ハルカの国 創作の記 その36

進捗報告

問題が生じた。
順調にいけば今月よりスクリプトを組んでいく予定だったが、完成したシナリオをオブザーバーに提出したところ、感想が芳しくなかった。
要約すると「満足感が少ない」とのこと。何故、「満足感が少ない」のか。ヒアリングをすすめ、自己分析をした結果、以下三つの問題に起因していると思われる。

1、 デザイン性が低い。各種要素を一つの目的に向かって機能させられていない。情報構造、情報デザインの欠陥。

2、 人物の掘り下げ不足。物語内における登場人物の掘り下げが不足し、最終的な人物の結末についていけない。感情移入が追いつかない。

3、 ユーモア、諧謔の不足。ユキカゼを始めとする登場人物が落ち着いていて、ドタバタ感がない。シーンがひなびている。

これら要素が絡み合い、期待と満足が一致しないものになっている様子。
物語序盤で期待させられる内容と、物語中終盤で得られる物語体験が合致していない。カレーが美味しそうと思い店に入ったら、ラーメンが出て来た、みたいな。期待していたものと、得られたもののズレを感じて、欲求解決のカタルシスを得られていないようなのだ、どうも。

上記問題点のアプローチとして、現状、「期待」「体験」「満足(祝福)」という各フェーズにおけるシーンや展開をまとめ、期待から満足までの動線のデザイン性をあげている。期待させたものを提供するために、何を期待させているのかを分析、理解するよう努めている。
また登場人物の掘り下げを行うため、決戦編に至までの来歴を突き詰め、彼女達の動機や願いや恐怖への理解力を高めたいと考えている。
やろうとしていることと、文量が合っていないのではないか。この文量で納めようとしているために無理が生じているのでは? というサジェストを受けたが、文量は増やしたくない。書かない部分の厚みを増すことで、現状の文量を保ったまま人物を掘り下げたいと思っている。
文量が多くなるとゲーム化するのが大変、ということもあるが、人物描写のためにシーンを増やすと物語密度が薄くなるので好きな技法ではないのだ。

オブザーバーからの感想を受け取ってから、五日間、悪夢を見るほど考えてみて、ようやく「このアプローチを試してみよう」という仮説を手にできた。が、この仮説で課題をクリア出来るかどうかはわからない。
八月中にはシナリオをなおし終え、九月からはスクリプト化を始めたい。どうか目の前にある壁を乗り越えられますようにと、手を合わせ祈っているところである。

物語創作。
毎度毎度、問題が生じて頭を悩ませる。いつになれば「物語」というものを理解でき、失敗しなくなるのだろう? ひたすら物語る技術を磨いているつもりなのに、それが上手くいかないと今まで何をしてきたのだろうかと落ち込む。そういう時、ノートをふり返ると、色々と仮説をたて、何かしら挑戦を続けてきたのだと思い出す。日記と言おうか、記録と言おうか、とにかく過去の行程をふり返られる物があると、失敗に際し心強い。

自分は今までと違うことをしているから間違うのだ、新しいことを試みているから躓くのだ。かつてと同じ程度のことをやるのなら、失敗もなく事を成せるだろう。
自分はかつてより難度の高いことに挑戦しているのだ。ノートをふり返ると、そういう気概に溢れている。調子の良い頃の我が輩だから、元気もいい。その元気を貰うつもりで、読み返した。

今回のテーマは幽霊性。
幽霊性という恐怖に襲われる四人の姿を描こうとした。幽霊性とは自分ではなくなる可能性。例えば、IDを紛失してしまい自分を証明できなくなること。例えば、自分の役目と思っていたものが他人に代替されること。例えば、自分を知っている誰かがこの世から居なくなること。自分を自分たらしめる外因。その脆さ、その失われる可能性を恐怖として描き、そこから逃れようとする人々の様、幽霊になってしまうことをどうにか避けようとする姿を書こうとした。

同時に、身体性。
大正星霜編では近代の中に埋もれ失われていた身体性を旅の中で復活させたかった。痛みや疲労、空腹、暑さ寒さ、肉体的危険より一歩一歩逃れんとするアクチュアリティを描きたかった。
旅を通した体験、体感による確かな「今、ここで痛みを感じている私」という実感と、他者(外因)との相互認証でしか確立できない社会的・集団的自己の幽霊性(不確かさ・喪失可能性)の相克、対立を描いてみたかった。
我々はいかにして我々ではなくなるのか。自己の喪失、幽霊への転落という恐怖感、不安感をエンタメとして提供してみたい。
幽霊との戦い。それが決戦編だと思っている。

これをいかに、物語という情報構造として成り立たせるか。
力を振り絞って、達成したい。

頑張れ! 我が輩!

この度は進捗報告のみ。脳みそ搾っている最中と思って頂きたい。
次回、乗り越えられたのか、乗り越えたとしたら如何に乗り越えたか。結果はどうなるにせよ、そこへ至るまでの思考プロセスと行動プロセスを披露出来ればと思う。これもまた記録となり、未来の我が輩を助けるだろうから。