6本目 ノベルゲームと小説は違わなければならない5

小説を書こう!

4回にわたって「ノベルゲームシナリオと小説は違う!」と偉そうに(ごめんね)喋ってきたわけだが、では実際にいかにしてノベルゲームシナリオを書けばいいのか。

小説を書こう。

答えはこれだ。

ふざけるなテメー今までの能書きはどうしたと憤慨なさるな。

〝まずは〟小説を書くしかないのだ。

だって貴方様よ、シナリオの書き方ご存じか?

このブログを読んでる方なら、一度は自分の物語を執筆したことがある方ばかりだと思うが、それはどのような形式でしたかな。

十中八九、小説形式ではないだろうか。

だって世にシナリオはシナリオのまま出回ってないもの。

あるにはあるけれど、あれは作品としてではなく、お勉強用だったりグッズとしてだから、小説よりも先にシナリオに触れたなんて方は極端に少ないはず。

シナリオ書けますか?

我輩は書けない。だからとりあえず小説で書いて、スクリプトを組む作業のなかで変えていく。雪子の国だって最初は小説なんですよ、それをオブザーバー(監視役)である友達に見せて意見を伺い、2稿、3稿と回を重ねて文字媒体としての読み物として完成させるのだ。

小説をシナリオに削りあげていく

小説に対しスクリプト組みという名の「削り」をいれていく。

小説として完成している作品に、そのまま絵や音楽がついたら絶対情報の重複がおこる。重複がおこると、何度も言うけれど、情報量の低下をまねき文章価値の減少をひきおこすので、削らなければならないのだ。

削れば演出が引き締まる。

削りあげればあげるほどよい。日本酒と同じだ。

まずは「どうにかビジュアル化できないか?」と文章それぞれをチェックしていきたい。

笑った、眉をしかめた、唇をとがらせた、こんなものは全て立ち絵で表現する。

前回も少しふれたが、風景描写も背景と重複するような文章をわざわざいれない。

雨の背景で、「雨が降っている」、なんてことは書かないだろうが、「秋の冷たい雨が宵のうちから降り始めた。俺と彼女は傘をさして、その縁がふれないような距離で歩いた」、なんてこともできれば避けたい。

情報をチェックしなおそう。

本当に雨が宵のうちから降り始めたことはシーンにとって重要なのか? 読者が読むに値する情報なのか? 今が秋であることは事前にわかっていることではないのか? 傘の縁がふれない距離で歩くことに一体何をこめたのか。

もう一度、削る眼で、ゆるい表現がないかみなおす。

雨の背景、冬服に衣替えした彼女の立ち絵。

「秋雨前線で、今日は止まないってさ」

彼女は振り返ることもなく言って、歩き続けた。

これで良くないだろうか。我輩だったら前後のシーンに二人の関係性を託し、そこから二人が歩く距離感を読者に想像してもらうので、地の文はまるまる削る。

「今日は止まないってさ」

これでいい。

削り過ぎを恐れるなかれ。一度は物語が破綻するギリギリまで削ってみよう。残ったものが、物語の幹だ。

理解していただきたいのは、最初から簡潔な文章を心掛がけるのと、削りをいれるのは違うということ。

物語は彫刻なのだ。削りあげていくものであり、最初から真の姿を練り上げていくものではない。風呂敷だって大きく広げたほうがいい。問題は吐血するような思いで書いた文章を、どれだけ冷酷に削れるかだ。

デバック! デバック! デバック!

さて削りあげた作品が輝きを増したのか。それとも無残に切り刻まれ物語の体をなしていないのか。

チェックするにはもってこいの方法がある。

デバックだ。

スクリプトを組んで、何度もデバックしよう。

文章に絵やBGMがつき、メッセージウィンドウのなかに収ると、途端に印象がかわる。

エンドユーザーがどのように物語を味わうか。彼らとまったく同じ姿勢でのぞみ、最後まで無駄をとりのぞこう。

この作業はリズム感が大切だ。シーンのリズムが悪かったり、違和感を感じたら徹底的にあらい出しを行なおう。

天才でもなければ正解はわからない。ただ凡人でも不正解はわかる。不正解と感じたリズムからは逃げずに立ち向い、デバックをかけよう。

手数と努力。それだけが凡人に残された術だ。

最後に

ノベルゲームシナリオは小説を磨かれて出来るものだ、と我輩はとらえる。

ビジュアル表現、サウンド表現があるぶん、必ず小説の状態である文章量からは削り落とせるものがあるはずなのだ。

小説は文字媒体によって五感の全てに訴えかける表現方法だ。そこにビジュアルやサウンドを上乗せすると、小説で努力された表現や、ビジュアルやサウンド、全てが水っぽくなる。

であるから、ノベルゲームシナリオと小説は違わなければならない。