4本目 ノベルゲームと小説は違わなければいけない3

ノベルゲームと小説の時間表現における得手不得手

ノベルゲームと小説は得意とする時間感覚が違う。

前回までは文章を「会話」と「地の文」にわけたが、今回は別のわけかたをする。

「シーン(場面)」と「サマリー(要約)だ。

わかりやすく言えばシーンはライヴで、サマリーは日記だ。

例をだそう。

「何をしているのですハルタさん」

「ホオズキと遊びに行こうと思って」

俺はチビ助に靴を履かせながら言った。

「誰の許可をえて」

「許可がいるかね」

「いります」

「本人にせびられていくんだぜ?」

「雪子ちゃんの許可がおりてません」

これがシーン。

一方サマリーは――

夕刻、チビ助にせびられて浜辺へとでた。

何故か雪子までついてきて、ついてきたのに不機嫌だった。

である。

シーンは場面を描写するのに対し、サマリーは場面を文章で書く。

使い分けは本日の題目から逸れるのでやらない。

今回、話したいのは、ビジュアルがつくノベルゲームは小説よりシーンを描くのが得意であり、前回話した文字制限上、地の文が続くサマリーは苦手だということ。

四十文字以内で場面をサマリーするのは難しい。

ノベルゲームは小説と比べてリアルタイムな時間を扱うのに長けた媒体であり、逆に日記のようなサマリーは不得意なのである。

だから小説とノベルシナリオは違わなければならない。

ノベルゲーム的な時間取り扱いの勉強方法

ノベルゲームは小説よりもアニメや漫画、映画的なシーン進行をするので、映像媒体のシーン運びを参考にすると勉強になる。

シーン(ライヴ)の連続でストーリーを展開し、そのつなぎに文章を使っていない。

時間経過一つ現すのにも、「それから時は過ぎ」などとは言わない。客人の前にだされたグラスのなかで溶けた氷がカランと音をたてる、大きな時間経過を表現するなら季節をかえてしまう。

ビジュアル表現による時間の扱い方、シーンのつなげ方はどの映画を見ても勉強になる。

とは言いつつも、ノベルゲームはアニメや漫画、映画に比べれば文字にたよるところも大きい。苦手とはいいつつもサマリーが素晴らしいと、シーンが際立つ。そもそも、シーンとサマリーは完全に二分化されているわけではなく、入り交じったものであるからどちらかを締め出すわけにもいかない。

そこで参考となるのが「ショーシャンクの空に」。マイオールタイムベストだ。

この映画には素晴らしいナレーションがはいる。このナレーションがサマリーの役目を果たしながら、ライヴとなる映像に被さり進行していくので、非常にノベルゲーム的なのだ。情報量といい、シーン展開といい。

日本語吹き替え版が特におすすめなので、参考にしていただきたい。

映像的なサマリーとして参考になるのは「ショーシャンクの空に」のナレーションばかりではない。

ディズニーの長編アニメーション映画。あれにも優れたサマリーが使われている。

我輩はミュージカルスキップと名づけている。

要するに歌を歌っているうちにダイナミックな時間進行がおこなわれ、物語が次の展開開始時まで要約され提示される。「ターザン」において、主人公ターザンが子供から大人になるまミュージカルスキップが使ってあるので見ていただきたい。

あれを模したのが「キリンの国」における綾野郷での暮らし、桑の刈り入れのシーンである。曲にあわせて進行させ、娘達の日常を圧縮してみた。綾野郷での暮らしはあくまで風景であり、ストーリーラインとは関係ないのでクダクダ語るのは避けたかった。ミュージカルスキップは上手くいったと思う。

小説とノベルゲームシナリオは時間の扱い方における得手不得手が違うので、そこを意識したい。

“4本目 ノベルゲームと小説は違わなければいけない3” への2件の返信

  1. こんばんは 

    シーンとサマリーの話 面白いです。
    あらためて ああ そうだなあ と 思いました。

    ミュージカルスキップの話は 某 紅の・・・の飛行艇作成シーンとか 某 動く城のエンドロールの画面とか 思い出しました。

    1. ありがとうございます

      シーンとサマリーの概念があると、使い分けが意図的にできるようになって、リズムやテンポの調整が容易くなります。

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