ハルカの国 創作の記その5

なんでもない話

我が輩は「繊細さがない」と言われてきた。
「敏感じゃない」と。
だから「KAZUKIに相談しても無意味」と何事につけても助言を求められたことがない。
人生相談、恋愛相談、まともに受けた試しがございやせん。

ああいうものは改まってするものでもなく、会話の流れでそれとなく始まるものだそうで、それが我が輩と話していても「始まらない」のだと言う。後々聞くと、「本当はあの時悩んでいて相談にのって欲しかった」というクレームが入る。
申し訳ないとも思わない。我が輩に相談するより経験豊かな者にあたった方が実りも多かろう。不適切な者を採用させることなく、お互いの時間を浪費させなかった我が輩の「鈍感」に感謝して欲しい。

あえて鈍感でもいる。

以前、シフトの変更を頼むため、バイトの子に電話をかけたことがある。そこで渋られて、「無理そう?」と聞き返すと、「無理じゃないですけど」と妙に濁す。

「明日、○○さんと二人になるじゃないですか? なんか、私、○○さんに好かれてるっぽくて。それでどうかなーって」

「そんなことないと思うよ」

後日、○○さんに告られました、だから言ったじゃないですか、KAZUKIさんって鈍感ですね、と言ってくる。それで困っているのかと言えばそうではないようで、仲良く二人はつき合っているという。

良かったじゃない。

相談にしろ、何にしろ。察していたら切りがない。大体、連中、調子にのる。拍車がかかる。それで向こうも浅ましいことを繰り返す。その餌食にこちらはなる。これはお互い利益がない。
ここは鈍感と呆れられても餌食の候補から捨てられた方が賢明である。
他人からの好意を掻き集めても大抵困る。好意はマイレージや楽天ポイントと違って利益還元が難しい。掻き集めたが故に失うのが恐くなって、身動きとれなくなることの方が多いように思う。
少なくとも我が輩は「好かれたい」という気持ちより「嫌われたくない」という気持ちを大きくとる性格だから、余計な好意はリスクだ。

「こいつに好かれたいか?」

一度立ち止まり問う。そうでないならいつでも逃げられる距離を保っておく。
その距離感を保つのに粧い力は役立つ。
鈍感、珍獣、変子、アホ。
そういう特別枠を奪取して、「あ、これじゃねぇわ」とリリースされ続けたい。無意味に察せず、不用意に感じず、他人にはゆるく諦められながら生きる。
「いい人ね」などとは言われず、「仕方のない人ね」と言われて笑われている。
そういう人に、我が輩はなりたい。

承認欲求が跳梁跋扈する世の中である。
察する力はあってよし。されど無意味に使うなかれ。「いい人ね」なんて呼ばれたら気をつけるべし。「いい人」なんてのは世の中にあって、池に投げられた麩菓子と同じ。貪欲な鯉に貪られる。貪った鯉は食べた麩にさほど感謝しないものだ。

リソースには限界がある。限界がある以上、常に物事はトレードオフ。何かをすれば何かは出来ない。であれば必要であることに時間も労力も割いていきたい。
リソースを割けなかった物事、あるいは人を「価値ねぇわ」と馬鹿にするのも態度が悪い。
「ご縁がなくて」と軽く会釈して通り過ぎる。0と1の間にある、0よりの答え。何種類かもっておくと便利がいい。その一つに鈍感を粧うことをこの春より加えてみてはどうか。

何かを成すには何をしないかを決めることが肝要である。

ハルカの国・進捗

ようやっと明治編を書き終えた。続いて大正編に入る。
明治編から大正編の間には40年近くの時がとぶ。時代は移り、ユキカゼもかわる。
シーンとシーンの間、カットにどれだけの意味と情報量を込めることが出来るか。これは常に試みていることであるし、演出としても好きだ。
ただ、40年となると少々でかい。
明治初頭の時代背景、文化、技術水準、政府の仕組み。
それら調べあげたものが急に使えない。調べ直し。

この時代を調べるというのが手間だ。先に調べられることは調べておくが、大体、シナリオを描きながら「ここどうなってるんや?」と知らないことに気づく。手をとめて調べる。一、二時間してようやく納得がいく。シナリオに戻る。一文書くと、また「ここは?」と気になることが現れる。調べる。繰り返していると夕刻。まだノルマは九割方残っていてがっくりくる。

こういうことを半月も繰り返している内に、だんだんと時代や世界観を掴めてくる。書くことに自信が出てくる。手が止まらなくなる。

物語というのは音楽と似ていて、シーンの連続、前後との比較、流れで意味を織りなす。ぽーん、ぽーんと鍵盤を不規則に叩いているだけでは音楽にならないのと同じで、シーンを一つ書いては手をとめ、一つ書いては手をとめでは、物語というものが流れない。流れがないと何処に向かっているのか掴めない。

物語が流れ初め、行く末を理解できると、生産性もあがる。だから早いとこここに辿り着きたい。しかし時代背景という調べ物がそれを妨げる。こういう時、博識が羨ましい。優れた記憶力が羨ましい。

グーグル先生が常に隣に居てくれる昨今、半可な博識など衒学の悪癖を生むだけで役にたたない。「ウィキで調べればわかるようなことで、マウントとんなや」と嫌われるだけ。
しかしシナリオ執筆に関しては半可でも、四分の一でも知識はあるにこしたことはない。詰め込みにしか使えなくとも、記憶力はあった方がいい。
知識と記憶力は執筆にスピードをもたらす。スピードはリズムをうみ、やがて物語を自立させる。コマのように自立し、動きつづける。コマは独楽と書く。独りでに楽しい。物語はこういうものでなければならない。

三月から、気合いを入れ直して作業に励む所存。
つまり何が言いたいかと言えば、今月も遅延が発生しました、ということ。
巻き返すつもりの結果が遅延だから焦る。

クラウドファンディング

去年から準備していたクラウドファンディング。ようやく準備が整い、申請も通ったので公開へ移る。内容子細はページを見ていただければわかると思うので、ここでは重複しない。
クラウドファンディングに踏み切るまでのことと、クラウドファンディングページには記せなかった返礼品について幾らか綴りたい。

目標金額について

達成目標は45万。当初は80万を目指していたが、どう計算しても集まりそうにない。自信がない、ある、という概念的な話ではなく、雪子の国販売数を元にした数字で計算をしていくと現実味がなかったのだ。
そこで昨年末から年明けにかけ、ローカルファンディングを行い、カードのキャッシュ枠も計算に入れ、ソロバンを弾きなおした。
それで45万。
これでようやく現実味のある数字にはなった。ただ達成できるという自信があるわけではない。

ハルカの国の壁

現在制作中のハルカの国には壁がいくつかある。
一つにはジャンルとしての売りがないこと。前作、雪子の国は初めての有償配布ということもあって売り方を意識した。「ラブコメ!」ということで押し切り、プレイ開始への心理的手軽さを強調したつもりである。
しかし、今回のハルカの国にはジャンルとしてのキャッチ力がない。
恋愛、バトル、ミステリー、ホラー。ここらがノベルゲームに期待される要素であろうが、ハルカの国はこれらが非常に薄い。雪子の国のように「ラブコメ!」と押せる要素がない。
考えに考えて「100年のビジュアルノベル」と銘打ったが、「でジャンルは?」という突っ込みから逃れられていない状況だ。

別の壁としてシリーズ物という構成がある。
大人気のシリーズならこれは壁でなくアドバンテージなのだろうが、残念ながら国シリーズはまだまだアドバンテージと言えるほどの規模ではない。
シリーズ物はその構成上、前作以上に売れるということが難しい。我が輩自身、「面白そうやん」と思ったり、他から「面白いよ」と勧められても、前作プレイ推奨と言われると途端に食指が動かない。
予備知識、予備プレイがいるというのはやはりハードルを高くしている。
雪子の国販売数を元に達成金額を設定したのはこういうわけだ。まずもって雪子の国をプレイしたことのない人は、ハルカの国を支援しようとは思わない。

最後の壁は、あるいは壁でなく強みではないか、とも思っている。しかしながら基本的には避けられることだろうから、壁と思って構えおいた方がいいのだろう。
ハルカの国は、主要人物の年齢が総じて高い。
ハルカ、ユキカゼは化けであるから人間のように考えてもズレがある。
ただハルカとユキカゼを女子高生のように見る者は居ないはず。ハルカがセーラー服なんて着ていたら気持ち悪い。ユキカゼでも許せないものがある。今までの作品で扱ってきた少年少女という年齢層に、彼女達はいない。
他の登場人物、各章に登場する人間たちも年齢層が高い。
越冬編では六十歳の老婆が出てくるし、決別編では三十二歳の官士が主な登場人物となる。
キャラとして並べた時に、フレッシュさがない。
ただこれは必ずしも弱み、壁ではなく、考えようによっては強みだとも思っている。
青春を描いたノベルゲームは多い。
しかし青春を過ぎ朱夏に至り、やがて力も衰え寂しくなっていく白秋、終わりが見えてくる玄冬の期間を描いたノベルゲームは少ない。
希少性、という意味では〝有り〟なのじゃないかと思っている。
物語の面白さは疑似体験にある。
アクションやスリラー、パニックものは死の疑似体験だ。命が危険に晒されるスリルを味わうことに楽しさがある。
ならばそういった強烈な擬死体験ではなく、緩やかで静かに失っていく擬死体験も面白いのではないか。
面白い、と言えば少し違う。
興味深いのではないか。味わい深いものがあるのではないか。体験するに値する何かはあるのではないか。
そう考えている。

やや逸れた話を、壁に戻したい。
これら幾つかの壁を抱えるハルカの国であるから、「買ってもらえるのか」という不安がけっこう大きい。
クラウドファンディング、目標金額達成目指して頑張ります! と虚勢くらいは張れるが、内側が自信満々でないことは白状しておく。
その自信の無さもメンタルの問題ではなく、上記のような理由を自覚しているからだ。

やめようかな、という思いも正直あった。
情けない話だが、失敗したところを多くの人に見られるのが嫌だったのだ。
我が輩は格好ばかり気にする男なのである。小さい男なのである。今回ばかりはそれが身に凍みた。
人前で恥じをかきたくねぇ……!
年末に宣言していなければ、確実に逃げていた。
それでも募集に踏み切れたのは、「CF楽しみにしてます」とTwitterやメール、ブログコメントを送って下さった方がいるからだ。「CFで応援します。ハルカの国、早くやりたいです」と言ってもらえたからだ。
こんな有り難い言葉を受け取っておきながら、浅ましい我が輩はこう考えた。

少なくとも、ゼロじゃない。
誰にも相手にされませんでした、という結末は避けられる。
最悪。
友達何人かに投資してもらって、失敗するにしても体裁は整えよう。

よし、いける。
こうしてクラウドファンディング開始に踏み切った。

ハルカも言っている。
「格好というのが、私には大切なのだ!」
我が輩も格好が大切だ。器が小さいとか知らん。無理して大きく見せていたら、とんでもない量の水を注がれて割れてしまう。
我が輩はただの一般ピープルだ。
愚かで狡い人間なのだ。
保身は最大限、考える。

でも本当にCF応援メッセージはありがとうございます。CFだけでなく「ハルカの国をやりたいです」と言ってくれた方も。本当に励みになっています。

最後、返礼品について

二十万っていうふざけた金額のコースが限定1名であります。
これ、もし応募したいって人がいたら注意。
シナリオネームや、スチルイラストの原画をつけるってコースなのだけど、全部、我が輩が描いたものだからね。プロに外注したものとかじゃないよ。
絵として価値はありません。本当に「国シリーズが好き」という観点でしか価値はないです。
そりゃいつかはもの凄い価値がつくものに変じるほど頑張るつもりではいますが、現時点では貴方の満足以外に応える術はありません。
シナリオネームも市販されているような絵コンテ集ではないです。A4コピー紙に手製の枠をつくって、そこに鉛筆で描いてるだけ。それが束になっているだけ。
素人が創作のために作った資料ってことを、ご理解ください。最初から返礼品としては作ってないので、汚れや折れ曲がりも沢山あります。
早春賦の原画やラフも、残っているものはつけるつもりです。あんまりあれこれ書いてたら「不確定なものはご遠慮ください」と注意されたので消しましたが、出来るだけつけるつもりではいます。

水彩画オリジナルコースに関しては、好きなキャラクター二人ってことになっていますけど、ホオズキは無料オプションでつきます。必要ならご利用を。

長々と書いたが、言いたいことは一つ。
どうぞ、よろしくお願いします!

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