろうか?
そんな「ちゃんとした自分」を遂行できなかった実行時の自分を責めてはいないだろうか?
違うのである。
批判の矛先が。
責めるべきはアホみたいな計画をたてて「後はよろしく」と引っ込み、失敗した時にだけ「努力が足りないぞ!」と顔を出す計画立案の自分であって、無理難題の計画に地獄の苦しみを味わった実行時の自分ではない。
見直すべきは計画なのである。
「なぜ歯を食いしばって頑張らなかったのか」ではないのだ。
「なぜ歯を食いしばるような不利的状況に陥ったのか」が反省の論点なのである。

我輩は常に眠気と戦っていた。
一日六時間寝ても、眠くて眠くて仕方がない。食事の後などは満腹感も手伝って、気絶するように作業机で寝てしまう。
これでノルマは遅れ、かつ生活周期がくずれ、作業のリズムに乗れず苦しんでいた。
時にはこの眠気に打ち勝つことも出来たが、時には負けた。一度負ければリズムは崩れ、波にのれない日々が続く。

そこで我輩は一度相談することにした。
計画担当の我輩に「はっきり言って、これでは戦えない。毎回のノルマが苦しすぎる」と打ち明けた。
〝気合いで眠気に打ち勝つ確立〟が低いことを示し、「頑張る」以外の解決方法を望んだ。
計画担当の我輩は「気合いが足りないだけじゃねぇのか」「キリンの国の頃はもっと頑張れてただろ」と渋りつつも、「眠気 防止 方法」と検索ワードを打ち込み、代替案をネットから拾ってきてくれた。
それが昼食後の仮眠。

昼食を食べた後、すぐ、何もせず、二十分の仮眠をとる。
眠くなくても目を閉じる。と言うより、「眠くなる前に仮眠をとる」というのが効果的だとわかった。
眠くなってから仮眠をとると、絶対に二十分の仮眠では済まない。
しかし「眠くなる前に寝る」と、二十分の仮眠でもさっぱり目が覚める。眠りに落ちることなく、目を閉じて横になっているだけのこともあるが、二十分後にはかなりリフレッシュしている。
午前中作業からの連続感も薄れ、また新しいスタートとして踏み切れる。

人間の身体は一度疲れると、回復するまでに時間がかかるそうだ。
山登りでも「疲れる前に休む」「シャリバテする前に栄養補給する」が基本だった。それを思い出し「眠くなる前に寝る」を採用すると、ノルマ達成の成功率が100%になった。
以前は三日に一度は失敗していたノルマを、苦もなく達成できるようになり、日々の作業にもリズムが出てきた。
今はノルマも増やしている。ノルマの難度が下がり、達成が容易くなったので、量を増やしたのだ。それでも三週間連続でノルマは達成している。

「眠気をいかに我慢するか」ではなく「眠くならないためにどうすればいいか」と考えた。
「眠気という辛さを取り除くためにはどうすればいいか」
「もっと作業を楽にするにはどうすればいいか」
これは戦略の練り直しを意味し、あえて寝るという仮眠方を採用することで、実行段階の苦痛を格段に和らげることに成功したのだ。

苦しんでいる自分を責めるなかれ

自分が立てた目標を難なくこなす人。
同じ量の仕事なのに、簡単に片付けてしまう人。
彼等が優れているところは実行時の能力ではなく、実は計画段階の戦略性に優れている可能性がある。
逆に計画がいつも頓挫し、自分との約束を守れない人は、忍耐や努力の問題ではなく計画立案能力が乏しいのかもしれない。

クーラー導入に「我慢が足りない」と文句をたれる連中。
あるいは「最大限の努力をしてみたのか? もっと頑張れたんじゃないのか?」と真顔で聞いてくる貴方の上司。
こういう〝旧日本軍大本営〟と一緒に暮らすのはさぞ辛かろう。
しかし何より辛いのは、その〝旧日本式メソッド〟を自らも採用してしまうことだ。
無茶苦茶な計画を立案しては失敗し、その責任を実行時の自分になすりつけて、自己嫌悪と自己不信の地獄にのたうちまわるサイクルこそ、一番辛い。
辛いだけでなく、繰り返しになるが恐ろしいことなのである。
何故なら、自己不信に陥り、自分を信頼できなくなれば、計画自体を立てなくなる。計画を立てない人生とはどういうものか。

夏休みの初日。
あるいは物語のシーンを思いついた瞬間。
あのわくわくする瞬間と、一生無縁になるということである。
想像力から得られる全てから、「どうせ」といって手を切ることである。
我輩にとってはそれは地獄だ。

頭のなかにある世界。それらを形に出来るのだと、常に信じなければならない。
実はたまに疑う。己の情熱を疑う時さえある。そんな時、立ち止まり、考える。
我輩は十分に頑張っている。
足りないのは戦略への反省なのではないか?

二十分の仮眠。それだけで世界は変わるし、救われる可能性もある。
どうしたら〝もっと〟頑張れるか。
そろそろその思考に苦しむのをやめ、こう考えてはどうか。

どうしたら頑張らないで済むか?

大切なのは避暑であり、耐暑ではない。
我々は自分が思っているほど我慢強くもないし、有能でもない。
暑さにも強くないのである。

疲れる前の休憩、早め早めの水分補給。夏コミ参加の皆様、どうぞお気をつけて。