ハルカの国 創作の記その18

進捗状況

今月いっぱいはスチル絵の設計で終わりそう。
140箇所あったスチル予定から厳選に厳選を重ね、70前後に落ち着けたいが、今のところ100あたりで難航している。
厳選方法としては、カラーラフまでを描いてみて、全体の流れのなかで本当に必要か、スチル絵での表現がもっとも効果的なのか、シナリオと照らし合わせては、ああでもない、こうでもないと唸っている。
一見、手間のように思えても、手当たり次第にスチルを描いていくよりは効率がいい。
ビジュアルと照らし合わせつつ、シナリオも再点検中。

カラーラフはコピー用紙に色鉛筆で仕上げているが、紙が悪いのか、色鉛筆が悪いのか、色ののりが悪い。
一度で色がのらないために、何度も擦る羽目になり、肩がこる。
使用している色鉛筆は高校生の頃に買ったファーバーカステル水性。そこまで悪い色鉛筆ではないはずだが、古いのがいけないのか、それともコピー紙と相性が悪いのか、ツルツル滑って色がつかない。
よりより色鉛筆を探してみるが、高けぇ。
創作の道具であるからそのうち揃えるつもりだが、何せ現物を知らない。我が輩の願いである「コピー紙に色がしっかりついてほしい」がどれほど叶うものなのか、通販サイトを眺めている限りではわからない。
何万も出して買ったものが「効果がねぇ……!」となればショックなので、バラ売りで試せないかと探している。
ただ色鉛筆も色毎にのりが違うので、カドミニウムレッドの具合が良くても、オーレンイエローは全然駄目ということもあり得る。
悩み所だ。

月末にかけてはいよいよスクリプト作業に入っていく。
スクリプトに入れば、朝から晩まで立ち絵の番号振りに終始する、あの懐かしい時間が再び訪れる。
会話の数だけ立ち絵をふるので、星霜編に〝「〟で検索をかけると7000個あるために、7000回この作業を繰り返すことになる。7000回、「この台詞を口にするこいつはどんな様子だろうか」と考える。この施行の内に、人物への理解もより深まってくる。
とても有意義な時間だ。
有意義だが「いつ終わるんやこれ……」とほとほと疲れ果てる。
ハルカの国全体を通して、一体何回我が輩はこの立ち絵振りを施行するのか。
恐らく二万回は超えるだろう。
みすずの国、キリンの国、雪子の国、合わせれば一万回くらいあるだろうから、ハルカの国完成の暁には三万回の立ち絵指定をしたことになろう。
その頃には世界でもっとも立ち絵を指定した男として、ギネスに載せてくれないだろうか。
あるいはこの世には我が輩を超える猛者がいるか。

色彩学

色というものが苦手だった。
嫌いなのではない。上手く扱えないために、苦手だったのだ。
それもそのはず、我が輩、色彩に関する知識が皆無。
青と黄を混ぜると緑になることを、半年ほど前まで知らなかった。

赤と黄を混ぜると橙色、青と赤で紫は感覚的にわかる。しかし青と黄で緑というのは腑に落ちない。しかし絵の具で試してみると、確かに青と黄で緑になる。
なるものはなるで仕方ないから、納得することにした。

色にはそれぞれ補色というものがある。
三原色である赤、青、黄において、それぞれの補色はそれ以外の混色になっており、この補色が隣にあるとその色が際立つ。
赤なら緑、青なら橙、黄なら紫。
しかしどちらも同程度の彩度、明度の場合、色が喧嘩するので片方を落とす。
彩度を下げる場合、補色を僅かに混ぜると濁り、灰色がかって明度彩度ともに落ちる。
赤を際立たせたいなら、緑に若干の赤を混ぜて濁した緑を配置してやる。
すると赤が映える。
赤い花がよく映えるのは、葉の緑が補色となっているからだ。

このように、色もその色だけで印象を放つわけでなく、キャンパスの上での配置、つまり配色によってその調子を変える。
二次元空間に配置されたそれぞれの色価がお互いに影響しあい、一幅の絵が訴えてくる様子を決める。
色にも構成というものがあるのだと、近頃ようやく知り得た。

スチル絵のカラーラフを描くようになって、色彩学を勉強し始めたが、なかなか興味深い。避けて通っていた日々を、勿体なく思う。
物語や音楽が時間軸で展開されるのに対し、色彩は二次元空間に展開される。どちらとも、ある目的を果たすために構造が存在する。
全体が機能して、大目的としての効果を狙っている。
そう考えると、色彩を学びながら、どこか物語として教えられることもあり勉強になる。
特に補色のくだりは物語にも言えることで、何かを生かすために、何かを落とす(殺す)という行為は、表現において常に強いられる。
鮮やかな赤と瑞々しい緑を並ぶより、鮮やかな赤とやや鈍い緑を並ぶ方が、総和としての色価は高まる。
何を表現したいのか、明確な意図があれば、そこに向けて全体を構成できる。
明確な意図がなければ、綺麗な赤と、それに負けないくらい美しい緑を選んでしまうだろう。
鮮やかな緑とくすんだ緑があって、誰が好んでくすんだ緑を手にしようか。
手に出来るのは、「赤を生かす」と断固たる意図をもった者だけだ。

全体視

初心者は絵を全体として捉えるのが難しい。人物の顔を描くにしても、ついつい手元の右目ばかりに集中して、左目とのバランスが崩れているなんてことが頻発する。
慣れてくると絵の全体が見えてきて、左目を見ながら右目を描けたり、もっと見えるようになると絵の全体を見ながら右目が描けるようになる。
どうやら色もそのようで、慣れてくると全体の色価を感じながら、手元の色を塗ることが出来るらしい。
我が輩などは手元で塗っている色に一生懸命になって、その色が空の青さや、木々の緑とどういう関係をもっているのか、どういうヒエラルキー下にあるのか、頭が回っていない。
頭が回るように、全体の色価、色構造が見えるように練習しているが、なかなか難しい。

物語も同じかもしれない。
ある人には物語の全体が見え、手元でワンシーンを描きながらも、全的な流れのなかでどう機能しているのかを感じられる。
しかしある人には全体が見えず、手元のシーンに終始してしまう。
後者はシーンを書き上げる度に「よく書けた」と舞い上がるだろうが、物語を通して読んでみるといつも失望を味わう。
何故ならそのシーンはそのシーンとして構造的に機能して優秀であるために、全体のなかでは空回りして独り相撲に陥っているからだ。
色で言い直せば、あらゆる色彩が鮮やかであるために、あらゆる色彩が鮮やかでないのだ。
逆説的だが、これは真である。
物語にしろ、絵画にしろ、全体を眺める視野、全的な感覚というものが要求される。
小さな視野では物語も絵もかけないというわけだ。

インビジブルへの努力

物語は構造を持つ。
構造は目に見えないし、文章として記されてもいない。
ゲームアプリを遊ぶプレイヤーには、アプリのプログラムコードが見えないのと同じ事だ。
プログラムはプレイヤーに見えていない裏側で、構造的に機能し、プレイヤーを楽しませている。
絵画にしたって、いちいち「この緑は、アクセントカラーとなるここの赤を生かすために、かなり抑えられています。かつ、空の青に向かって自然と溶け込むように、遠景に向かって青系へとモデュレーションしているのです」なんて解説は絵の中に書き込まれてはいない。
書き込まれてはいないが、そのようなプログラム(デザイン意図、構成)が色彩の下に張り巡らされている。
下手な物語、下手な絵画なんてのは、プログラムエラーが発生して遊ぶことが出来ないゲームアプリと同じなのかもしれない。
裏側が機能していないのだ。
見えない場所での努力や配慮が、見えているものを最大限に生かす。
しかしながら、見えない場所への努力は難しい。

目に見えない。
構造の難しさはここに尽きる。
構造の結果は目に見えるのに、構造そのものは目に見えない。
ある絵画において夕日の赤が面白くなかったとして、赤を黄に代えてみてもやっぱり面白くないままだったりする。
これは問題が赤色にあるのではなく、赤色を機能させる構造にあるからなのだが、構造は目に見えないために、目に見えている赤色が主犯格として槍玉にあげられる。
物語においてもあるシーン、ある台詞が浮くのは、実は裏にある構造に問題があるのに、違和感を覚えるのがシーンや台詞であるために、そこがガン細胞のごとく摘出される。
構造を取り扱う技術さえあれば、夕日の赤をそのままに、山並みを緑がかった影に沈めることを思いつくかもしれない。
物語にしても台詞はそのままに、その手前にあるエクスプレッションを落とすことでシーンを蘇らせる手腕を発揮できるかもしれない。
だが目に見えるものしか見えなければ、問題として浮き上がっている場所を弄ることに終始してしまう。
夕日を赤から黄にかえ、それでも納得できないから紫にしてみれば余計駄目になった。
台詞を取り除けば物足りないし、入れなおせば違和感があるし、台詞を変えてみたら意味がわからなくなるし……。
見えないものを見る力、構造を見抜く力がないと、いつまで経っても問題を解決できない。
我輩もこの力を養うため、日々、勉強に励んでいる。

ブログについて

話を急に変えるが、ブログの更新頻度をしばらく落としたい。
月に一度、二十日の進捗報告だけにしたいのだ。
語りたいと思える関心は、全て大正編に託したと思っている。
現状、ブログで語ることは蛇足感を拭えないし、語っていながら「本当はこういうことが言いたいんじゃない」というもどかしさを感じてしまう。
そのために、いくつものブログ記事を没にした。
結果、近頃のブログは「言いたいことも言えないこんな世の中じゃポイズン」状態で、フラストレーションがたまってしまう。
皆様に届けているものも、質が落ちている感が否めない。
ファンティアの方では限定ブログの代わりに何か他のものを上げていきたい。
設定資料衆の草案などを上げて、人気のあった企画を本採用にしようかとも考えている。
次回の限定ブログ更新の時期には、ブログではなく別物があがると思うので、ご了承されたし。

星霜編、完成の暁にはいっぱい喋ると思うので、しばしご猶予を。