15本目 執筆術~己を机に向かわせる方法~

 意志の力をコントロールする

子供たちの目の前にはマシュマロがある。チョコソースたっぷりで、見ているだけでも口の中に甘さがひろがってくる。

研究員たちは子供たちに告げる。

「マシュマロを食べることを15分我慢できたら、もう一つマシュマロをあげよう」

一つより、二つ。

誰だってそう願う。しかし子供たちはお腹がすいてるし、何より甘いものに目がない。チョコソースの匂いが彼らの嗅覚に無遠慮なノックをくりかえす。

子供たちは我慢できるのか? 我慢できたとして何人我慢できるのか。我慢できた子供と、我慢できなかった子供にはどんな差があるのか? 我慢強い子と、我慢のきかない子には先天的な違いがあるのかどうか。

 何かの本で読んだかそれともテレビ番組だったか忘れたが、上のような実験がいたいけな子供達に施工されていた。結果として何人かは誘惑に負け、何人かは見事己を律することに成功し二つ目のマシュマロを手にしていた。

 おわかりいただけているとは思うが、一つ目のマシュマロはいつだって私たちの目の前に現われる誘惑であり、二つ目のマシュマロは誘惑を乗り越えた先に手にできる報酬だ。

 目の前にあるアンパンを食べればダイエットに失敗する。

 今ここで寝ればテストの成績は落ちる。

 タイプする手をとめれば物語は完成しない。

 私たちは目的である何かをつかみ取るために、いくつかのハードルを跳び越えなければならないのだが、跳び越えるには意志の力が必要だ。

 誘惑に打ち勝つ強い意思が。

 と思われている。

 しかし、誘惑に打ち勝つのは意志でも精神力でもなく、そもそも打ち勝つ必要もない。

 先の実験の話にもどると、15分の我慢に失敗した子供と、成功した子供の行動には顕著な差があった。

 失敗した子供の多くが、チョコソースたっぷりのマシュマロを睨みながら、手で頭を抱え、「駄目! 駄目! 我慢!」と繰りかえしていたのに対し、成功した大部分の子供たちはマシュマロに背をむけ他の遊びをはじめた。やがて前者が苦悶の表情のなか泣きだしそうな顔でマシュマロに幼い手をのばしたのに対し、後者は歌やヒーローごっこに夢中となり遊びも佳境を迎えた頃に二つ目のマシュマロが到着した。

 誘惑には真っ向から立ち向っては駄目なのだ。誘惑からは逃げなければならない。背をむけ思考からしめだすのだ。

 人間の無意識は否定を理解できない

 ~したら駄目、という否定の命令が下った場合、脳がまず浮かべるイメージは否定された~をしている場面だ。

 例えば「寝ちゃ駄目!」と思えば脳はふっくらした布団に身体をよこたえ、頭の芯から休めるくつろぎをイメージする。「食べちゃ駄目!」と思えば目の前の物を口にした際に広がる甘味や旨みを喚起するのだ。その後に、それをしては駄目、と理屈の上でのストップをかけるのだから、匂いをかがせて食わせないウナギ、蛇の生殺しである。

 否定してはいけない。つねに肯定によって自分を目的の行動にそわせよう。

 朝早起きしたいのなら「寝てちゃ駄目!」ではなく「朝の光がいっぱいに満ちた公園に散歩に行こう」「コーヒーをいれて、昨日買っておいたパンと素敵な朝食にしよう」にするべきだし、ダイエットしたいならそもそも「食べちゃ駄目!」と我慢しなければならない食べ物をそこら中においてはいけない。何か口にしたいと思いはじめたら、漫画を読んだり、ゲームをしたり、あえて運動したり、違う刺激をあたえて「食べたい」という思いを打ち消すのではなく背をむけよう。そのうち弱まっている。

 自分の話になるが、しかも情けない話で申し訳ないが、我輩は女の子にふられた時はそのまま漫画喫茶にいって漫画を読む。3時間パックで漫画をよみ、疲れて帰るとよく眠れる。もちろん、次の日にはさっぱり忘れられているかと言えばそれほどメンタルは強くないが、日常生活に支障はないほどには回復している。相手の電話番号やメールアドレス、ラインもさっさと消すことにしている。相手に連絡がとれる手段を手元に残すのは、ダイエット中にあんパンとから揚げをポケットに突っ込んで歩いているようなものだ。

 何よりもってこいの妙薬は新しい恋に他ならない。新しい人を好きになると綺麗さっぱり忘れるのは我輩の性格もあるかもしれないが、大方そういうものではなかろうか。

 以前、年がら年中恋ばかりしている女友達に「よくそれほど惚れられるな」と小馬鹿にして言ったことがあるが、澄まして返された。

「努力してるもの、惚れるように。恋はね、美容と健康にいいのよ。ストレスも溜りにくくなって生理不順もなくなるし」

「でもふられることも多いじゃん、あんた」

「そしたら次の人好きになるから大丈夫。ビタミンって必要だけど、ビタミンがとれるのはレモンだけってわけじゃないから。蜜柑とか、豚肉とかでもとれるもんだし」

最後につけくわえられた。

「ただ安心して、あんたには惚れないから」

 このように行動というものは意志の力で縛りつけて律するのではなく、うまくコントロールすることで出来るだけ省エネ的に行なうものなのだ。

 虚々実々という。男らしい正面突破を狙うのも結構だが、裏口があいているのなら裏にまわってさっさと攻め落とせばいい。

 朝起きる、ダイエットに成功する、失恋から立ち直る、どれも経験してきた我輩だけれどやはり物語を完成させることはどれにも増して困難なことだし、何より毎日の作業の繰り返しが大切である。

 うおおお! 書くぞ! この苦しみを乗り越えて、俺は書く! 書くんだ、ちくしょう、書けええ!

 と毎回の執筆に雄叫びを上げていたら身体がもたない。

 息をするように何の気持ちの起伏もなく机につき、作業ができる。これが理想だ。