「もう一度、人間」 ~代替社会、生存戦略~

リストラの嵐が吹き荒れている。

どうも高層階では風が強いらしい。
揺れているという話を聞く。
数を眺めればなかなかのもので、ここは一つ主だったものを下記に挙げてみたい。

みずほ銀行
19000人
三菱銀行
9500人
三井住友銀行
4000人

NEC
3000人規模

富士通
5000人配置転換(という名のリストラ勧告)

損保ジャパン
4000人配置転換(という名の)

人数もそうだが、名だたる一流企業、一流銀行が名前を連ねている。
高層階の風が強い、というのはここを指す。
就活勝ち組で一生安泰、後は年功序列のエスカレーターにのって退職までのほほほほんと生きよう、という人々には悲しい空模様。
しかしこれを見て「ざまぁwwww」と飯うま状態になっているなら下層根性丸出しで、仮に彼等が失墜しても我々が入れ替わりに上昇するわけではないことを肝に銘じておきたい。
むしろ景気が冷えて、己の商売にも冷気は漂ってくる。
出来ることなら誰もが幸福である方が、実利的には得である。
「自分が貧しくとも、憎いあいつがもっと貧しくて苦しいならその方がいいのじゃ!」と言うなら結構。それはきっと叶う。ただし半分で、前の方が叶う。

対象となっているのは「45歳以上」「間接部門」

リストラの嵐に分け入ってみると傾向がある。
対象となっているのは「45歳以上」の「間接部門」であることが多い。
間接部門とは「総務」「経理」「人事」など、直接売り上げを出す分野のサポートにあたる部署だ。
何故にこの年齢層、この分野が狙い打ちされているか。

一つには「45歳以上」のサラリーがボリューミーで経営を圧迫しているからだ。
年功序列での給与UPだったので、「45以上」になると生産性に見合わない社員が多くなる。
また「45歳以上」はモチベーションが低く、自己開発、自己投資によるスキルアップを計らず、新テクノロジーへのアジャストも下手だと〝考えられている〟。
また企業側としてはアドバンスなスキルをもち、時代への適応能力も高く、そもそも自己投資意欲の高い〝優秀な〟若者を多く雇い入れたい。海外資本の企業に良い物だけ摘ままれていては、競争力が落ちるばかり。

「間接部門」の方は、一概には言えないが、判子を押したり、数字を入力したり計算したり整理したり、書類を分類したりと機械的仕事が多い。
これらはプログラム言語に置き換えることが可能であり、プログラム言語に置き換えられるとコンピューターやロボットに話しかけることが出来るので、向こうが「合点承知の助」で年中無休ノーミスで行ってくれる。
とは言っても「人間による判断」が必要な箇所もあるのだが、ディープラーニングの発達で「簡単な判断」は帰納法による判別が可能となった。

んで。
45歳以上で成長は見込めず、給料は高く、ロボットでも出来るような仕事を出社から定時までやっているようなオッサン、オバサンはいらん。
おたくらに回してた養分、若くて優秀な人材に回す。
初任給あげて、ボーナス出して、インセンティブ出して、海外企業に負けんようにする。(実際、ここ数年大手の初任給の最大値は上がっている)
と言うわけで、「45歳以上」「間接部門」が狙い打ちされているわけで。
ただ「45歳以下、セーフ!」「俺、営業。セーフ!」なんて考えていたら甘ちゃんで。
今後は年齢も「30歳以上」とか、部門も「営業はWEBメディアを管理出来るチームと、そこからの指示で動ける最小人数でいいよ」とか、どんどんリストラの標準は広がっていくことが予想される。
その根拠を以下に述べる。

今後もこの傾向は続く。というか加速?

消費税アップによる景気低迷
オリンピック景気の終息
人件費高騰
技術向上によるハイテク導入のコスト低下

この四点。
これが四輪のタイヤとなり、現状の傾向を加速させると我が輩は考える。

人間の命が一発の弾丸より安かった太平洋戦争末期のような時代は終わり、人間は明らかに機械、ロボット、テクノロージー導入よりコスト高になってきている。
これは人間の価値が上がって大変喜ばしいことなのではあるが、その上がった価値に見合った仕事、生産を行わないと〝人でなし〟に代替されるということでもある。

単純に仕事をしているだけでは絶対に機械には敵わない。
機械的仕事を機械に挑んだって敵いっこないのである。
そこで「もう一度、人間」というタイトルの通り、人間が人間に戻る他に、生存戦略はないのではないか、と我が輩は考えた。
ノベルゲーム、立ち絵の番号をエクセルシートに振りながら、「こんなの人間のやることじゃねぇよ、こんなの一つ一つやってる奴は馬鹿だよ」と自責しながら、新時代における〝人間〟の価値を考えたのである。

この記事で語ること

まず、上記と重複しない程度に「今、日本で何が起こっているか」をさっくり見ていきたい。
続いて「そもそも日本とは何だったのか」を語り、「新しい日本の風景」を語る。

最後に「新日本に対応できる〝人間〟とはなにか。新時代の生存戦略」を我が輩なりに語って、「もう一度、人間」の意味をお披露目して締めくくりたい。
ご興味ある方はお付き合いあれ。
断っておくが、我が輩は素人で専門教育を受けたことはない。
そういうトーシローさんの目から世の中がどう見えているのか。そういう観点から楽しんで頂きたい。

今、日本で何が起こっているか

上記したように機械化、自動化による代替が起こっている。
しかしこれは特筆すべき特異点ではない。
日本では19世紀末から起こる産業革命において、多くの物事が機械化された。
田からは早乙女が消え、村からは機織りの音が消えた。
現状、起こっていることは技術革命による代替可能先の〝拡大〟であり、新たな出来事ではない。

では何故、現状起こっていることが〝新時代の出来事〟に映るのか。少なくとも我が輩の目にそう映ったのか。
これは価値観のパラダイムシフトが起こっているからではないか、見えてくる風景の価値判断が変わってきているからではないか、と我が輩は分析している。
つまり仕事の代替以上に我々にショックを与えたのは、「御恩と奉公」の象徴である「終身雇用」が御上によって「やってらんねぇよ」と言われちゃったことで。
つまり中世に始まり、近代革命でVerUp出来なかった価値観が、ついに崩れていくその様を目の当たりにする衝撃こそ、新時代の出来事なのではないかということ。

そもそも、日本とは何だったのか

明治維新の元、日本は近代化され、資本主義の導入が図られたとされているが、これは国家としてのこと。
民間、市井のイデオロギーとして近代は始まらなかったし、資本主義も導入されなかった。

これには理由があり、明治維新というものが国家主導による急ピッチのたたき上げ、列強へのキャッチアップ事業であり、そこに民間の自主性はなかったからだ。
技術導入も、商業形態も、全て〝御上〟が海の向こうより持ち出してきたものであり、それを民間の鼻をつまんで口を開けさせ喉奥に突っ込むことで叶ってきた〝装丁〟が日本近代なのであって、民衆に自分たちが飲み込んだものの自覚などないし、上手くいっても「やはり御上の言うことを聞くのが一番」と「御恩と奉公」の封建根性はなくならなかった。

この「御恩と奉公」を象徴していたのが終身雇用であり、愛社精神という忠義を問われる文化、年功序列という評価システムであって、それら中世日本の文脈は令和に代わった現代にも生き残っている。

が、それが今、生き残っていた、に代わろうとしている。
中世がいよいよ過去になろうとしている。
日本の文脈、その下で育った生態系が崩れているのだ。

新しい日本の風景~世界島・日本地区~

訪れつつある〝新しい日本〟を体感するのに、もってこいの思考実験がある。実験と言うより、ただの妄想だが、貴方のなかの〝旧日本〟を崩すためには有用かもしれないので、お付き合い願いたい。

〝世界島〟という発想は地政学のパイオニア・マッキンダーの著書に登場する。この〝世界島〟という発想を借りてみたい。ただ、マッキンダーが用いたハートランド理論としての〝世界島〟とは意味が違うので、ここでは唯その名称のみをお借りする。

想像して欲しいのは日本。
心にあのなじみ深く愛おしい、列島シルエットを思い描いて欲しい。
これが〝旧日本〟である。
では〝新日本〟とはいかなる形をしているか。
貴方の心にある日本列島。その周囲にある海が干上がる。
韓国とつながる、中国とつながる、インド、サウジアラビア、フランス、ドイツ、イギリス、アメリカと地続きになる。
一つの世界島が出来上がり、日本はその一地域になる。
しかしここで重要なのは、他国とつながることではない。

強く感じて欲しいのは、「あの慣れ親しんだ日本というシルエット」「その中にいればイニシアティブをとれていた輪郭」が消えたということ。
世界島が海面より隆起したことによって、日本という〝形〟が無くなったということ。
日本ブロックではマジョリティだった考え方、価値観、評価体系が、〝形〟を失ったことで一気にマイノリティになったということ。
新卒一括採用、終身雇用、年功序列、士農工商、御恩と奉公――。
それらの濃度が、一気に薄められたということ。
競争相手が増えた云々ではなく、そもそもルールが変わったということ。
パラダイムがシフトしたということを、日本輪郭の喪失とともに強く感じて欲しいのだ。

海が干上がり、陸続きになった彼方より渡ってくるのは、外国人労働者ではない。
「御恩と奉公」に一切の敬意を払わないRPAによる自動化であり、血と汗と涙の勤労を「改善への怠慢」として切り捨てていくAIによる効率化であり、「年功序列」を「適正の低下スケール」として敵視していく価値観なのだ。
それが世界島のスタンダードなのだ。
その果てしない世界の風が、グローバル企業という高層階には吹き荒れて、日本というシルエットに守られてきた人々を振り落としている。それが現状起こっていることであり、目にしている風景なのだ。

形を失った我々には違う世界が見えている。
ついに中世は終わり、突如として目の前に現代が現われた。
我々は競争に勝つための技術力云々の前に、中世から止まっていた価値観を更新しなければならないのだ。
心のチョンマゲを落とさなければならない。
〝御上〟は消え、契約という状態があるだけなのだと真に理解しなければならないのだ。

日本の形は消えた。
御上はもういない。
貴方という個人が、世界島に一人立っている。
そこで見えてくるのが、新しい日本の風景。世界島・日本地区よりの視点なのである。

世界島での生存戦略 ~ユニークの価値~

中世日本から形が取り払われ、現代世界島に立脚した皆様方。
この世界でどう生きるのか、生き抜くためにどうすればいいのか。これからは我が輩の見解を述べたい。

1/60億たれ

これはプライドヘビー級チャンピオン・エメレヤエンコ・ヒョードルのキャッチコピーだが、我が輩はここに生存戦略があると考える。と言って、己より他の人類全てにマウントをとりボコボコにして勝ち上がれと言っているわけではない。
戦わずにして勝って欲しい。
つまりユニークであることが生存戦略にとって、大きなメリットになるのではないか。

クオリティと言うよりは、オリジナリティ。
ユニーク(独特)の価値を持っているということが、世界島における生存戦略にとってはコスト管理的にも筋が良いように思える。
考えてみればわかるが、日本ブロックを失った競争社会で、クオリティや生産性、価格帯で争って一体どれほどの勝率があるのだ、ということ。
競争原理が働く社会で生き抜くつもりなら、本当のトップ、トップオブザトップのレベルを狙わなければならない。
県大会優勝で生きてこられた時代が終わり、全国、あるいは世界のコンクールで頭角をあらわし、そこで上位入賞しなければ〝価値なし〟と扱われる。
二位、三位というものが、単純に一位以下という価値しかないのなら、やはりトップ以下に価値はないのだ。
これではあまりにつまらないし、幸福の数が少なすぎて地獄のような体を成すであろう。そこで我が輩が勧めるのは「離陸後は好きにしろ」だ。

守・破・離という言葉がある。
離陸するまで、つまりある一定のクオリティに到達するまでは同じレイヤー層の中で競う。で、いざ離陸すれば無限の空のなか、他者とぶつからない、ぶつかり難い独自高度を見つけて優雅に飛べばいい。その独自高度のなかで生きていく方法、他者と関わる方法を考える方が、精神衛生上もよろしいだろうし、幸福度も高いと思う。
ブルーオーシャン戦略というのか。
いかに競争するかではなく、いかに競争から離脱するかという観点で、自分のレーベンスラウム(生存圏)を確保していくかが重要になってくる。

例えば我が輩においても、国シリーズのエコシステム(新作を出し続ける経済循環)を成立させるのに、「同人ゲーム№1、いや、コンシューマー含めてトップシェアに立つぞ!」と考えるより、「1000人のファンが年間1万円落としてくれるコンテンツサービスをつくろう」と考える方が競争が少ない生存圏確保戦略となり、コストやリスクも低い。また作品内容への妥協も少なくて済む。
このように「誰かに勝つ、トップシェアをとる」という考え方ではなく、独自階層での目標を持つことが今後は重要になってくる。
独自階層で生きつつ、他の階層で生きている人々と繋がっていく。
この感覚で自分の生存圏、フィールドを探っていくのが味良しだと思われる。

我々が生きる〝資本主義社会〟という意味を考えるのも重要だ。
今後、我々は己の「労働力」ではなく「資本」によって、サラリーではなく対価を世界から受け取っていく必要がある。
自分の「資本」が何であるか。それをとことん追求すべきだ。
といって一億総独立、総起業なんてことを推進するわけではない。ただ自分の「価値」は何かを自覚し、その「価値」によって対価を得るシステムを意識すべきだと思う。
単純に雇われ労働するのでなく。
働いている最中も「何」に価値が見出され、「何」にサラリーが支払われているのか。
その「何」が自分を規定する「価値」として納得できるものなのかどうか。
そこを突き詰めなければならない。
貴方が世界に提供する価値が、貴方を規定する。
だからこそ上記したようにユニークである必要があるのだ。ユニークであれば競争に晒され難く、代替が難しい。生存戦略としては上策と言えよう。

問題は貴方のユニークな価値が、世界にとって対価を支払うほど価値があるか否か、ということだが。
価値というものは〝つくる〟ものであり、既存のものに問うべきではない。既存の価値体系では既にプレイヤーが多く、レッドオーシャンと化して「ユニーク生存戦略」には適さない。
前回のブログで語った通り、人間には優れたデジタル感覚があるわけだから、貴方の〝画角〟をもって世界を捉え、貴方にとって価値あるものを再規定し、そこに貴方ブランドのロゴマークをバチコーン!と張って世に送り出せばいいわけだ。
一億総起業家、とは言わない。
一億総ブランド化、これを我が輩は推進したい。
全ての人々が己の感性、己のブランドという資本を世界に問う。働いていても、隣のデスクとは違いをつくる。坂本でも、吉井でも、春日でも、富田でもない、俺はKAZUKIなんだという仕事をする。そうすれば仕事をする度に自己ブランドへの投資となり、資本は成長していく。
代替可能な「労働力」として買い叩かれてはならない。
自社ブランドとして、いつも世界とは対等な握手を求めていこう。

一億総ブランド化に際してお勧めしておきたいのは、自己価値を発信するメディアをコツコツ育てておくこと。
ブログ、Twitter、Facebook、インスタ、YouTube。
何でもいいので自分を発信するチャンネルをつくり、自己価値の発信練習はしておいた方がいい。
我が輩はこれが下手で苦労しているが、上手い人は自分の価値を〝見つけてもらっている〟。
価値を見つけてもらえるようになると、営業も値切りも妥協もしなくて良くなり、生きるのがぐっと楽になる。
貴方に価値があったとしても、それがニーズに届かなければ意味がないし、戸別訪問して届けるよりは、見つけてもらう方が楽である。
そんなわけで、我が輩は個人メディアを育てることをお勧めする。
特にブログは自分の考えをまとめて伝える練習になるし、またアーカイブとして残るのでお勧め。
いつか貴方が書き残しておいたブログ記事が、資本価値を持つようになるかもしれない。(例えば書生化とかね)

我が輩の「生存戦略」をまとめる。
ユニークであること。
そのユニークさをブランドとして、これを資本とすること。
資本をもって、世界から対価をもらう努力をすること。
代替可能な「労働力」を提供し、「人生時間」を金に換金しないこと。
レーベンスラウム(生存圏)を他人のフィールド、競争の激しいフィールドと重ねないこと。独自の階層で生きるよう勤めること。
世界島の住人に自分を見つけてもらうため、自己発信のメディアを持つこと。
自己発信のメディアを、早い時期からコツコツ育てておくこと。
これが我が輩の提唱する生存戦略であり、我が輩はこれを「もう一度、人間」のキャッチフレーズで推していきたい。

「もう一度、人間」

ユニークで、かけがえのない存在であり、それがそれであることに価値がある。
またそれは独自の感性をもち、世界に新たな価値を提唱し続ける。
これを我が輩は「人間」だと感じる。
綺麗事を並べたいわけでもないし、道徳の焼き増しをしたいわけでもない。
しかしこの「人間であること」を意識することが、戦略的には正しいように我が輩は感じる。
今まで単一な「労働力」とみなされてきた人々は、今一度「人間存在」であることを意識し、自分とは何か、価値とは何かを考えなければならない。
繰り返すが綺麗事を並べても仕方ない。
世界に向かって自分の価値を示すのは辛い。世界に問うて向こうの都合に合わす方がずっと容易である。
考え続けなければならないだろう。
終わることのない試行錯誤が待っているだろう。
自分の価値観ととことん向き合うなかで、孤独にもなる。
しかし、これは我々「人間」が本来歩むべき人生の姿ではなかろうか。
考え、行動し、自己と他者を意識しながら、個人という不可侵な孤独を守り生きていく。生きようと試みる。
これが社会性を著しく発達させた我々人間の本然ではなかったろうか。
我々が忠誠を誓うべきは、国ではない。会社でもないし、上司でもない。
我々は我々の孤独に忠誠を誓わなければならない。
我々を孤独にしているユニークさに忠誠を誓い、孤独のまま生きていかなければならない。
それが本質的な社会生活、多様性が増幅されていく現代社会でのスタイルなのではないか。

自分を自覚すること。
考え続けること。
試み続けること。
孤独であること。
孤独な自己が、世界に向かって何を提出できるのか問い続けること。
自己価値を表現する方法を確立すること。
これを「もう一度、人間」として、「新時代の生存戦略」とし、締めくくる。

人間よ、もう一度人間であれ。
英語で何ていうのか。
ボーイズビーアンビシャス的なキャッチコピーで終わりたかったが、我が輩にはわからない。

“「もう一度、人間」 ~代替社会、生存戦略~” への2件の返信

  1. 面白かったです。
    AIだけでなく人間も学習する。人生経験によって学習内容が変わり結果が人によって違う。そう思いました。

    1. 読んで頂き、ありがとうございます!
      作品に関係ないことばっかり書くなと怒られるかも思っていたので、嬉しいです。
      やはり学習が胆だと思いますね。
      社会人の一日平均勉強時間が七分らしいので、一日一時間勉強したら相当なアドバンテージとれるということでもありますから、やるかやらないかの時代になってくるのかなって思ってます。

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